『ヒストリエ』のイフィクラテス及びカブリアスについて | 胙豆

胙豆

傲慢さに屠られ、その肉を空虚に捧げられる。

漫画の記事の目次に戻る

 

書いていくことにする。

 

なんというか、タイトルから分かる通り、今回もカレスの時と同様に誰も得をしない内容です。

 

この記事は『ヒストリエ』の参考文献についての記事を書いた時に、本来的に一緒に書く予定だった話だったところが、アメブロの一つの記事あたりの許容文字数をオーバーしたために書ききれなかった内容についてになる。

 

だからまぁ、基本的に『ヒストリエ』の参考文献についてで、その中でイフィクラテスとカブリアスについての話をするから、どっちかの名前を表題に据えようと考えて、流石にカブリアスが『ヒストリエ』で言及されていると把握している人は極少数だろうので、まだ相対的に見てマシなクソであろうイフィクラテスの方を表題に持ってきただけの話になる。(追記:後に修正して二人とも表題に据えました)

 

『ヒストリエ』にはイフィクラテスという人物と、カブリアスという人物についての言及がある。

 

イフィクラテスについては、エウメネスがボアの村で迎撃の準備をしている時に名前が出てきている。

 

(岩明均『ヒストリエ』4巻pp.98-99 以下は簡略な表記とする)

 

ここでエウメネスが幼少期に会ったイフィクラテスについての話があって、彼が創意工夫の人で、長い槍を用いたという話がされている。

 

この話の出典について大体の見当がついたので、今回はまずそういうところの話からしていく。

 

イフィクラテスのエピソードについては一応、ポリュアイノスの『戦術書』とか、クセノフォンの『ギリシア史』とかも確認したのだけれど、槍を長くしたというエピソードはどうやらネポスの『英雄伝』が元らしいと分かっている。

 

『戦術書』に関してはお手元にあるから巻末にある索引でイフィクラテスの名前を確認して本文を確かめている。

 

一方で、クセノフォンの『ギリシア史』に関しては、調べたと言っても英訳の『ギリシア史』があるページに行って、イフィクラテスの英語のスペルでページ内検索をかけて、検出された前後の文章をグーグル翻訳にかけるだけの作業だから、少し精度に問題はあるかもだけれども、ともかくこの本のイフィクラテスについての記述は曲りなりに確かめている。

 

その作業の結果、『ギリシア史』にはイフィクラテスが創意工夫を軍隊で発揮したり、長い槍を使ったという話もないらしいということが分かったし、『戦術書』の方にもそういった話は存在していないということが分かっている。

 

まぁ『ギリシア史』に関しては確認の仕方的に、見落としがあって、その話があるのに見逃している可能性は拭えないけれど。

 

一方でネポスの『英雄伝』には創意工夫や長い槍の話があって、岩明先生はこのネポスの『英雄伝』を読んでいるらしいと僕によるねっとりとした調査(参考)で分かっているので、まぁ普通にそういう話はこの『英雄伝』が元なのだろうと思う。

 

その辺りは実際の文章を読んでみれば分かるかもしれない。

 

「 アテナエ人イピクラテスは、勲功の大きさもさることながら軍事上の知識で名声を得た人物である。彼は当代一流の将軍たちにひけを取らなかったばかりか、それ以前の時代にさえ彼に優る者が見当たらない程の名将だったのである。事実、長年戦争に明け暮れ、軍を統率することもしばしばあったが、自分の失敗で敗北を喫したことは一度もなかった。彼はつねに戦術によって勝利を収めたのだが、その戦術は非常に有効だったので、軍事上、一方では多くの革新をもたらし、他方では多くの改良を行うことになった。たとえば、彼は歩兵の装備を一変させた。この将軍以前には、歩兵は非常に大型の盾と短い槍と小型の剣を用いていたのに、彼はこれに反し、移動と攻撃をより身軽に行うために大盾に代えて軽盾(ペルタ)を採用し、――そのため歩兵はこれ以後ペルタスタエと呼ばれている―――槍の長さを倍にし、剣を長めにした。また胸当ての素材を変え、鎖や青銅の代わりに亜麻布のものを与えた。こうして彼は兵士を従来より軽快にした。重量を軽減しても以前と同様に身を守り、しかも身軽であるようにと考案したものであった。(コルネリウス・ネポス 『英雄伝』 村上健二他訳 国文社 1995年 p.73 下線部引用者)」

 

 

このように、ネポスの『英雄伝』には彼が創意工夫の人で、その工夫の一環として歩兵の装備を軽装且つそれまでの防御力を保ったそれに変更したり、今までの短い槍に代えて長い槍を採用したという話がここでされている。

 

この話の特に槍の長さを二倍にした件についてなのだけれど、どうやら原典訳のテキストの中でこの話をしているのはネポスの『英雄伝』だけらしくて、先に言及したようにクセノフォンの『ギリシア史』にもその記述は認められなかったし、この記事を書くためにお手元にあるポリュアイノスの『戦術書』を今読んだけれども、この本にも一切そういう話は書いてなかった。

 

…『戦術書』のイフィクラテスの記述は無駄に長くて、19ページにわたって彼の話が書かれていたけれど、この記事に反映できるような内容が一切なくて普通に舌打ちしました。(小学生並みの感想)

 

そういう風にイフィクラテスが槍を長くしたという話はネポスの『英雄伝』くらいしかないけれど、イフィクラテスに関してはおそらく、このネポス以外にも材料として何らかのテキストが用いられている可能性が高い。

 

何故と言うと、ネポスには『ヒストリエ』にあるように、彼が靴職人の息子だったという話と、戦用の靴を考案したという話がないからになる。

 

(同上p.99)

 

ネポスの『英雄伝』だとイフィクラテスは先に引用した内容の後に、トラキアやエジプトで活躍した話と、怠惰な人間だったけれどそれでも立派な市民だったという話、後のアレクサンドロスの母となるオリュンピアスを保護した話とかがされるだけで、もう『ヒストリエ』に関係があるだろう話はあれ以上ないし、親の話もなければ靴をどうこうした話もない。

 

そうとすると、靴職人の息子であるという話や、靴を改良したという話は他の資料に依っているということになる。

 

実際、イフィクラテスは靴職人の息子だったらしくて、その話は英語版のWikipediaのイフィクラテスのページにも書いてあるのだけれど、出典が現代の学者?が書いた地中海世界の将軍紹介の本になっていて、原初の出典が何処かはその情報からは分からないし、ドイツ語のページも確かめたけれどその辺りは良く分からなかったと言うか、ドイツ語のページだと靴職人の息子という話はされてなかった。

 

おそらく、岩明先生はその辺りについては、何らか、古代ギリシアの戦術関係について書かれた本を元にして描いているのではないかという推論がある。

 

それはカブリアスについての岩明先生の言及も判断材料になっている。

 

カブリアスってのはアレですね、フォーキオンの記事のときに言及した、フォーキオンが若い頃所属した傭兵部隊の隊長ですね。

 

『ヒストリエ』でもフォーキオンは若い頃傭兵部隊の副官として働いた話がされている。

 

(8巻p.28)

 

この若い頃従軍した傭兵部隊の隊長がカブリアスで、そのカブリアスは『ヒストリエ』の原作であるプルタルコスの『英雄伝』にも言及がある。

 

「(フォーキオンは)まだ若い頃将軍のカブリアースに接近してこれに随いて廻り、戦争の経験に於ていろいろな益を受けたが、場合によってはこの人のむらな激しい天性を正したこともある。カブリアースは不断緩慢で容易に動かない人であったけれども、キオスでは真っ先に三段櫂船を進め、上陸を強行して、疑もなくそのために命を失った。さてフォーキーンは安全を期すると共に勇敢なはたらきを示し、カブリアースの躊躇するのを激励したかと思うと、又その時期を弁えない鋭い攻撃を抑えた。(プルタルコス 『プルターク英雄伝 9巻』 河野与一訳 岩波文庫 1956年 p.188)」

 

 

カブリアスは優秀な将軍であるけれどむらっけのある人で、テンション上がって上陸を強行して死んだような人だけれど、死ぬ前にその激しい気性をフォーキオンが上手く手綱を握って戦闘で優位に立ち回ったということもあったという説話で、フォーキオンの優秀さの説明になる。

 

このカブリアスさんなのだけれど、実は『ヒストリエ』に名前が出てきている。

 

ただ、それは本編ではなくて、8巻の単行本の表紙の袖の部分で言及されている。

 

「身に役立つならばためらわず、

異国の文化・価値観すらも謙虚に、

しかし貪欲に取り入れる。

そんな合理主義者たちが

古代アテネにもいた。

その一人が傭兵隊長カブリアス。

彼が中近東やエジプトの地で身につけ

祖国に持ち帰った軍事面での新機軸は、

その後に次世代・他国人のフィリッポス王にも

大きく影響を与えたという。

そしてそのカブリアスが、

自らの右腕として目をかけた

一人の真面目なアテネの青年が、

やがて齢六十を過ぎた頃に

強国マケドニアと対峙する。

(『ヒストリエ』8巻 表紙袖より)」

 

これは『ヒストリエ』の8巻でぽっと出でいきなりマケドニア軍を蹴散らしたフォーキオンの説明で、カブリアスという将軍は優秀な人物で、その薫陶を受けたのがフォーキオンだという話で、この説明の中でカブリアスが異国の戦闘技術を持ち帰ったと言及されている。

 

このカブリアスについての説明なのだけれど、実際、ネポスの『英雄伝』でも、プルタルコスの『英雄伝』でも、ポリュアイノスの『戦術書』でも、クセノフォンの『ギリシア史』でも、ディオドロスの『歴史叢書』でも、その言及されるところの描写が合致していない。

 

どういうことかと言うと、今挙げた本の中だと、カブリアスが外国まで遠征したという話はあるのだけれど、そこで得た外国の戦術を自身の戦術に取り込んだという話は一切されていない。

 

少なくともその話に関しては、今僕が挙げた本の中に言及がなくて、何か違うテキストにその描写の由来があるのだろうと僕は考えている。

 

色々考えて僕は、このことはおそらく、何らかギリシアの戦術についてなどがまとめられた本に言及があって、その本を岩明先生が読んでいて、それを参考に『ヒストリエ』のカブリアスの言及や、イフィクラテスの槍の話がされているのではないかと思う。

 

ネポスの『英雄伝』で言及されるイフィクラテスの長い槍についてはさっき引用した内容で終わりで、その長い槍を更にフィリッポスが長くしたという話は『英雄伝』のイフィクラテスの所には言及がない。

 

(同上)

 

『ヒストリエ』だとこのようにイフィクラテスが靴職人の息子であるという話や、彼の槍を更に改良したフィリッポスの話がされているけれど、僕が確認した資料の中にその話がされているものは存在していない。

 

だから、それらの描写については違う資料を基に『ヒストリエ』は構築されていて、おそらくで確実性のある話ではないけれど、古代ギリシアの歴史や戦術についてまとめた本があって、そこにそのイフィクラテスの話や、フィリッポスがそれを改良した話、更にはカブリアスが外国から新戦術を持ち帰った話、そしてフィリッポスがその影響を受けているという話が書かれているのではないかと考えている。

 

歴史書で語られるところの点の出来事である、イフィクラテスが槍を長くしたという話と、フィリッポスが長い槍を使ったという話、カブリアスが海外での戦闘で優位に立ち回ったという話と、フィリッポスが優秀な戦術を用いたという話、それを概説的な説明で繋ぎ合わせたとしたならば、『ヒストリエ』で描写されるところの言及になってくるのではないかと僕は想定している。

 

そんな説明がされた本が存在していて、『ヒストリエ』はそれを参考にして描かれているのではないかと僕は思う。

 

そして、その本がどんな本かということについては、それは推論するに何らかフィリッポスについて書かれた本で、岩明先生がカイロネイアやフィリッポスの細かい話を描くに際してそのような情報が必要になって手に取った本で、フィリッポスの戦術を説明するために、時系列的にフィリッポスよりも早く長い槍を採用したイフィクラテスの話がされていて、そこに靴職人の息子であるという話と戦用の靴を考案したという話、そしてフィリッポスはカブリアスが持ち帰った戦術も自身のそれとして採用したという話がされているのではないかと思う。

 

実際、『ギリシア史』にしてもネポスの『英雄伝』にしても、カブリアスは海外に遠征したという話はされども、そこで新機軸の戦略を持ち帰ったという話はされていない。

 

ディオドロスの『歴史叢書』に関してもそこのところは同じで、そうとすると今挙げた以外の資料にこの記事で言及したカバーしきれない範囲の情報は他の何かに由来していると判断した方が妥当で、そうであるならば、やはり、何らかの概説書にその情報は依っているのではないかという推論がある。

 

実際、その頃のマケドニアについてというか、フィリッポスに書かれた新書が日本では出版されている。

 

 

この本はAmazonだと一応、目次が確認できたのだけれど、二章でフィリッポスによる軍制改革の話がされているから、もしかしたらこの本辺りなのかなとは思う一方で、岩明先生が実際にどのような資料を参考にしたのかは定かではない。

 

加えて、ディオドロスの『歴史叢書』にもイフィクラテスが兵装を改良したという話が書かれているのだけれど、それを読む限り、槍に関しては『ヒストリエ』とは真逆のことが言及されている。

 

44 私がイフィクラテスの際だった性格について知ったことを示すのは場違いなことではあるまい。というのも彼は諸事において巧みであり、あらゆる種類の有用な創意工夫における例外的な天賦の才を持っていたと記録されているからだ。それ故にペルシアの戦争での長い軍事行動の経験を得た後に彼は戦争の道具に多くの改良によって工夫を凝らし、とりわけ武器の改善に専心したと言われている。例えば、ギリシア人は大きくてそのために扱い難い盾を使っていたが、彼はそれを捨てて丁度よい大きさの小さい楕円形の盾を作り、これによって体を十分覆いつつも小さな盾を使用う者はその軽さのために完全に自由に動くという双方の目的で成功を収めた。新たな盾の取り組みの後、その簡単な操作は採用され、以前は〔ホプロンという名の〕重い盾の故にホプリタイと呼ばれていた歩兵は今度は彼らの持つ軽いペルタ〔という名の盾〕の故にペルタスタイと呼ばれた。標準的な槍と剣については彼は逆の方向に変化をもたらした。つまり、彼は槍の長さを半分にし、剣の大きさをほとんど二倍にした。それらの武器の実際の使用は初期の試験を裏付け、その実験での成功からこの将軍の創意工夫の才への大きな名誉をもたらした。彼は兵士の靴を脱ぎやすく軽くし、それらは今日に至るまで彼にちなんでイフィクラティダスと呼ばれている。また彼は戦争へと多くの有用な改良を導入したが、それらについて述べるのは退屈なことであろう。かくしてペルシア人のエジプト遠征はその実に大きな準備にも関わらず期待を裏切って最終的な失敗を証明したのであった。(参考 下線部引用者)」

 

ここでイフィクラテスは靴を改良したという話がされている一方で、『ヒストリエ』やネポスの『英雄伝』とは真逆に、槍を半分の長さに変えたという話がされている。

 

この文章を読んで困惑した僕は、今引用した文章の底本となっている英文の該当の箇所を確かめたけれど、本当に槍は短くしたと書いてあったから日本語訳の方の誤訳ではなくて、ネポスとディオドロスとでは採用した伝承が違うという話らしい。

 

さもなければ英訳が間違っているという可能性もあるけれど、過度に疑心暗鬼になっても仕方がないから、採用した伝承が違うという理解で進めていく。

 

・追記

その辺りは英語から日本語に訳するに際しての誤訳であるという可能性についてのご指摘をコメントで頂いた。

 

ただ、僕は英語が出来ないし、このような話は結局原典を当たらなければどうしようもない問題で、けれども、僕は古代ギリシア語を読める知り合いが居ないので、もうどうしようもありませんね…。

 

大学生の時に古代ギリシア語の授業が学科のそれとしてあったから、それを履修していれば読めたのかもしれないけれども、後の祭りだし、英語すらできないのにギリシア語なんてまぁ…。

 

追記以上。

 

これらの情報から分かることは、少なくとも槍の長さに関しては岩明先生は『ヒストリエ』で『歴史叢書』の情報を参考にはしていないだろうということ程度で、ただ、ディオドロスの方では他の資料では確認できなかった靴の改良の話がされている。

 

あくまで推論でしかないけれど、岩明先生が参考にした概説書のような本ではネポスの槍を長くしたという話が採用されていて、その槍を更にフィリッポスが長くしたという話もあって、けれども、ディオドロスが全く無視されたということもなく、『歴史叢書』に言及のある靴の改良の話は言及されていたのかなと僕は考えている。

 

最後に、挿入する場所がなかったからここに書くことにするけれど、『ヒストリエ』では優秀であると語られるところのイフィクラテスとカブリアスは、確かに軍人としては優れていた様子がある一方で、人格者であったかと言えば必ずしもそうではない様子がある。

 

イフィクラテスに関してはネポスの『英雄伝』において以下の記述がある。

 

「 さてイピクラテスは気高い精神と立派な体格と司令官にふさわしい風采の持ち主だったので、その外見だけであらゆるひとびとを感嘆させるほどだった。しかしテオポンプスが伝えるところでは、彼は労苦においてあまりに怠惰で、忍耐が足りなかったという。それでも彼は善き市民であり、信義に厚かった。(同上ネポスp.74)」

 

この話を現代に適応すると、才能に満ち溢れてるけど練習はしないスポーツ選手みたいな感じだろうか。

 

さもなければ仕事は出来るけど残業は一切しないで帰ったり、面倒な仕事はしないくせに、要所要所の重要な役割はこなすから上司の覚えがめでたい同僚ってところだろうか。

 

…後者の例はさておき、前者の例だとスッゲー嫌なやつだな、イフィクラテス。

 

カブリアスに関しては、先にフォーキオンのくだりで引用したように、性格にムラがある人だったのはそうなのだけれど、それだけではなくて金遣いも荒い人間だったらしい。

 

「 このときペルシア王の地方総督たちは、カブリアスがエジプト人に加担して王に対して戦争を仕かけようとしていると抗議するために、アテナエに使節を送った。アテナエ人はカブリアスに対して期日を指定し、それまでに帰国しなければ死刑の宣告を下すと通告した。その知らせを受けてカブリアスはアテナエに戻ったが、必要以上に長くはそこにはとどまらなかった。というのは、大衆の妬みを免れない程に豪勢に暮らし、奢侈にふけっていたので、同国人の目にさらされるのを好まなかったからである。

 実際、栄光に妬みがともなうことは自由な大国に共通の悪癖である。ひとは眼前に自分より高くそびえる者を貶めるのが好きで、貧乏人は裕福な他人の幸運を見ると平気ではいられないのである。それゆえカブリアスは事情が許す限り頻繁に出国していた。(同上ネポスp.77)」

 

このように金遣いが荒かったという話がネポスの『英雄伝』にあって、その話はアテナイオスの『食卓の賢人たち』でもされている。

 

「 『ピリッポス一代記』の第十三巻では、テオポンポスはアテナイのカブリアスについてこう語っている、「彼は都市では生活することができなかった。一つには彼は気儘で、彼流の暮らしをすると、生活費が莫大にかさんだからだが、一つにはアテナイ人のせいでもあった。というのは、アテナイ人はだれに対してもつらく当たる風があって、そのために、アテナイ人で名のある人々は、得てして国外で暮らす道を選んだ。(アテナイオス 『食卓の賢人たち 4巻』 柳沼重剛訳 京都大学学術出版会 2002年 p.366)」

 

 

このような説話が残っているけれど、どうやらこの記述はそれほど信頼できるものではないということに引用してて気が付いた。

 

イフィクラテスの悪口を言っているのはテオポンプスという人物で、カブリアスの浪費癖とアテナイ人の悪口を言っているのもテオポンポスという人物で、おそらく両者は同一人物で彼は『ピリッポス一代記』という本を書いていて、その本でその話がされている様子がある。

 

『ピリッポス一代記』という表題の本なのだから、フィリッポスの偉業を書き綴ったそれが想定出来て、おそらく、彼はマケドニア視点から色々書いていて、マケドニアから見て敵であったアテネの将軍たちは悪く描かれているだけなのではないかと思う。

 

今の引用の文章の後にはカレスの記事の前半で引用した、カレスがグズでのろまだったという話が続いていて、テオポンポスは反アテネの立場から色々書いているだけで、実際はそこまで言われるほどでもなかったのかもしれない。

 

とりあえず、イフィクラテスとカブリアスについては以上だけれど、この内容は本来的に去年の11月頃に書こうと思いついたそれになる。

 

けれども書いたのは次の年の7月で、何故かと言えば、言及する内容が色々としち面倒な話で、色々な参考文献を確認しなければならなくて、その説明も滅茶苦茶大変だし、やったところで誰も得をしないとやる前から分かっていたからになる。

 

だから、種々の記事で『ヒストリエ』の参考文献について2の記事を作りたくないって言及してたんですね。

 

実際、英訳のクセノフォンの『ギリシア史』のページに行って、英語でイフィクラテスと検索かけて出て来た34か所の記述全てをグーグル翻訳にかけて、長い槍の話をしてないかを確かめる作業とか、やってて気が狂いそうだった。

 

その作業はカブリアスでも外国由来の新機軸の戦術についてでやっている。

 

手元に日本語訳の『ギリシア史』があれば楽だったのだけれど、ぶっちゃけ『ヒストリエ』には興味あっても古代ギリシアに興味ないし、あれ買うと高いし、近所の図書館にも置いてないからどうしようもなかった。

 

 

 

興味がない本に5000円は出せないし、部屋には『漢書』とか『墨子』、原始仏典とかウパニシャッド、『延長された表現型』とか『動物の賢さがわかるほど人間は賢いのか』とかが読まれずに埃が被っている。

 

 

それらの本があるというのに大して興味のない古代ギリシアの、記述している時代的にほとんど『ヒストリエ』の解説記事に役に立たないと分かっている『ギリシア史』という本を読もうという動機が僕の中に存在しない。

 

そもそも、今挙げた本の中だと個人的に進化論関係以外にはそれほど重要な価値もないと考えているから色々ねぇ…。

 

…一応、『ヒストリエ』に関してはメモ帳にはまだ言及していない事柄について5個のトピックスが残されているけれど、文字数が個人的な規定量を越えたので以上にする。

 

大体5000字以上を目安として書いているけれど、この記事は既に9000字を越えている。

 

今月はイフィクテスとかの話をしたくないがために、ネアルコスで一つ記事を書こうかと思ったけれど、めんどくさくなっ…書く内容が上手くまとまらなくて挫折したという経緯があるので、再来月くらいにネアルコスで記事を一つ拵えて、そこに残りのトピックスをドバっと詰め込むという形にしようかなと思う。

 

こんな表題の記事、実際殆ど誰も読まないからここで書いてもあんまり意味はないからね、しょうがないね。

 

では。

 

・追記

Twitterで特に意味もなくイフィクラテスで検索をかけたら以下の呟きが検出された。

 

 

このつぶやきをした方を僕は知っているわけではないから、色々と推論が入るけれど、この方は古代ギリシア関係の概説書を読んでいて、その概説書にフィリッポスはテーベの人質時代にエパミノンダスのところで世話になったとは書かれていても、戦術を学んだとまでは書いてないよと言及されているそれに出会って、それについてのこの方の見解についての話なのだと思う。

 

この記述を鑑みるに、おそらく、フィリッポスがイフィクラテスの影響で長い槍を戦術に用いたと説明するような概説書が存在しているのだと思う。

 

けれども、当時のことが書かれた歴史書にはそこまでは書かれておらず、先人の薫陶を受けてフィリッポスが長槍を用いたという話はあくまで推論でしかないという話という理解で良いと思う。

 

この記事では、歴史書ではフィリッポスは別にイフィクラテスを真似たとかそういう話はないけれど、概説書とかだとその辺りを想像力で補って、フィリッポスがイフィクラテスを倣ったという話になっている場合があって、そのようなことが書かれた資料を岩明先生は参考にしているのではないかと言及した。

 

おそらく、本当にそういう風に書かれた概説書が存在していて、『ヒストリエ』のあの描写はそういうところから来ているのだと思う。

 

(同上)

 

そして、カブリアスについても、歴史書だと彼が外征をしたと書いてあっても、そこで新機軸の戦術を学んだという記述が見つからないと僕は言及していて、そこについても同じように学んだと書かれている概説書が存在しているのかもしれない。

 

そのような概説的な理解についての話はこの記事でもしようかと思ったのだけれども、話がそれてしまうのでその話をするのをやめたということを覚えている。

 

概説的な説明になると、定説的な理解というか、古くからある考え方は実は根拠がなかったり、事実無根だったりするという場合が実際ある。

 

例えば、仏教だと仏陀は苦行をしないことを推奨したと概説書に平然と書かれている場合があるけれど、原始仏典を読んでいると割と仏教徒は苦行をしているし、仏陀が牛糞や大便を食う話もあるし、原始仏教は哲学だったとかそういう説明があるけれど、原始仏典だと哲学的な話はあまり存在していない。

 

よっぽど大乗仏教の方が哲学的な話は多い。

 

他の例だと、古代中国の春秋時代では戦争はあっても国々はあまり滅ぼされることがなかったとか、実際Wikipediaの「春秋戦国時代」の記事にも書かれているのだけれど、当時のことが書かれた『春秋左氏伝』や『国語』を実際に読んでみると、ガンガン国家は滅ぼされているし、王の血族である姫姓の国々も、当然の権利のように滅ぼされているし、戦国時代より春秋時代の方がむしろ滅んでいる国は多い。

 

だから、そういう概説的な説明は結構間違っているということもあって、イフィクラテスの長槍をフィリッポスが受け継いだという話について、どっかの研究者が適当言ったことが定説になっているのではないかという話もしようかと思ったけれど、確証がある話でもないし、この記事の本旨とも関係がないので、省いたという経緯がある。

 

ただ、どうやらそういう風な説明を行っている概説書があるようなので、『ヒストリエ』のイフィクラテスとフィリッポスの長い槍の話はそういう概説書的なテキストに由来する描写だろうし、おそらく、カブリアスが外国で新機軸の戦術を身につけたという話も、そのような概説的な書籍に何らか記述があって、『ヒストリエ』8巻の袖のページの言及になっているのだろうと思う。

 

まぁ結局岩明先生がどんな資料を読んだかは分からないから、実際のところどうなのかは判然としないのだけれど。

 

漫画の記事の目次に戻る