『ヒストリエ』の参考文献について | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

書いていくことにする。

 

僕は以前、『ヒストリエ』の参考文献リストというものを作っている。(参考)

 

あれを書いてから二年弱が経って、色々と理解が刷新されたり、新たに参考文献が発覚したりしたので、今回は改めて参考文献についての記事をまた製作することにした。

 

どういう書き方が良いかと考えたけれど、前回のリストをそのまま持ってきて、それに必要な書籍を加えたりして修正して、何か付随で言及しなければならないことがある場合、それを言及していくという形にすることにする。

 

ともかく、一覧を持ってくる。

 

・『ヒストリエ』の材料として使われていると判断する余地がある本

プルタルコス 『プルターク英雄伝』 河野与一訳 岩波文庫

ヘロドトス 『歴史』 松平千秋訳 岩波文庫

ホメロス 『イリアス』 松平千秋訳 岩波文庫

ホメロス『オドュッセイア』 松平千秋訳 岩波文庫

森谷公俊『王妃オリュンピアスーアレクサンドロス大王の母』ちくま新書

ディオドロス『歴史叢書』

ポンペイウス ・トグロス 『地中海世界史』 合阪学訳 西洋古典叢書

アッリアノス 『アレクサンドロス大王東征記およびインド誌』 大牟田章訳 岩波文庫

ネポス『英雄伝』上村健二他訳 叢書アレクサンドロス図書館

ポリュアイノス『戦術書』戸部 順一訳 叢書アレクサンドロス図書館

 

とりあえずは以上になる。

 

以下ではどうしてこれらの本を岩明先生が読んでいるのだろうと言及できるかについて、ねっとりと色々書いていくことにする。

 

とりあえず、上四つに関しては、前回の参考文献についての言及や、以前僕が書いた種々の解説で十分な説明があったただろうから今回は特に言及はしない。

 

岩波文庫の『プルターク英雄伝』は「『ヒストリエ』の原作について」の記事(参考)でねっとりとそれが何故原作だと言えるかを書いたし、ヘロドトスの『歴史』についてはハルパゴス将軍についての記事(参考)で岩明先生がこれを読んでいるだろうと示した。

 

『イリアス』と『オデュッセイア』については、少なくとも『イリアス』に関しては、岩明先生が誰の翻訳を読んでいるのかまでをこの記事(参考)で検証していて、『オデュッセイア』に関しても、『イリアス』同様、岩波文庫の松平千秋訳を読んでいると考えて良いと思う。

 

よって、それらの本についてはこの記事では語らないので、『王妃オリュンピアスーアレクサンドロス大王の母』から色々言及していくことにする。

 

・『王妃オリュンピアスーアレクサンドロス大王の母』について

この本を岩明先生が読んでいるというのはまぁほぼ確実で、その話はアルケノルの時に言及している。(参考)

 

なんというか、『ヒストリエ』の12巻収録分に、アッタロスが軽率に、これからフィリッポスに嫁ぐエウリュディケに正嫡が生まれますようにと言った時に、アレクサンドロスがそれを聞いて激怒した話があって、それに際してのナレーションで、マケドニアでは妻たちに序列がないから、その激怒したというエピソードは後世に作られた創作だろうという話がされている。

 

その話はこの『王妃オリュンピアス』に言及がある。

 

そういう風に『ヒストリエ』の材料として『王妃オリュンピアス』は使われているわけだけれど、僕はそれ以上何かを言及することができない。

 

読んでないからね、しょうがないね。

 

読めば色々書くことも出てくるんだろうけれど、ねぇ?

 

 

この本は二種類あって、おそらくは先にちくま新書で出したものを後に文庫本にしたのだろうと僕は思う。

 

リンクは文字数の問題で持ってこないけれども。

 

ちなみに、その文庫版の帯はいくらか種類があるようで、どうやら、岩明先生がその帯のデザインに関わっているそれがあるらしい。

 

(https://www.kosho.or.jp/products/detail.php?product_id=297825594より)

 

実際、岩明先生はこの本を読んでいるのだろうと僕は考えていて、そうとするとお仕事の都合上読んだのかもしれない。

 

ただ、岩明先生は異常なまでに参考文献を読んでいるので、多分この本に関しても、お仕事云々抜きにして、普通に読んだのだろうと僕は思う。

 

岩明先生が読んだ参考文献が明らかになるたびに、そこまで普通やらないでしょ…ってドン引いてるんだよなぁ。

 

まぁ…岩明先生にしても、僕にだけは言われたくはないだろうけれど。

 

次。

 

・『歴史叢書』について

ディオドロスの『歴史叢書』というのは、ギリシアとかの歴史について書かれた本で、神話の時代からガリア戦争までの地中海世界周辺の書かれた本で、けれども、後半部分は散逸してしまっていて、ディアドコイ戦争の途中までしかまとまった形では現存していない。

 

この本の中の『ヒストリエ』に関係する時代のテキストは翻訳が出版されていないのだけれど、僕は色々なことを勘案して、岩明先生はこのテキストを読んでいるのではないかと考えている。

 

この本の翻訳は一応、出版されていて、けれども神話時代の部分訳しか出ていない。

 

 

 

 

…値段見るたびに、「ば~~っかじゃねぇの?」って思うんだよなぁ。

 

まぁこういう風に神話の時代については翻訳が出版されているけれど、それ以外は出版されておらず、けれども、ネット上に有志の方による英訳からの翻訳が存在している。(参考)

 

一応、専門家の方が翻訳している文章も存在していて、それを書いた森谷公俊氏がアレクサンドロス大王を研究している人だから、『歴史叢書』のアレクサンドロス大王に関する部分だけを翻訳していて、その論文が帝京大学の論文データベースに存在している。(参考)

 

この論文を書いたのは先に言及した『王妃オリュンピアス』を書いた森谷氏で、彼はアレクサンドロスの専門家だから、そういう関係の本を色々書いているし、論文として『歴史叢書』のアレクサンドロスの東征の部分の翻訳を発表したりしている。

 

僕はこの論文の存在自体は前々から知っていたのだけれど、どうやったら読めるのかが問題だった。

 

けれどもある日、僕が個人的な用事で大阪大学のリポジトリ(論文データベース)で古代中国の出土文献の翻訳を収集してた時に、「あれ?大阪大学の論文読めるんだったら、帝京大学の『歴史叢書』の翻訳の論文も読めるんじゃね?」と思って検索したら案外ネット上にあった。

 

岩明先生がこの森谷公俊の『歴史叢書』の翻訳論文を読んでいる可能性はあるのだけれど、僕自身、古代ギリシアに興味がなさ過ぎてこの森谷の論文は読んでいない。

 

だから、その論文に翻訳されている範疇の記述にどれ程『ヒストリエ』が重なっているかは定かではない一方で、その論文では訳されていない部分について、その翻訳がネット上にある。

 

僕は岩明先生はそのネットの上の翻訳を読んでいるのではないかと考えている。

 

何故そうというかと言うと、まぁカレスの解説を書いたときに言及した通りで、この本にはカレスがペルシア軍を海戦で打ち破ったという話が書かれていて、一方で『ヒストリエ』でもカレスはペルシア軍を打ち破っていて、僕はその話が書かれたテキストをこの『歴史叢書』以外で見つけられていないからになる。

 

(岩明均『ヒストリエ』7巻p.191 以下は簡略な表記とする)

 

このようなカレスの活躍について書かれたテキストが『歴史叢書』以外では確認できていないという話を僕はカレスの解説の後半の記事で言及している。(参考)

 

僕自身、古代ギリシアに関しては詳しくなくて、他にカレスの活躍について書かれたテキストがあるという可能性は否定できないけれど、カレスなんてどうでも良い人物が解説書に言及があるとも思えないし、別にその事だけで岩明先生が『歴史叢書』を読んでいるのでは、という話をしているわけでもない。

 

『ヒストリエ』ではカイロネイアの戦いが描かれていて、その描写は僕が知る限り、『歴史叢書』で言及されているそれが最も近い。

 

そもそも、カイロネイアについて言及のある資料に関して僕に知識がなくて、一応、『地中海世界史』に言及があるけれど、あんまり『ヒストリエ』のカイロネイアとは関係がない。

 

「かくして、少し前までお互いに敵意を懐いていた二つの国(アテネ及びテーベのこと)の間で同盟が成立し、両国は使節を[各地に]派遣してギリシア[の国々]を困惑させた。共通の敵は共同の力で退けねばならない。もし最初の戦争がピリッポスの願いどおりにいけば、彼は全ギリシアを支配するまで戦争をやめないであろう、と両国は考えていたのである。ある国々はその働きかけに動かされてアテナイと結んだが、戦争の脅威が他の国々をピリッポスの側へ引き寄せた。戦闘が交わされ、アテナイは、兵士の数で遥かに勝っていたが、絶え間ない戦争で堅固となったマケドニア人の勇気によって打ち負かされた。(ポンペイウス・トグロス 『地中海世界史』 合阪學訳 京都大学学術出版会 1998年pp.158-159 冒頭()は引用者補足)」

 

『地中海世界史』に言及があるカイロネイアの戦いは以上で、この情報から『ヒストリエ』のカイロネイアの戦いを描くことは出来ないし、プルタルコスの『英雄伝』でもカイロネイアの戦いの推移の話はない。

 

一方で、『歴史叢書』には割としっかり言及があるし、『ヒストリエ』の描写と合致している。

 

「両軍は夜明けに配置に付き、王(フィリッポスのこと)は年若かったが特筆すべき勇気と行動の素早さを持っていた息子アレクサンドロスに一翼を任せ、彼に最も熟練した将軍たちをつけ、他方自らは精鋭部隊を直率しつつ他の部隊の指揮を執った。個々の部隊は必要に応じて配置された。もう一方〔アテナイ・ボイオティア連合軍〕は国に応じて戦列を分け、アテナイ人はボイオティア軍に一翼を割り当てて他方を彼ら自身が指揮した。一旦激突すると戦いは長い間熱戦となって双方で多くの死者が出て、そのために戦いでは双方が勝利の希望を持った。
 そこでアレクサンドロスは父に自らの勇気を示して自らの手で勝利をものにしようと逸り、部下にうまく助けられつつ敵〔ボイオティア軍〕の強固な戦列に裂け目を作って多くの敵を倒し、前面の部隊へと激しい突撃をかけた。彼のヘタイロイがそれと同じ成功をし、正面の割れ目は次第に開いていった。死体の山が築かれ、やがてアレクサンドロスは戦列を突破して敵を敗走させた。そして王もまた自ら前進してアレクサンドロスにさえ勝利の手柄を渡すまいとした。(参考、冒頭()は引用者補足)」

 

『ヒストリエ』ではアレクサンドロスが一翼を担っていて、更に『歴史叢書』にはアレクサンドロスには最も熟練した将軍たちが付けられたと言及があるけれど、『ヒストリエ』でも作中で最も熟練した将軍"たち"が付けられている。

 

(9巻p.3-4)

 

『ヒストリエ』の作中で、パルメニオンとクラテロス以上に熟練した将軍など存在してはいない。

 

『歴史叢書』ではアレクサンドロスが"裂け目"を作ってそこから勝利を得て死体の山を築いたと言及がある。

 

「そこでアレクサンドロスは父に自らの勇気を示して自らの手で勝利をものにしようと逸り、部下にうまく助けられつつ敵〔ボイオティア軍〕の強固な戦列に裂け目を作って多くの敵を倒し、前面の部隊へと激しい突撃をかけた。彼のヘタイロイがそれと同じ成功をし、正面の割れ目は次第に開いていった。死体の山が築かれ、やがてアレクサンドロスは戦列を突破して敵を敗走させた。(同上)」

 

ボイオティア軍というのはテーバイ軍の事で、この記述通りの推移で『ヒストリエ』のカイロネイアの戦いは行われていて、その辺りは具合の良いページが見つからなかったから引用しないけれど、裂け目に突っ込んで死体の山を築いたのは『ヒストリエ』の展開通りになる。

 

『歴史叢書』ではアレクサンドロスが裂け目を作ったのちに、彼の部下であるヘタイロイがそれと同じ成功をして云々書かれていて、アレクの後に部下たちが突っ込んできたという話になっていて、これも『ヒストリエ』と同じ経緯になる。

 

『ヒストリエ』ではアレクサンドロスが単独で突っ込んだ後に、部下たちが合流している描写がある。

 

(9巻p.108)

 

『歴史叢書』ではアレクサンドロスが敵に裂け目を作るということに成功していて、後続のヘタイロイもそれと同じ成功をしたと言及されていて、『ヒストリエ』でもアレクサンドロスがした成功である、敵の裂け目の突破という成功を続くように部下たちが成していて、その辺りは『ヒストリエ』と全く重なっている。

 

そして、この『歴史叢書』には注釈があって、それには以下の内容が書かれている。

 

「ディオドロスの戦いの説明はあいまいで、分散した部分的な参照からの出来事の再構成ではかなり不正確である。マケドニア軍右翼のフィリッポスは同盟軍右翼のテバイ軍がアレクサンドロスによって散り散りになるまでアテナイ軍とは戦わなかったことは確実なようである。(同上)」

 

どうやらこれは原注のようで、有志の方が読んだ英訳の『歴史叢書』についていた注を翻訳したものであるらしい。

 

そこに、フィリッポスはアレクサンドロスによってテーバイ軍が散り散りにされるまで戦わなかったと言及されている。

 

これも『ヒストリエ』のカイロネイアの戦いと同様になる。

 

(9巻p.112,114)

 

『ヒストリエ』と『歴史叢書』の二つを並べて考えた場合、岩明先生は直上の文章を参考にしてこれを描いていると判断した方が妥当だろうと僕は考えていて、けれども、あの文章は英訳についている注釈になる。

 

解説書の内容から『ヒストリエ』のカイロネイアが描かれているという可能性は実際存在しているけれど、そうとするならば、その解説書の著者は、偶然、先の有志の方が参考にした英訳も参考にしていて、更にその注釈の文章をカイロネイアの戦いのくだりで言及していたという、かなり奇跡的な偶然がなければ、このような一致は考えられない。

 

そうとすると、やはり、岩明先生はネット上の『歴史叢書』の翻訳を読んでいると考えるのが素直なのではないかと僕は思う。

 

とはいえ、未知のテキストの存在は否定できなくて、そこにここで言及した内容が書かれていて、それを岩明先生が参考にしたという可能性はある。

 

だから、実際のところは分からないけれど、現状の理解だと岩明先生はネット上の『歴史叢書』を参考にしている可能性が高いという話です。

 

・追記

根本的に古代ギリシアに関心がないという事情から、そういう類の本はあまり読んでいなかったからこの記事を書いた時には知らなかったのだけれど、解説書の類には『歴史叢書』の情報は用いられていて、時にはその文章は引用されているらしい。

 

先の言及では英語の注釈の話があったけれども、研究者とて研究者の本は読むのであって、日本人の研究者が英語の先行研究を読むというのは考えられる話であって、そういう解説書の類に英語の注釈にあった情報が存在している可能性もある。

 

先達の見識は研究者同士で共有されるらしくて、その話に関してはイフィクラテスとカブリアスについての記事の追記で書かれている内容を知って、僕自身初めて知った。(参考)

 

フィリッポスの逸話に関する史書にない知識の研究者間の共有については、結局、みんな同じように先行の研究者の本や論文を読んで同じように誤解していたというのが実際のようで、先行する研究者の見解は、研究者同士で共有されるものであるらしい。

 

考えるに、おそらく、日本にはカイロネイアの戦いに関する言及のある解説書が存在していていて、そこに戦いの経緯の話があって、その話は英語の注釈にある研究者の見解に関する情報が用いられていたりして、そういう経緯で『ヒストリエ』の描写があるのではないかと今の僕は想定している。

 

追記以上。

 

次。

 

・『地中海世界史』について

岩明先生がこの本を読んでいるという話は、前回の「『ヒストリエ』の参考文献リスト」の記事に何故そうと言えるかについての言及がある(参考)。

 

まぁ書いてある以上のことはないけれど、大体、『ヒストリエ』の5巻から12巻くらいまでのフィリッポスの動向については概ね、この本が元になっているということで良いと思う。

 

というか、フィリッポスに関しては他に良い資料があんまりなくて、そもそも『地中海世界史』には『フィリッポス史』という別名もある。

 

一応、地中海世界の歴史についての本だから、フィリッポスより前のマケドニア王家の話もあって、エウメネスがエウリュディケにマケドニア王家に嫁いでもろくなことはないと言っている理由がこの本を読めば分かる。多分。(未読)

 

(10巻p.174)

 

実際、『ヒストリエ』でそのような展開になるかはまた別の問題だけど、『地中海世界史』の記述だと、マケドニア王家に嫁いだエウリュディケは我が子もろとも惨殺されている。

 

「(オリュンピアスは)この後、自分とピリッポスとの結婚が離縁となる原因となったクレオパトラに、まずその娘を[母の]膝の上で殺した後、首つりで生を終えることを強いた。そして、ぶら下がった死体を見物して、夫殺しで遅れていた復讐を果たした。(ポンペイウス・トグロス 『地中海世界史』 合阪學訳 京都大学学術出版会 1998年 pp.164-165)」

 

 

 

 

ここで言うクレオパトラはエウリュディケの事で、『ヒストリエ』ではクレオパトラと呼ばれていない。

 

まぁクレオパトラという名前で呼ぶと、読者が要らない勘違いをするからそういう配慮だと思う。

 

『地中海世界史』には、フィリッポスの暗殺に関して二つの説が載せられていて、一つはパウサニアスが性的な辱めを受け、その報復をフィリッポス王に願ったけれどそれが叶えられないことに業を煮やして、パウサニアスがフィリッポスを殺害したというもので、もう一つはオリュンピアスがパウサニアスを唆したというそれになる。

 

『ヒストリエ』に関しては後者が選ばれたようで、そのようにしてオリュンピアスはパウサニアスを唆してフィリッポスの暗殺をさせた後に、離縁の理由となったエウリュディケを殺したと『地中海世界史』には書いてある。

 

けれども、『ヒストリエ』では完全に『地中海世界史』の記述をなぞっていることはないし、様々なことが『地中海世界史』の言及と違っていて、参考にはされているだろうけれど、そのまま『地中海世界史』の展開にはならないだろうと僕は考えていて、それが故に先のエウリュディケの『地中海世界史』での最後を引用した。

 

実際、どうなるかは…13巻収録分くらいで明らかになるんですかね…?(無知)

 

次。

 

・『アレクサンドロス大王東征記およびインド誌』について

これに関しては「エウメネスのインド遠征について(参考)」の記事に追記で書いた通りで、ブーケファラスの顔の模様の話はこの本が出典らしい。

 

本来的にはその顔の模様についての文章を引用することが望ましいのだけれど、僕はこの本の岩波文庫の翻訳は下巻しか持っていないので、今引用することは出来ない。

 

将来的にAmazonで一円で売っているのに出会ったり、ブックオフで売っているのを見つけたら買う予定で、それが出来たら追記でその文章を引用しましょうね。

 

どうでも良いけど、ブーケファラスの値段が13タラントンだという話は、プルタルコスの『英雄伝』が出典です。

 

「テッサリアー人のフィロニーコスがフィリッポスのところへ十三タラントンで売るつもりでブーケファラースを引いて来た(プルタルコス 『プルターク英雄 9巻』 河野与一訳 岩波文庫 1956年 p.13 旧字は新字へ、注釈は省略)」

 

(7巻p.13)

 

次。

 

・ネポスの『英雄伝』について

一応、この本にはエウメネスについての記述があるのだけれど、以前の僕は、岩明先生はこの本を別に読んでいないのではないかと考えていた。

 

それには訳があって、この本にはエウメネスに関する言及がある一方で、あんまり…『ヒストリエ』とは重なっていない。

 

だから、かつての僕は読んでないんじゃね?と思ったということがあって、けれども、後に色々確かめたら、どうやら読んでいるらしいということが分かった。

 

それは、ネポスの『英雄伝』のフォーキオンの記述を読み直している時に理解した事柄になる。

 

 

 

ネポスの『英雄伝』のフォーキオンの項には以下の記述がある。

 

「ポキオンは、しばしば軍隊を指揮し、最高の官職を手にしたが、その高潔な生活態度は軍事面での働きよりもはるかに人口に膾炙している。だからこそ今日では後者の記憶は無に近いに等しいのに対して前者の誉れは大きく、そこから別名「高士」と呼びならわされているのである。実際何度も官職に就き、国民によって与えられた最高の権力を手にしていたので、莫大な財産を築くことができたのにもかかわらず、つねに清貧を旨とした。(ネポス『英雄伝』上村健二他訳 叢書アレクサンドロス図書館 1995年 p.130)」

 

ポキオンというのはフォーキオンのラテン語読みです。

 

ここにフォーキオンの綽名として「高士」という言葉がある。

 

そして、『ヒストリエ』のフォーキオンも「高士」と呼ばれている。

 

(9巻p.66)

 

この「高士」というのは一般的な訳ではないらしくて、ネポスの『英雄伝』の注釈には以下の言及がある。

 

「 ポキオンを「高士」(bonus)とすることに関しては、アイリアノス『ギリシア奇談集』十二・四十三参照。「高士」の訳語については同翻訳(岩波文庫)松平千秋先生の訳語を使わせていただいた。(同上p.133)」

 

フォーキオンの綽名を高士と訳すのは特別なことらしくて、わざわざ岩波文庫の『ギリシア奇談集』の松平千秋の訳語を用いたと注釈で言及されている。

 

僕はその『ギリシア奇談集』の翻訳を図書館で借りて確かめたけど、特に気になる言及でもない。

 

「「高士(クレーストス)」と呼ばれたポキオンの父は、擂粉木(すりこぎ)職人であったという(アイリアノス 『ギリシア奇談集』 松平千秋他訳 1986年p.340)」

 

こっちではクレーストスと書かれていて、ネポスの『英雄伝』ではbonusになっていて、おそらくはネポスはラテン語で著作を書いていて、クレーストスのラテン語訳がbonusなのだろうと思う。

 

そのbonusを訳すに際してニュアンスが難しいから、松平が使った「高士」を使いますよということを注釈で言及しているということで良いと思う。

 

ともかく、『ギリシア奇談集』の言及だと「高士」という表現は気になるところではない一方で、ネポスの方は注釈の存在によって非常に印象的な言及になっている。

 

僕自身、ネポスの『英雄伝』の本文を読んでいても特にその事は気にならなかったのだけれど、注釈を見て、「ん?」と思って、「『ヒストリエ』でも「高士」って言ってなかったっけ?」と思って確かめたら『ヒストリエ』でも「高士」と呼んでいると分かったという経緯がある。

 

おそらく、岩明先生はネポスの『英雄伝』を読んでいて、僕が今引用した翻訳や注釈を読んで、『ヒストリエ』のフォーキオンの話の材料として使ったが故に、彼の綽名に「高士」という語が使われているのだと思う。

 

ちなみに、以前英語で色々グーグル検索でフォーキオンについて調べた時にクレーストスの英訳が検出されて、フォーキオンの綽名は「Good man」とされていた。

 

直訳すると良い人とかそんな感じで、おそらく、ギリシア語でもそんな感じの言葉がクレーストスなのだと思う。

 

そうとすると、「高士」というのはかなり意訳の部分があるから、ネポスの『英雄伝』の注釈にはその言及があるということで良いと思う。

 

グッドマンなんてちょい役の影のスタンド使いしか知らないんだよなぁ…。

 

ともかく、僕自身はネポスの『英雄伝』は碌に読んでないけれど、現状だと僕は岩明先生はこの本を読んでいると判断している。

 

その判断が覆るには、「高士」という語を使っているフォーキオンに関する言及のある資料の存在が必要だけど、そんなもん存在しないんじゃないっすかね…?

 

ちなみに、プルタルコスの『英雄伝』には「高士」などの表現は存在していませんでした。

 

ただ、やはりベースはプルタルコスの『英雄伝』のようで、ネポスの方だとフォーキオンについてはアレクサンドロスの死後の話しか言及されていないし、他の資料でもその辺りは同じだし、詳しい話があるのはプルタルコスの『英雄伝』のフォーキオンの列伝だけになる。

 

だから、基本的にフォーキオンの情報はプルタルコスの『英雄伝』由来だという話は以前書いた通り変わらない。

 

そうそう、アイリアノスの『ギリシア奇談集』についてもついでだから書いていくことにする。

 

この本に色々なギリシアの小話をただ集めただけの本で、この本にはエウメネスに関する言及が二つ存在していて、一つは、エウメネスがアレクサンドロスの書記官として残した記述について、アイリアノスが読んでいたという話があった。

 

アレクサンドロスは酒癖が悪くて、よく飲んで二日酔いで一日を潰していたという話で、そうとすると毎日しっかり進軍について言及のあるエウメネスの話と合致しないから、その飲み過ぎでダウンしてた話か、エウメネスの記述のどちらかが間違いなのだろうという話をアッリアノスはしていた。

 

『ギリシア奇談集』にはもう一つエウメネスの話があって、エウメネスの親は笛吹きだったとかなんとか。

 

「エウメネスの父は弔いの折に笛を吹くのを業とする貧しい男であったと信じられている。(同上アイリアノスp.340)」

 

これは卑賤な身分から立身出世したという逸話がある人物をただ列記しているだけの話で、その中でエウメネスが貧しい出身だったという話がされている。

 

ただ、個人的にこの風聞は間違いだと思う。

 

エウメネスは書記官として働いていて、貧しかったら文字の読み書きなんて学べないのだから、市民として教育を受けられるような身分の出ではあったと思う。

 

頑張れば文字の読み書きは貧しくても習得できるかもだけれど、王の書記官として相応しい教養を貧しい身分で得るというのは難しいと思う。

 

この『ギリシア奇談集』の記述を岩明先生が読んでいるかどうかは定かではない。

 

でも読んでいたら、幼少期にエウメネスやその父親に笛に関する描写を入れるのではないかと思うし、実際、『ヒストリエ』でエウメネスは笛と一切の関係性がない以上、とにかく、『ギリシア奇談集』のエウメネスの記述は『ヒストリエ』と関係性を持っていないという理解で良いと思う。

 

 

 

 

次。

 

・ポリュアイノスの『戦術書』について

これは…もうなんというか、岩明先生は読んでますね。

 

何故と言うと、『ヘウレーカ』の参考文献リストの二番目に名前挙げられてますもの。

 

 

 

 

僕は色々あって『戦術書』を手元に持っている。

 

Amazonでね、なんとなしに『戦術書』を見てみたらね、1300円+送料で売りに出されていたの。

 

僕は『戦術書』を買いたいとは思っていなかったけれど、こういう場合買わないとどうなるかは分かっていて、この値段で売りに出されることは今後ないということが分かっていたから、要らないし読みもしない『戦術書』をその場で注文している。

 

実際、その振る舞いは正解だったようで、今現在見たら一万弱だもんなぁ、この本。

 

 

僕は個人的に『ソクラテス以前哲学者断片集』という本を集めていて、その二巻が以前、3000円で売っていた。

 

でも他の巻は千円ちょっとで全部僕は買っていたから、高けぇよ、と思って、購入を見送った。

 

けれども、3000円が底値だったらしくて、今現在だと2万6千円とかする。

 

僕はこういう本は安いうちに買わないとこうなるということを知っていたので、要らないと思いつつ『戦術書』を買っている。

 

いやまぁ、Amazonのそれまでの出品価格の推移を表示してくれるKeepaってアドオンをChromeに入れてるから、『戦術書』がかつて1300円とかそんな値段で売りに出されていたことはそんなにないとか、これまでの平均価格とかも分かって、安くて三千円で、高くて一万越えって分かってたから、ここで買わなあかんと思って買っただけなんだけど。

 

ちなみに、未だに『ソクラテス以前哲学者断片集』の2巻は買えていません。(激怒)

 

そもそも、『戦術書』をわざわざ買ったのは、あのような本は図書館にすら置いていないという事情が存在するからになる。

 

ネポスの『英雄伝』にしてもそうなんだけど、あのような本は大学の図書館を除くと、都道府県に一冊あるかないかレベルの本になる。

 

少なくとも僕が住んでいる都道府県では、ネポスの『英雄伝』もポリュアイノスの『戦術書』も、一~二か所にしか置いていなかったりするし、他の都道府県でも調べたけれど、やっぱり県に一冊とかそういうレベルでしか置いていない。

 

だから僕は嫌々ながら『戦術書』を買ったわけで、けれどもまぁ『ヒストリエ』の材料には間違いなく使われてはいることは確かだと思う。

 

ただ、根本的にこの本に興味がないので、僕はパラパラとしか見ていないし、ネポスの『英雄伝』の場合のように、『ヒストリエ』に直接つながる何かを見つけられているわけではない。

 

けれども、岩明先生はこの本を確実に読んでいて、『ヘウレーカ』の参考文献リストの二番目にこの本は挙げられているし、実際、『ヘウレーカ』に関連する言及は確かめていて、確実に岩明先生は『ヘウレーカ』の材料にこの本を使っているということは分かっている。

 

『ヘウレーカ』でローマ軍が最後、シラクサを攻め落とす際に足掛かりとして使った崩れた城壁の話はこの『戦術書』のマルケルスの列伝が出典らしい。

 

まぁもっとも、『ヘウレーカ』にしたところで一番最初に参考文献リストに名前を挙げているのはプルタルコスの『英雄伝』で、僕は『英雄伝』のマルケルスの列伝の『ヘウレーカ』に関係するところだけを読んでいるけれど、実際、『ヘウレーカ』のベースはプルタルコスの『英雄伝』だろうということが分かっている。

 

『ヒストリエ』にしても結局、プルタルコスの『英雄伝』が全てのベースで、アレクサンドロスにしてもエウメネスにしても、『英雄伝』の情報が一番用いられている。

 

それらの本について、僕は拾うような形でそれぞれ読んでいるけれど、実際、プルタルコスの『英雄伝』が読んでいて最も面白い。

 

きっと、岩明先生にしてもその辺りは同じで、面白いと思ったからこそ、プルタルコスの『英雄伝』を下敷きに色々書いているのだと思う。

 

これくらいかな…?

 

本来的に、11巻で行われたエウリュディケ毒殺未遂の元ネタとか、クセノフォンの『馬術について』とか色々調べ上げていたからそういう話をする予定だったのだけれど、多分、これ以上は文字数オーバーで公開出来なくなるので、今回はとにかくこの内容で公開することにする。

 

まぁ残った分は来月とか後々書いて公開すればいいよ。

 

そもそも…『ヒストリエ』なんて単行本派が大多数で、結局の所、僕が書いている『ヒストリエ』に関する何かは単行本が出ない限りそんなに読まれない。

 

次にこのサイトで大きなアクセス数が見込めるのは、『ヒストリエ』の12巻を読んで、十数年ぶりに出て来たアルケノルを見て、「なんだこのおっさん!?」と思った人が、アルケノルで検索して、僕が書いたアルケノルについてのねっとりとした調査の記事がグーグルあたりで検出されたときになる。

 

だから、12巻が出るまではほぼほぼどの記事もあまり読まれないと分かっているし、その12巻に関しては、もう今年は出ないだろうので、そんなに急く理由もない。

 

そもそも、『ヒストリエ』がアフタヌーンに掲載されるたびに、自分が書いたものが間違っていたのではないかと戦々兢々としながらしかアフタヌーンをめくれないわけで、色々やっていて辛い部分がある。

 

まぁ今月分、つまりはアフタヌーン2021年7月号に掲載された『ヒストリエ』だと、僕が予想していた通りの展開が予期できる描写がされたりしていて、その辺りは胸をなでおろしていた部分がある。

 

ネタバレになるからどういうことかは書かないけど。

 

そんな感じです。

 

では。