効率化の顛末 | 秋山のブログ

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山田洋次監督が、寅さん映画全作をフィルムで上映するというイベントをおこなった。映画は今やフィルムで上映されることはほとんどないらしい。

フィルムでの上映というのは、実はかなり技術を必要としている。それが今ではスイッチひとつである。熟練技術者である必要はなく、人員も大幅に節約できる。

この効率化で社会全体としては何を得ただろうか。世の中に人は余っている。その仕事に従事していた人は別の仕事を見つけなくてはいけない。熟練技術者として待遇もそれなりだったろうが、その技術は無駄になって、その人の待遇は低下もする。

経営者にとっては、利益を増加させるチャンスである。競争下にあるからと言って、わざわざ価格を下げなくてはいけない理由はない。

雇用数も給与も減るところで、この効率化は労働者の総給与を激減させている。
その分、経営者の給与、企業の配当や、内部留保や、返済を改善させる。
ところが、配当が増えた分 はそれ程消費拡大に繋がらない。内部留保や返済の促進に関しては経営は安定するが、社会全体における消費という視点ではマイナスである。労働者の給与減は消費にマイナスなので、結局まわりまわって、映画の消費を下げるだろう。

効率化で人件費が下がった時には、それに見合った大幅なプライスダウンをおこなえれば、家計の可処分所得が増大することにより、首になった人の新たな仕事に払う財源になりうる可能性はありうるが、そんな仕事がすぐみつかるなんてことはありえないことであるし、前述のように経営者は利益の増大 を取るだろう。

経営者が最大限利潤を追求すれば、社会全体としてもっとも効率がよいという話は、効率化にともなう動きをみていれば、全く逆であることがわかる。
利潤追求に待ったをかけるような政策をうたれないために、強弁している屁理屈にすぎない。