『ヒストリエ』の原作について | 胙豆

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『ヒストリエ』の11巻がやっとこさ今月発売されるので、『ヒストリエ』の原作について書いていくことにする。

 

『ヒストリエ』の原作についての話なのだから、以下の内容は当然の権利のようにネタバレを含みます。

 

結論だけ先に書いておくと、『ヒストリエ』のベースはおそらくプルタルコスの『英雄伝』(『対比列伝』)で、更に言えば岩波文庫から1954年に出た河野与一訳の『プルターク英雄伝』です。

 

具体的にはこれ。

 

 

プルタルコスは英語でプルタークで、岩波文庫では『プルターク英雄伝』という表記が用いられている。

 

もうちょっとちゃんとした商品のリンクを貼りたかったけれども、岩波文庫のサイトを見たら絶版で、更には在庫もないらしくて、どうせアフィリエイト収入なんて生じないから適当なリンクを用意した。

 

このプルタルコスの著作は高校の世界史では『対比列伝』と習うのだけれども、岩波文庫からは『英雄伝』のタイトルで出ている。

 

僕は『ヒストリエ』の種々の描写からこの本の特にエウメネスについての記述が『ヒストリエ』のベースだと考えているし、今回した調査の結果もそれを支持する内容となった。

 

岩波文庫の『プルターク英雄伝』の8巻には、エウメネスの列伝が収録されている。

 

 

『ヒストリエ』全体の物語を考えるに、岩明先生は全12冊の『プルターク英雄伝』の全てを読んでいる様子ではあるけれども、特に8巻のエウメネスの物語が『ヒストリエ』の原作と言っていいと思う。

 

以下では何故『ヒストリエ』の原作が岩波文庫の『プルターク英雄伝』と言えるのかについて色々書いていく。

 

以前、僕は『ヒストリエ』の物語のベースがプルタルコスの『英雄伝』(『対比列伝』)であるのだろうという話をした。(参考)

 

この『英雄伝』なのだけれども、僕は岩波文庫の旧字体で書かれたものしか持っていなくて、けれども、筑摩書房から『英雄伝』の翻訳は出ているから、岩明先生はまぁそっちを読んだのだろうとずっと考えていた。

 

けれども問題が一つあって、少し前にこの筑摩書房の『英雄伝』は部分訳で、エウメネスの列伝は載っていないと僕は知った。

 

となると、『英雄伝』が原作の場合、岩明先生はあの旧字体の本を読んだということになってしまう。

 

僕としては『ヒストリエ』のベースは『英雄伝』だという確信に近い認識があるのだけれども、それが少しこのことで揺らいでしまうことになった。

 

僕はそれでも『英雄伝』が『ヒストリエ』の骨子だと考えていて、それを確かにするにはどうすれば良いのかを考えた。

 

考えた結果、日本に存在して、『ヒストリエ』が執筆される前に存在していたエウメネスに関する文献を全部読めば良いという結論に至った。

 

そして、この前近所の大学の図書館に行って、把握している限りで日本語訳が出ていて、岩明先生が『ヒストリエ』連載前に読める出版年のエウメネスに関する文献を全部確かめてきたので、その調査結果について書いていく。

 

まずなのだけれど、歴史上の人物であるエウメネスはいくらかの本でその事績について言及があって、いくらかそれは日本語訳がされている。

 

『ヒストリエ』の元ネタを考えるならば、その本が出版されたのは『ヒストリエ』の連載前でなければならない。

 

『英雄伝』も今現在だと完訳が出版されているのだけれども、『ヒストリエ』の連載より後に出ているので、この本を岩明先生が読んだとは想定できない。

 

他の本について言えば、Wikipediaのエウメネスの記事に記述がある。(参考)

 

概説書の内容を元に『ヒストリエ』を描いている可能性はあるのだけれども、そのような概説書には名前すら出てこないだろうどうでもいい人物であるアッタロスやネアルコス、ハルパロスが『ヒストリエ』には登場するのであって、そういう人物のことを考えると、やはり、エウメネスに言及のある原典訳の資料をあたったと考えたほうが良いと思う。

 

Wikipediaのカルディアのエウメネスの記事には以下のテキストが紹介されている。

 

コルネリウス・ネポス 『ネポス 英雄伝』 
ポリュアイノス 『戦術書』
プルタルコス 『対比列伝』
ポンペイウス・トログス 『地中海世界史』
フラウィオス・アッリアノス 『アレクサンドロス東征記およびインド誌』

 

この中のポンペイウス・トグロスの『地中海世界史』以外の全てを図書館で確認してきた。

 

『地中海世界史』を確認していないのは、純粋に…調査しに行った当日にその存在を忘れていたからになる。

 

本当はそれも含めて確かめた上で書きたかったけれども、7月中はテスト期間でその大学の図書館は利用できないと調査した日に受付の人に言われたので、今回はこのまま押し通すことにする。

 

『地中海世界史』を除いたそれらの本のエウメネスに関する記述を全部読むのは良いのだけれども、ただ読むだけでは岩明先生がどれを読んで『ヒストリエ』を描いているかは判断できない。

 

そこでどうすれば『ヒストリエ』の原作を推定できるのだろうと考えたのだけれども、僕は文章中に言及のある人物名を比較することによって、それを比定できるのではないかと考えた。

 

どういうことかというと、それぞれネポスの『英雄伝』、ポリュアイノスの『戦術書』、プルタルコスの『英雄伝』、『アレクサンドロス東征記およびインド誌』を確かめて、それぞれの本の中で最も『ヒストリエ』の登場人物の言及が多いそれが、『ヒストリエ』に最も影響を与えているだろうと想定して、僕はそれを確かめに図書館に行った。

 

そもそも、『ヒストリエ』で言及のある人物、特にマケドニアの将軍たちは、プルタルコスの『英雄伝』の中で言及のある人物が多くて、作業をする前からコイノス将軍とポリュダマス以外の全員の名前がプルタルコスの『英雄伝』で確認できることは把握していた。

 

(岩明均『ヒストリエ』8巻p.178)

 

(5巻p.162)

 

作業の後にコイノスについてもネットでコイノスのスペルを調べて、英語版の『英雄伝』でコイノスで検索をかけたらしっかりとアレクサンドロスの列伝で登場しているということが分かった。

 

ポリュダマスは英語のスペルが分からないから調べられなかったけれども、逆に言えばポリュダマス以外は基本的にプルタルコスの『英雄伝』の中で言及がある。(追記:ポリュダマスに関してはコメントで彼についてスペルまで教えて頂きました。詳しい話はコメント欄での応答を確かめてください。)

 

だから、他のテキストを読む前からまぁ、大体、プルタルコスの『英雄伝』が元だろうとは考えていたのだけれども、実際、検証をしてみて、思いの外、他のテキストには『ヒストリエ』に繋がることが書かれていないということが分かった。

 

検証する前の段階だと、もっと他のテキストは『ヒストリエ』の内容に近いと思っていたのだけれども、読んでみたら存外にそんなことはなくて、ネポスの『英雄伝』も、ポリュアイノスの『戦術書』も、『ヒストリエ』の内容とはあまり重なるところが多くなかった。

 

そもそも、ネポスの『英雄伝』にも、ポリュアイノスの『戦術書』にも、メナンドロスが出てこないんだよな。

 

(岩明均『ヒストリエ』5巻p.58)

 

一方でプルタルコスの『英雄伝』にはしっかりとメナンドロスは出てきていて、エウメネスと絡みがある。

 

まぁまんまWikipediaのメナンドロスの記事の最後の方に書かれている内容が『英雄伝』に言及のあるメナンドロスの事績だから、それを読めば良いと思う。(参考)

 

一応、『アレクサンドロス東征記およびインド誌』にはメナンドロスの名前は出てくるのだけれど、それも含めてとにかく、順番に一つ一つ今回調査した本と『ヒストリエ』の内容を比較していくことにする。

 

まず『アレクサンドロス東征記およびインド誌』という本はアレクサンドロスのペルシア征服とインド遠征、それに加えてネアルコスのインド洋航海について書かれた本なのだけれど、この本はそもそもエウメネスの記述自体が少なくて、エウメネスが出てくるところとメナンドロスが出てくるところは全部読んだけれども、『ヒストリエ』と重なるところはなかった。

 

この手の本は巻末に索引があって、用語や人物の一覧があいうえお順とかで掲載されていて、それを見れば何ページに誰が出てくるかを確認できる。

 

それを使って全ての本のエウメネスの記述を確かめたのだけれども、『アレクサンドロス東征記およびインド誌』の場合は、

1、ヒュダスペス戦後の小作戦で騎兵隊を率いた。

2、ヘファイスティオンと仲違いした。

3、その仲違い後にヘファイスティオンが死んだため、勘繰りを恐れて哀悼の先頭に立った。

4、アルタバゾスの娘たち(バルシネら)がエウメネスにも与えられた。

5、インドで船隊を率いるときに居た。

 

くらいの記述しか存在していない。

 

メナンドロスについては、

1、リデュア太守に任命された。

2、リデュアから部隊を率いてバビロンに来た。

 

という記述しかない。

 

他の記述は分厚い本だったから確認していないのだけれども、エウメネスとメナンドロスに関してはあまり『ヒストリエ』と重ならないと判断したほうが良いと思う。

 

加えて、『アレクサンドロス東征記およびインド誌』にはフォーキオンもデモステネスも記述が存在していない。

 

一方で、プルタルコスの『英雄伝』にはフォーキオンとデモステネスの列伝がある所を見ると、『アレクサンドロス東征記およびインド誌』はプルタルコスの『英雄伝』ほどには『ヒストリエ』に与えていないのだろうと思う。

 

次に、ポリュアイノスの『戦術書』について。

 

この本にもエウメネスに関する記述があって、

1、アンティパトロスが先頭の一部だけを騎兵隊で構成した騎兵隊"もどき"を率いて相手を脅かして逃亡させたという戦略を用いたが、エウメネスも後にそれをやった。

2、アンティゴノスとエウメネスが戦った。

3、病に倒れたエウメネスは担架で運ばれることになったが、敵が迫っており、それに際して敢えて丘の上で自分を担架から降ろすように指示し、その事で敵に伏兵を匂わせて追跡をやめさせた。

4、自分の指示に従わない同僚に対し、策略を用いて従わせることに成功した。

5、ペウケスタスに兵権を奪われそうになった時、偽の手紙を捏造して兵士たちを騙してそれを阻止した。

6、兵が少ない所を夜に篝火を多く焚かせることで、敵に兵数を見誤らせた。

7、敵の輸送部隊を前にして、兵士たちがそれを奪おうと盛り上がっているところを、敢えて相手にこちらの存在を教えることによって、警備を厳重にさせて、味方に襲撃を諦めさせた。

 

という記述がされている。

 

全体的に『ヒストリエ』のエウメネスがそれらを行うというのは矛盾があるところではないけれど、別に『ヒストリエ』に直接つながるような話ではない。

 

どれを読んでも『ヒストリエ』の描写の元になっているような話は、エウメネスに関する記述の中から見つけることが出来なかった。

 

加えて、『戦術書』にはフィリッポスの話も収録されているのだけれど、そこで素描されるフィリッポスの人物像があまり『ヒストリエ』のフィリッポスと重ならない。

 

例えば、こんな話がある。

 

ピリッポスってのはフィリッポスのことね。

 

「 ピリッポスと格闘家のメテゲテスがレスリング場で相撲をとっていた。そこへ兵隊たちが来て、二人を取り囲み、給料を支払えと要求した。金のないピリッポスは、体から汗を滴らせ、あちこちに砂をつけたままで彼らの前に歩み寄り、「兵士諸君、君たちの言っていることは正しい。しかしこの私も、まさにそのことのために、つまりいかにしたら諸君らの好意に対して何倍もの礼を返せるだろうかと、そのことを考えながらいまこうして夷狄に向かうべく香油を体に塗っているのだ」と笑いながら言った。こう言って手を叩いたあと、彼は兵隊たちのあいだを抜け、プールに飛び込んだ。マケドニア兵たちも、安堵して笑い声をあげた。酒の席でピリッポスはしばしばこの一件に触れ、いかにして自分が兵士たちの要求を礼を失わせずにはねつけたか―――これも戦術であろう――を語ったものであった。(ポリュアイノス『叢書アレクサンドリア図書館 第六巻 戦術書』 戸部順一訳 国文社 1999年p.168)」

 

…つまりどういうことなのかマジで良く分かんないけれども、それはさておき、『ヒストリエ』の11巻収録分ではフィリッポスの若い頃の話があるのだけれど、その若き日のフィリッポスや既に『ヒストリエ』で描かれているフィリッポスと『戦術書』のフィリッポスは重ならない。

 

他にはカイロネイアの戦いについての記述もあるけれど、これも『ヒストリエ』と重ならない。

 

「カイロネイアの会戦でのこと。ピリッポスは、アテナイ兵が短気で体を鍛えておらず、そのうえ苛立っているのに比し、マケドニアの兵隊たちが戦闘訓練を良く積み、肉体の鍛錬も十分なのを確認すると、故意に戦闘を長引かせた。するとアテナイ兵たちは緊張に耐えられず、たいして抵抗もせずに降伏してしまった。(同上)」

 

『ヒストリエ』のカイロネイアの戦いは、引き付けて引き付けて、一気に押し返すという展開だったのであって、『戦術書』の記述内容とは違いが大きい。

 

『戦術書』には"英雄"カレスの記述もあるけれども、『ヒストリエ』に描かれるカレスと違って、普通に優秀な人物として言及されている。

 

(7巻p.194)

 

(8巻pp.6-7)

 

『ヒストリエ』にポリュアイノスの『戦術書』は影響を与えているとは判断できる材料は特に見つけられなかったから、あんまり岩明先生はこの本を『ヒストリエ』の素材として用いていない様子がある。

 

・追記

後々、岩明先生はこの『戦術書』を読んでいるということが分かった。

 

僕自身最近まで見落としていたのだけれど、岩明先生の『ヘウレーカ』の単行本の最後の方に、参考文献一覧があって、そこにポリュアイノスの『戦術書』の名前が確認できる。

 

だから、岩明先生はこの本を実際読んでいて、ただ、現状だとエウメネスに関してはあんまり材料として用いていないのかなと思う。

 

追記以上。

 

次はネポスの『英雄伝』なのだけれども、これにはしっかりエウメネスの項が存在している。

 

そもそも、岩明先生はインタビューで、まず歴史上の武将を主人公にした物語を作りたいと思って、その際、「どんな性格の人物か」ではなく、「何をした人物か」という目で、歴史の本をいろいろ読んだと言及している。(参考)

 

歴史上の武将を主人公にするために歴史書を読むとなると、概説書の類よりも遥かに、『英雄伝』などのように個人個人の事績をまとめた本の方が有用だと思う。

 

じゃあネポスの『英雄伝』を岩明先生が読んだかなのだけれども、読んでいたとしてもあんまり『ヒストリエ』の材料としては使われていないのではないかと思う。

 

何故というと、いやまぁさっき書いたように、ネポスの『英雄伝』にはメナンドロス出てきませんし。

 

勿論それだけでネポスの『英雄伝』が『ヒストリエ』の原作ではないだろうという話をしているのではなくて、ネポスの『英雄伝』は『ヒストリエ』と重ならない所が多い。

 

プルタルコスの『英雄伝』だとエウメネスは拳闘を得意としたと判断できる言及がある。

 

「まだ子供だった頃、フィリッポスがその町に滞在して暇なときに、カルディアーの少年の拳闘や相撲の競技を見たが、中でもエウメネースがうまくやって知恵と勇気を示したのがフィリッポスに気に入られて召し抱えられた。(プルタルコス『プルターク英雄伝』河野 与一訳 岩波文庫 1955年 pp.40 注釈省略 旧字体は新字体へ)」

 

そして、『ヒストリエ』のエウメネスも拳闘を得意としている。

 

(『ヒストリエ』2巻p.20)

 

けれども、ネポスの『英雄伝』にはその記述はない。

 

また、『ヒストリエ』においてレオンナトスは気まぐれなお調子者だと思われたけれども意外と義理堅いと言及されている。

 

(同上6巻p.117)

 

一方でネポスの『英雄伝』のレオンナトスはそんな感じではない。

 

「レオンナトゥスはマケドニアを手に入れることをもくろむと、多くの気前のよい約束を武器にして、ペルディッカスを裏切り自分の仲間に加わるようエウメネスを説得しようと試み、これが不可能とわかると、今度は殺害を企てた。この試みは、エウメネスが夜中に守備兵の目をかすめて脱出していなければ成功していたであろう。(ネポス『叢書アレクサンドリア図書館 三巻 英雄伝』 国文社 1995年 pp.118-119)」

 

嫌な奴っすね…ネポスの『英雄伝』のレオンナトス…。

 

反対にプルタルコスの『英雄伝』のレオンナトスは『ヒストリエ』で描かれるレオンナトスと重なる部分がある。

 

以下はエウメネスが王から与えられた土地がまだ未征服だったので、平定のための兵をアンティゴノスから借りようとしたけれども、アンティゴノスに断られたからレオンナトスに借りようとしたときの話です。

 

「ところでアンティゴノスは既に思い上がってすべての人を無視していたので、ペルディッカースの寄越した命令書を問題としなかったが、レオンナトスは奥地からフリュギアーへ出て来て、エウメネースのためにこの遠征を引き受けようとした。ところがカルディアーの独裁者ヘカタイオスがやってきて、それよりも寧ろアンティパトロス及びラミアで攻撃されているマケドニア軍を救援するように頼んだので、レオンナトスはギリシャに渡ることを決し、エウメネースに同行を勧めてヘカタイオスと仲直りさせようとした。と云うのは、この二人が親の代から政治的な不和に基づく疑念を互いに懐いていて、エウメネースは度々公然とヘカタイオスの独裁政を非難し、カルディア―の住民に自由を回復させることをアレクサンドロスにも勧めていたのである。そこでこの時もエウメネースはギリシャに対する遠征を拒み、アンティパトロスが前々から自分を憎んでいるからヘカタイオスを喜ばせるために自分を殺すことを恐れているのだと云うと、レオンナトスはこの人を見込んで、自分の心に懐いていたことを何一つ包み隠さずに打ち明けた。この饗宴は名目と口実で、実は海を渡ると直ぐにマケドニアを要求する決心なのだと云った。その上クレオパトラ―と結婚するからペルラー(注:マケドニアの首都ペラ)に来てくれと云っている手紙を幾つか見せた。しかしエウメネースはアンティパトロスを恐れたためか、それともレオンナトスが気紛れな人でとかく不誠実な性急に駆られるところに愛想を尽かしたためか、夜の間に自分の荷物を纏めて立ち去った。(同『プルターク英雄伝』p.44 注は引用者補足)」

 

先の『ヒストリエ』のレオンナトス描写の後にネポスの『英雄伝』の記述が来るは一回闇落ちでもしない限り不可能だけれども、プルタルコスの『英雄伝』の方では矛盾しない。

 

プルタルコスの『英雄伝』ではレオンナトスはエウメネスに好意的だけれども、実際、『ヒストリエ』の11巻では、レオンナトスがエウメネスに悪くない意味で関心を抱いている描写があって、おそらくはこの場面のための伏線なのだと思う。

 

…物理的に回収できない伏線を貼ってもなぁ…とは思うけれども。

 

そういえば、プルタルコスの『英雄伝』をカタカタ書き写しながら気づいたのだけれども、エウメネスとヘカタイオスの間に諍いがあるという話は、ネポスの方には載っていないんだよな。

 

勿論『戦術書』にも 『アレクサンドロス東征記およびインド誌』にも載っていない。

 

更に言えば、エウメネスとかいうクソ程どうでもいい人物と仲が悪い人物なんて歴史的にどうでもいいわけであって、その人物について古代ギリシアの概説書に言及があるとは想定できないのであって、やはり、『ヒストリエ』の古代ギリシア理解は概説書だけに留まらないと理解したほうが良いと思う。

 

アンティパトロスがエウメネスのことを恨んでいると先の引用にあって、『ヒストリエ』では今のところまだエウメネスと何か起きたわけではないけれど、人物の性向や性格と違って関係性は今後の展開でいくらでも変化し得るのであって、個人的にそのことは問題ではないと思う。

 

…まぁ、国家の中枢に関わる人物と王の左腕候補に選ばれたとはいえ未だに木っ端の役人であるエウメネスが不和になるにはそれなりにエピソードが必要で、『ヒストリエ』ではまだ描く段階に至ってないだけかと。

 

不仲になるのはエウリュディケの件だったりするのかね。

 

分からないけれども。

 

…そういえば、『ヒストリエ』ではエウメネスがアンティパトロス宅への訪問を断っている描写が存在している。

 

(7巻p.150)

 

エウメネスがアンティパトロスに媚びないという描写は、後のアンティパトロスとの対立のための伏線だったりするのかもしれないね。

 

次に、日本にネポスの『英雄伝』は一つしか翻訳がないのだけれども、この翻訳では人物名がラテン語読みになっている。

 

レオンナトスはレオンナトゥスになっているし、ヘファイスティオンはヘパイスティオに、アンティパトロスはアンティパテルになっている。

 

一方で『ヒストリエ』はギリシア読みなっている。

 

プルタルコスの『英雄伝』については、ギリシア読みなのは『ヒストリエ』と同じだけれども、ギリシア語の発音を再現してエウメネースになっている。

 

古いテキストだとこのように伸ばすのだけれども、最近のテキストだと冗長だからか伸ばすところは再現されていない。

 

実際のギリシア読みだとソクラテスはソークラテースと言うらしくて、けれども今はソクラテスと呼ぶのであって、そこら辺は時代に合わせて伸ばさなくなったのだと思う。

 

『ヒストリエ』に関しても、現在だと伸ばさないのがスタンダードだから、それに合わせたと考えればまぁ問題はないと思う。

 

…毎回毎回、エウメネースとかヘーファイスティオーンとか書かれたら読みづらいから、そういう配慮なのかもしれない。

 

他にはプルタルコスの方ではバルシネの名前が出て来て、一方で『ヒストリエ』でもバルシネが重要っぽい役柄で出ていて、けれどもネポスの方には言及がない。

 

『ヒストリエ』ではエウメネスが机上の名将だという話がある。

 

(5巻pp.123-125)

 

けれども、ネポスの『英雄伝』ではその話はなくて、一方でプルタルコスの方にはしっかりある。

 

「盾兵の隊長ネオプトレモスがアレクサンドロスの死後、自分は盾と槍を持って、エウメネースは筆と書きもの板を持って大王に従って行ったと述べた時に、マケドニアの人々が嘲笑したのは、エウメネースがいろいろの名誉を持っていた他に親戚関係からも大王に引立てられたのを知っていたからである。(同上『プルターク英雄伝』p.40)」

 

親戚関係云々はバルシネとの結婚の話で、『ヒストリエ』に既に登場しているバルシネをアレクサンドロスは配偶者とするのだけれども、その妹で同名のバルシネという人物とエウメネスは結婚する。

 

要するにアレクサンドロスとエウメネスは配偶者を通して親戚関係にあって、先の引用ではその話をしている。

 

とにかく、そういう風にプルタルコスの方ではネオプトレモスがそれを引き合いに出す程度には書記官であったということがあまり良くないと判断され得るようなそれであるということが分かる。

 

『ヒストリエ』でも書記官出身であるという事柄がある程度重要な話として描かれていて、そのことは武官たちからは良く思われていない部分もある様子である。

 

(10巻p.188)

 

一方で、ネポスの『英雄伝』ではむしろ、書記官であったということが名誉ある事であったと言及されている。

 

「エウメネスはごく若いころ、アミュンタスの息子ピリッポスに気に入られ、やがてこの王〔ピリップ二世〕になにかと目をかけてもらうようになった。青春時代からすでにその卓抜な才能は輝いていたのである。それゆえピリッポスは彼を書記官として側に置くことにした。これはギリシアではローマにおけるより遥かに栄誉ある地位である。すなわち、わが国で書記官は雇われた人と考えられているし事実そのとおりであるが、ギリシアでは逆に、家柄が良く忠誠心と熱意が認められなければこの職に就くことはない。必然的に国家の重要機密のすべてを知ることになるからである。エウメネスは七年間ピリッポスの下で側近の地位を占めたが、ピリップスが暗殺されると、同じ職をアレクサンデルのもとで十三年務めた。(同上ネポスpp.117-118)」

 

ともかく、ネポスの『英雄伝』と『ヒストリエ』の書記官という職業の捉え方には差があって、ネポスを『ヒストリエ』が参考にしているようには読み取れない。

 

…一応、お手元のネポスの『英雄伝』の複写したテキストを確かめていけば、もう少し『ヒストリエ』のエウメネスと重ならない部分を挙げることはできるのだろうけれども、これ以上やってもあんまり意味があるとも思えないので以上にする。

 

個人的な印象として、このネポスの『英雄伝』はあまり『ヒストリエ』の参考とはされていない様に感じる部分がある。

 

・追記

後に岩明先生がこの本を読んでいるらしいということが明らかになった。

 

『ヒストリエ』ではフォーキオンが登場するけれども、その綽名として"高士"という語が使われている。

 

どうやら、その話はネポスの『英雄伝』が元らしい。

 

その話はこの記事を書いてから二年くらい後に書いた、「『ヒストリエ』の参考文献について」の記事に詳しくどういうことかは書いた。

 

加えて、そういう風に綽名に関してはネポスの『英雄伝』が由来になっているだろうけれども、フォーキオンの物語自体については、ほぼほぼプルタルコスの『英雄伝』が元だという話は違う記事で僕が言及していて、「『ヒストリエ』のフォーキオンについて」の記事でねっとりと色々書いている。

 

それらの記事は漫画の記事の目次のページから読めるので、疑わしいという場合はその記述を読んで正誤については判断してもらうとして、フォーキオン一つをとってもやはりプルタルコスの『英雄伝』が一番材料として使われているし、原作と呼んで差し支えないのはプルタルコスだけだし、エウメネスに関してもやはりプルタルコスが最も『ヒストリエ』の描写と重なっている。

 

まぁ…ネポスとプルタルコスの比較だけでも、十分にその話は分かってはもらえているとは思うけれど。

 

追記以上。

 

ネポスの『英雄伝』に関してはそんな感じだけれど、一方で、プルタルコスの『英雄伝』は読んでいるし、『ヒストリエ』のエウメネスの物語の骨格もプルタルコスの『英雄伝』であるという印象を僕は受ける。

 

『ヒストリエ』ではエウメネスは兵士たちの前で演説めいたことを行っていてその弁舌の優れているところは描写されているのだけれど、プルタルコスの『英雄伝』でもエウメネスは兵士たちの前で演説を行う。

 

(1巻pp.90-92)

 

プルタルコスのテキスト以外ではその演説は見られないから、もうプルタルコスの『英雄伝』を岩明先生は読んでいるということで良いと思う。

 

・追記

『地中海世界史』にもその演説は言及があるということが後に分かった。

 

けれども、『英雄伝』と違ってその描写には感動も何もなくて、何とも言えない情けないそれになっていて、そのためにエウメネスの演説得意設定を『ヒストリエ』で用意するとは思えないので、やはり、エウメネスの口が回る設定は、プルタルコスの『英雄伝』に由来するのだろうと思う。

 

僕がその演説読んだ感想が「ダッサ…」だったからね…。

 

そんな演説のために演説得意設定は普通用意しないわけであって、けれども『ヒストリエ』のエウメネスの口が回るのは、やはり『英雄伝』のあの演説を予定表的に想定しているからで、『英雄伝』のエウメネスの人間性や性格が『ヒストリエ』のエウメネスのベースだからだと僕は考えている。

 

追記以上。

 

総括するとエウメネスの事績について言及されていて、出版されている原典訳のどんなテキストを確かめても、プルタルコスの『英雄伝』程に『ヒストリエ』作中の描写と重なっているものは存在しないし、この『英雄伝』が『ヒストリエ』の原作と判断して問題はないだろうという話です。

 

…。

 

この記事ではネタバレ避けるためとか紙幅が足りないとか言った理由であえて言及してない、『ヒストリエ』とこの『英雄伝』作中の言及の重なる部分、書いてないだけでまだまだ滅茶苦茶あるからね…。

 

そういう風に岩明先生はプルタルコスの『英雄伝』を読んでいると判断した方が良いけれども、少し問題があって、プルタルコスの『英雄伝』は翻訳があんまりない。

 

今だと西洋古典叢書というシリーズから完訳が出版されているのだけれども、これは2007年に一冊目が出版で、『ヒストリエ』に間に合わない。

 

『英雄伝』で描かれるエウメネスに感銘を受けて、それを漫画にしようと思ったとしたならば、1990年代か、遅くても2000年代の初めには翻訳が日本に存在してなければならない。

 

筑摩書房から1966年にプルタルコスの『英雄伝』は出ているけれども、これは部分訳で、肝心のエウメネスの話が翻訳されていない。

 

他には戦前に翻訳されたものがいくらかあって、国立国会図書館のサイトで確認できて、Wikipediaの『対比列伝』の記事から飛べるけれども(参考)、確認した限りだと文語体だったり、部分訳であったり、下手したらひらがなすらも用いられていなかったりしていた。

 

…どうでもいいけれど、部分訳のことは抄訳(しょうやく)とも表現できて、僕は大学生になるまで抄訳という言葉は知らなかったからこの記事では抄訳という言葉は避けて、部分訳という表現を努めて使っているのだけれど、Wikipediaの抄訳の部分が誤変換で生薬になってますね…。

 

 

体に良さそう。(小学生並みの感想)

 

それはさておいて、まぁなんつーか、プルタルコスの『英雄伝』の完訳は岩波文庫のやつを除けば戦前に出たようなものしかなくて、そんな昔に書かれたものをわざわざ買って読むか?と思うし、そんなものよりも岩波文庫から出ている『プルターク英雄伝』は入手しやすいし、普通に岩明先生が読んだのはこれだと思う。

 

岩明先生は岩波文庫を読むような人で、ほぼ間違いなく岩波文庫で『イリアス』を読んでいる。(参考)

 

しかも読んだであろう『イリアス』は新訳の方で、わざわざ古い翻訳を選ぶような性質は岩明先生にないだろうと判断できる。

 

種々の描写から岩明先生はプルタルコスの『英雄伝』を読んでいる可能性が高くて、エウメネスの話が載っている『英雄伝』の翻訳で入手がしやすいものは岩波文庫の『プルターク英雄伝』くらいしかない所を考えると、『ヒストリエ』の原作は岩波文庫の『プルターク英雄伝』と言ってしまって良いと思う。

 

他の英雄伝は戦前の本だったり、入手困難だったり、肝心のエウメネスの話が載ってなかったりであるということを考えると、岩明先生が読んだのは岩波文庫の『プルターク英雄伝』だと思う。

 

ただ、問題があって、岩波文庫の『プルターク英雄伝』は旧字体で書かれている。

 

塩が鹽と書かれていたりする。

 

だから昔の僕は岩明先生が読んだのはこれじゃないだろうと思っていたのだけれども、新字体の本は部分訳でエウメネスの話が載ってないし、エウメネスの話が載ってるのはもう旧字体の本しか残っていない。

 

散々に示したように『ヒストリエ』が『英雄伝』と情報を共有していて、岩明先生は『英雄伝』を読んだのはほぼ確実である以上、現状、旧字体の『プルターク英雄伝』を読んだとしか判断できない。

 

じゃあ、そんな旧字体の本なんて読めるのか?ということが問題だけれども、僕の経験から考えると読めると思う。

 

よくよく思い出してみれば僕が旧字体の本で初めて読んだのは岩波文庫の『プルターク英雄伝』で、知らない漢字を調べつつとはいえ、普通に読めていたのだから、特別な訓練無しでも別に読める。

 

最近、僕は日本語訳がそれしかないからとかそう言った理由で、大正時代に出版された旧字体で文語体の古代中国のテキストの翻訳を読んでいるけれども、慣れればそこまで読んでてつらくはない。

 

正確には本文は漢文の書き下し文で読んでて辛いけれども、解説の方の旧字体で文語体の文章は別に問題なく読めている。

 

考えてみれば、昔の日本人はこれを普通に読んでいたわけで、文法的な決まりごとは一切同じで、ただ表記が違うだけなのだから、僕みたいな専門的な教育を受けていない人間でも読める程度のものになる。

 

現状だと岩明先生が読めるテキストが岩波文庫のそれしか存在していない以上、岩明先生はそれを読んだと判断していいのではないかと思う。

 

今後、その判断を訂正する材料が集まったら考えを改めるだけなのだけれども…多分、そんな出来事は起きないんじゃないかな…。

 

だって、他に『英雄伝』の翻訳、ロクなものないですし、プルタルコスの『英雄伝』以外のエウメネスの話はあんまり『ヒストリエ』と関係性が見当たりませんし。

 

という、『ヒストリエ』の原作についてのねっとりとした調査の話。

 

僕が行うこういう調査は毎回地獄みたいな辛さがあることが大半なのだけれども、今回は比較的楽だった。

 

まぁ、朝から国立国会図書館に行って、68冊分のアフタヌーンを順番に借りて行って、夕方までページをめくり続けて複写が必要なページをメモって、特定の作者のコメントを書き写し続けるという作業よりはそりゃ、楽なのは当たり前なのだけれども。

 

でも、それよりこの前の漫画の解説のためにアリストテレスの『天体論』を読む作業の方がつらかったです…。

 

そんな感じ。

 

とりあえずは以上になる。

 

では。

 

・追記

後日、読み逃したポンペイウス・トグロスの『地中海世界史』を改めて確認したのだけれども、どうやら、比較的最近の『ヒストリエ』の物語がこの『地中海世界史』を元に描かれているらしいということが判明した。

 

そのことは上の内容を書いた後に行った事前調査で既に分かっていたのだけれど、実際にお手元に届いた『地中海世界史』を軽く読んでみたところ、思いの外、『ヒストリエ』は『地中海世界史』に強く影響を受けているということが分かった。

 

本来的にこの記事は『ヒストリエ』の11巻発売に合わせて公開するつもりだったのだけれども、『地中海世界史』の記述内容が『ヒストリエ』に出てくるパウサニアスの元ネタであるということが分かって、『ヒストリエ』の11巻はパウサニアスの話がメインだから、だったらその内容を11巻の発売に合わせて公開すれば良いと思って、この記事はもう公開してしまうことにする。

 

ちなみに『地中海世界史』は近所の図書館にはないからまた大学の図書館で借りなければ読めないと分かっていて、けれども大学の図書館は7月中はテスト期間で一般利用は出来ないそうで、一方で僕はどうしても『ヒストリエ』の11巻発売にあわせて元ネタについての記事を公開したかったから、背に腹は代えられないとしてその本をネットで買っている。

 

ブログ書いてアフィリエイト収入を得るとかなら分かるのだけれど、むしろ一円も利益はないのに大変な労力を使って漫画の解説を書いていて、今回はさらに自分で金払って書くことになった。

 

自分でも何を言ってるか分からない。

 

Amazonのほしいものリスト公開したら誰か買ってくれたりしないのかな…(遠い目)。

 

まぁとにかく、次の『ヒストリエ』の記事は11巻の発売日である2019年7月23日に。

 

その記事の予定地はここ。(参考)

 

僕の体力次第だけれど、発売日までには資料を読んで記事を作るのは間に合うと思う。

 

多分、おそらく、きっと。(追記:やんなかった)

 

・追記2

このサイトを読んで以下のように言っている人が居た。

(https://x.com/Matcha1919/status/1805544813724582039)

 

僕はこれを読んで、『ヘウレーカ』の参考資料リストの一番上に真っ先に岩明先生が名前を挙げていた『プルターク英雄伝』を原作と言っただけで、何故憤慨されなきゃならんのかと思った。

(岩明均『ヘウレーカ』p.259)

 

ただ、僕としてはこの方が言うように、僕とこの方とで"原作"という言葉の受け取り方が違うのだろうと思う所があって、僕がどのようなニュアンスで"原作"と言っているかは示した方が分かりやすいなと思ったので、僕が言う所の原作が何なのかを書き足すことにする。

 

…といっても、僕が使う原作という言葉は、辞書的な意味と同義でしかないのだけれど…。

 

(https://kotobank.jp/word/%E5%8E%9F%E4%BD%9C-491941)

 

僕はここで言う所の、改作や脚色の元になった作品という用法で原作という言葉を使っていて、けれども、先の人が理解するところの"原作"という言葉は、そのニュアンスは含まれていない様子がある。

 

先の方の二つ目の投稿を読む限り、この方にとっての"原作"は、最近の漫画作品がアニメになるような場合の"原作"というニュアンスしかないらしくて、漫画などの原作をそのまま別媒体に脚色少なく移植する場合の"原作"という語として捉えて、『ヒストリエ』はオリジナリティ溢れる作品なのに!と思ったという所に憤慨があるらしい。

 

…オリジナリティの否定なんて一度もしたことないんだよなぁ。

 

ただ、僕としては辞書的な意味で原作という言葉を使っただけなので、今後、こんな仕方で少し憤慨されてもこちらは困惑するだけで、憤慨されても寝耳に水なので、憤慨されないように追記で補完して置こうと思った。

 

あと、原作云々は僕が勝手に言っているだけなので、こんな信頼性の低い話、他に持ち出したりしない方が良いと思う。

 

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