『ヒストリエ』の11巻が本日発売されたので色々書いていく。
僕はこの前、『ヒストリエ』の原作が何なのかについてねっとりとした調査を行った。(参考)
調査の結果『ヒストリエ』の原作が岩波文庫から出ているプルタルコスの『英雄伝』ということが分かったのだけれども、一方で資料とイチャイチャしていたら色々分かったことがあって、そういうことについてこれから色々書いていく。
以下では当然の権利のようにネタバレがあります。
まず、エウメネスのインド遠征について。
史実でアレクサンドロスはペルシアを征服後、インド遠征に行っている。
そのことはアッリアノスというローマ時代のギリシア人の本に言及がある。
これは日本だと、『アレクサンドロス大王東征記』という表題で、ネアルコスが行ったインド近海の航海についての本である『インド誌』とセットで岩波文庫から上下巻で出ていて、比較的容易に入手することが出来る。
アレクサンドロスはインドまで遠征に行っていて、そのインド遠征はおそらく『ヒストリエ』でも予定されていて、エウメネス自身もそれに同行する予定だと思う。
『ヒストリエ』の物語だと全体的に知らない遠くへ行くということがエウメネスの目的のように扱われている。
(岩明均『ヒストリエ』5巻pp.31-32 以下は簡略な表記とする)
エウメネスはこのように考えていて、そのエウメネスの目的を見透かしたフィリッポスは、エウメネスに「「地球」の裏側を見てみたいのだろう」と言っている。
(5巻p.104)
このような描写があって、一方でアレクサンドロスはインド遠征を行っているということを考えると、『ヒストリエ』のエウメネスがそれに行かないということは中々に想定しづらい。
そして実際問題として、エウメネスはアッリアノスの言及の中で、インド遠征に参加している記述が存在している。
「 ヒュダスペス川の岸辺に〔川下りの〕船団の準備が完了するとアレクサンドロスは、これまでの内陸遠征に従軍してきたポイニキア人、キュプロス人、エジプト人をのこらず選び出した上、彼らの中から海事に明るい者を選抜し、その者たちを水夫や漕ぎ手として船に乗り込ませた。軍中にはまたこれも、海事にも馴れた島育ちの男どもも少なからず居たし、それにイオニア人やヘッレスポントス出身の者たちもいたのである。すなわち…(中略)。アンピポリスの出身者としては…(中略)。オレスティスの出身者としては…(中略)。エオルダイア人としては…(中略)。ギリシア人のうちからはオクシュテミスの子でラリサ人のメディオス、ヒエロニュモスの子でカルディア出身のエウメネス、プラトンの子でコス人のクリトブロス、それにマンドロドロスの子トアスとマンドロゲネスの子マイアンドロス…(中略)。キュプロス人のうちからは…(中略)。そればかりか三段橈船艤装奉仕の担当者のなかにはペルシア人もいたのであった。(フラウィオス・アッリアノス『アレクサンドロス東征記およびインド誌 本文編』 大牟田章訳 1996年 p.977 下線は引用者)
書き写すのも大変だし、読む人も見づらいだろうから大分端折ったけれども、 ヒュダスペス川は現代だとジュエルム川と呼ばれていて、インドを流れる川で、その川を下ったメンバーの中にエウメネスの名前があって、そういう風にエウメネスがインドに行ったという記述がしっかり『アレクサンドロス東征記』には存在している。
だから、僕は岩明先生は『ヒストリエ』において、アレクサンドロスのインド遠征にエウメネスを同行させるつもりであるだろうと思う。
勿論、ここにエウメネスの名前が出ているからという理由だけでそうだと言っているのではなくて、例え『アレクサンドロス東征記』にそう書いてあるからと言って、岩明先生がそれを読んでなければ『ヒストリエ』のエウメネスがインドに行くという話にはならない。
けれども、同じ個所でネアルコスの記述が存在している。
「軍中にはまたこれも、海事にもの馴れた島育ちの男どもも少なからず居たし、それにイオニア人やヘッレスポントス出身の者たちもいたのである。すなわちアミュントルの子ヘパイスティオン、エウヌウスの子レオンナトス、アガトクレスの子リュシマコス、ティマンドロスの子アスクレピオドロス、クレイニアスの子アルコン、アテナイオスの子デモニコス、アナクシドトスの子ティマンテス、以上は全てペッラ出身者。またアンピポリス出身者としては(クレテ生まれの) アンドロティモスの子ネアルコス、これは沿岸航海に関して記録を綴ったひとだが、それにラリコスの子ラオメドンとカッリストラトスの小アンドロテネス。(同上)」
ここでネアルコスの名前が出ている。
クレテってのはクレタのことね。
ネアルコスは僕がこの前読んだ資料の中にもちょいちょい名前だけは出てくるのだけれども、注釈以外では碌に言及がない。
一方で『アレクサンドロス大王東征記』では沿岸航海の記録を書くことが出来る人物として言及されている。
そして、『ヒストリエ』のネアルコスは、"そのようなこと"に明るいと言及されている。
(6巻p.118)
ネアルコスが航海についての能力を持っていたと言及が引用以外であるテキストをこの本以外で僕は確認できてない。
岩明先生とて何処かでネアルコスがそのような能力を持っていたと知るということがなければこのような描写はできない以上、何処かそういう記述を読んで知ったのだろうという推論があって、それが何処かを考えるなら、『インド誌』だろうと思う。
このネアルコスはプルタルコスの『英雄伝』のエウメネスの物語にも登場していて、彼はエウメネスと敵対するアンティゴノス陣営の人なのだけれども、エウメネスに同情的な人物として彼を弁護している。
逆に言えばネアルコスについての記述はその程度で、僕が知っている範囲ではネアルコスが海運に何らか親しみがあるという記述は他に知らない。
総合的に考えて、『ヒストリエ』のネアルコスの記述はアッリアノスの『インド誌』に由来すると考えていいと思う。
英語版のWikipediaのネアルコスの記事を確かめたけれども、基本的にネアルコスについてはアッリアノスのテキストにしか言及がないらしくて、そうとするとやはり、『ヒストリエ』のネアルコスの描写も『インド誌』に由来するものだと考えていいと思う。
そして、岩明先生が『インド誌』を元にネアルコスを描いたとするならば、エウメネスがインド遠征に同行したということも知っているということであって、おそらく、そのことからエウメネスの遠くへ旅に行きたい人物であるというパーソナリティーが構想されているのだと思う。
加えて、岩明先生はヘロドトスの『歴史』を読んでいる様子があって、そこに描かれる未知の世界への憧憬がエウメネスのキャラクターに与えているものがあるのかもしれない。
で、そのインド遠征について書いてあるアッリアノスの本なのだけれども、岩波文庫から出ている。
一応、同じ人の翻訳が他の出版社からも出ているのだけれども、岩明先生の傾向性から考えて、普通に岩波文庫の『アレクサンドロス東征記―付インド誌』を読んだと思う。
僕が読んだのは東海大学出版のものだけれども、翻訳者が同じだから内容自体は同じで、けれども、同じ翻訳文でも本によって訳者の後書きが変わったりするから、岩明先生と同じテキストを読みたいというのなら、岩波文庫版を読んだ方が良いと思う。
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アレクサンドロス大王東征記〈下〉―付・インド誌 (岩波文庫)
1,188円
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気になったお友達は図書館で借りたり借りなかったりしてください。
・追記
何となしに『プルターク英雄伝』のエウメネスの話に軽く目を通したら以下の文章が存在していた。
「 次にアレクサンドロスは外の海(インド洋)に船を出してネアルコス(クレーテー島の人。アレクサンドロスの友人。この時インドス河からインド及びペルシャの海岸を探検してティグリス河に達したが、その忠実な記録は後の後の歴史家の重要な資料となった。)を派遣しようとしたが、王の庫に金がないので友人から集めた。(プルタルコス『プルターク英雄伝』河野 与一訳 岩波文庫 1955年 pp.40 旧字体は新字体へ)」
前に読んだときは気にも留めなかったけれども、『プルターク英雄伝』にネアルコスが海運に造詣があるということについて書いてあったんですね…。
そうとすると岩明先生は『アレクサンドロス大王東征記およびインド誌』を読んでいるとは言えなくなってしまった。
とは言っても、個人的にそれでも岩明先生はあの本を読んでいるのではないかなと思っている。
何故というと、『地中海世界史』やプルタルコスの『英雄伝』は確実に読んでいるし、よくよく『ヒストリエ』の内容を確かめたらトゥキディデスの『戦史』やクセノフォンの『アナバシス』、そして『小品集』を岩明先生は読んでいる様子があって、特にトゥキディデスやクセノフォンは『ヒストリエ』の時代に関係ない一方で、『ヒストリエ』の作中の出来事についての記録である『アレクサンドロス大王東征記およびインド誌』を読んでいないとは想定しがたいからになる。
まぁ個人的には読んでいると思うよ。
・追記2
なんやかんやあって岩明先生が『アレクサンドロス東征記』を読んでいるらしいということが分かった。
具体的にはブーケファラスの顔の模様はこの本が出典らしい。
まぁそりゃ読んでるよなと思った。(小並)
・追記3
これを書いてから一年以上後に、1円でAmazonで出品されてたから岩波文庫の『アレクサンドロス大王東征記およびインド誌』の下巻を買って、『インド誌』だけを読んだという事があった。
正直、アレクサンドロスの遠征には関心はなかったのだけれど、ギリシア人が見たインドには関心があったので、『インド誌』だけを読んでいる。
そもそも『インド誌』というのはアレクサンドロスの命令でインド洋を航海したネアルコスの伝記のようなもので、アレクサンドロスのインド遠征は『インド誌』の記述内容ではなくて、『アレクサンドロス東征記』に書かれている内容らしい。
最初この記事を書いた時はアレクの遠征は『インド誌』の方に書かれていると思い込んでいて、そのように言及したのだけれど、今は訂正してある。
索引で名前確認して、その名前の前後とページ数しか見なかったから、その記述が『アレクサンドロス東征記』のそれか、『インド誌』のそれか把握できていなかった。
ちなみに、『インド誌』は想像していたよりも数倍面白かった。
ネアルコスが遠征の果てにあまりに過酷な航海でやせ細ってボロボロの姿になってアレクサンドロスと再会して、アレクサンドロスがその姿から遠征の失敗を悟ってネアルコスに労わりの言葉をかけるシーンは、読んでいる時に誇張抜きで目頭が熱くなって、「よく頑張ったよネアルコス、君は…」と本気で思った。
岩明先生はこの本を読んでいるのだから、『ヒストリエ』のネアルコスが海運に知識があるのは当たり前であって、そういうところから"あの"ネアルコスのキャラクター像があるらしい。
つーか、『ヒストリエ』のネアルコスが若干ぽっちゃりなのは、そのように瘦せ細ることを想定しての造形だと思う。
追記以上。
次に、ヒエロニュモスについて。
ヒエロニュモスについて言及があるのは…実際、プルタルコスの『英雄伝』だけだと思う。
エウメネスなんていう、クソ程どうでもいい人物とそこそこ仲が良い人物についてなんて、言及のあるテキストは多くない。
以前、僕は岩波文庫の『英雄伝』に、ヒエロニュモスの本は現存していないと書いてあるから、岩明先生が誰の訳を読んだかは知らないけれど、岩明先生が読んだ本にもそのことが書いてあるのだろうという話をした。(参考)
そして、僕によるねっとりとした調査の結果、岩明先生は実際、岩波文庫の『英雄伝』を読んでいるだろうということが明らかになった。(参考)
とすると、ヒエロニュモスについての『ヒストリエ』の言及は実際、『英雄伝』由来なのだろうということになる。
(3巻p.30)
「 さうして攻囲が長引いているうちに、やがてアンティゴノスはアンティパトロスがマケドニアで死去し、カッサンドロス(アンティパトロスの息子)とポリュスペルコーン(アレクサンドロス大王の将軍の中で最年長の人)との不和から(中略)、事態が混乱してきたと聞くと、小さな望を棄てて支配権を全て握ろうと企て、その計画のためにエウメーネスを味方にしようと考えた。そこでヒエローニュモス(エウメネースと同国のカルディアー人。前三百二十三年アレクサンドロスの死から前二百七十二年ピュルロスの死までの歴史を書いているが、今残っていない)をエウメネースのところへ使に出して、休戦の交渉をさせたが、その時出した誓の文句をエウメネースは訂正して、自分を攻撃しているマケドニアの人々にどちらの誓の方が正しいかを判断するように提議した。」(河野与一訳『プルターク英雄伝』 岩波文庫 1955年 p.56 旧字体は新字体に変更)
両方ともにヒエロニュモスの著作は今残っていないという話があって、おそらくこれは実際に、このテキストを岩明先生が読んで、その情報を元に『ヒストリエ』のあのシーンを描いたと判断して良いと思う。
岩波文庫の『韓非子』の解題には、始皇帝も『韓非子』を読んでいて、始皇帝が読んでいた本を今読めるというのは素晴らしいことではないかというような言及があったけれど、実際、岩明先生が『ヒストリエ』の材料として読んだテキストが、上の引用ということになる。
個人的に感慨深さがある。
まぁそのことが嬉しいか嬉しくないかと聞かれれば、全然嬉しくはないのだけれども。
次に、アレクサンドロスの両脇に居る謎の人物について…色々書いてあったのだけれど、この記事を書いた四年後くらいに史料を確かめていたら、どうも自分が書いた内容が間違っているらしいと分かったので、一連の記述は複製だけをして削除することにした。
色々仕方ないね…。
次に、岩明先生は岩波文庫を読んでいる様子があるのだけれども、岩波文庫からはヘシオドスの『神統記』と『仕事と日』が出ている。
『ヒストリエ』の中ではこの『神統記』に由来のある描写が存在している。
(3巻p.159)
この文章はヘシオドスの『神統記』のそれであって、これは多分、岩波文庫の『神統記』の翻訳が元だろうと思う。
さもなければ概説書の内容を元にこれを書いているということになるけれども、岩明先生の傾向的に、岩波文庫で原典訳を読むような人だろうから、普通に岩波文庫の『神統記』が元だと思う。
僕も岩波文庫の『神統記』を読んだけれど、クソみたいな本でしたね…。
普通に読みづらいと思う。
そして、ヘシオドスの本はもう一つ、『仕事と日』という本が岩波文庫から出ていて、この作品は一般的には『労働と日々』と呼ばれるのだけれども、岩明先生はこれも読んでいる可能性がある。
『神統記』も『仕事と日』も薄っぺらくて文字も大きくて読もうと思えば読める分量になる。
その『仕事と日』の注釈の中で、ワインを当時薄めて飲んでいたという話がある。
「 ギリシア人は葡萄酒を生のまま飲まず、水で割るのが慣習であったが、三-一の割合は最も薄い場合である。(ヘシオドス 『労働と日』 松平千秋訳 岩波文庫 1986年 p.165)」
『ヒストリエ』でもワインを薄めて飲んでいる。
(3巻p.57)
もしかしたらこの描写は、岩波文庫の『仕事と日』の注釈が元なのかもしれない。
もっとも、このような事柄は概説書に書いてあってもおかしくない内容であって、もしかしたらここかもね程度の話なのだけれども。
ちなみに、『仕事と日』の方もつまんなかったです。(激怒)
『戦術書』とかネポスの『英雄伝』を読んだ時にも思ったけれど、プルタルコスの『英雄伝』って面白かったんだな、って。
一応、『神統記』と『仕事と日』のAmazonリンクは用意するけれども、これらの本はクッソ激烈につまらないし、この本を読む御用事があるとすればよっぽどの特殊で、大して『ヒストリエ』と関連性もないから読む理由はないと思う。
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神統記 (岩波文庫 赤 107-1)
713円
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ヘーシオドス 仕事と日 (岩波文庫)
5,864円
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岩明先生が読んだであろうテキストはこれですよという提示であって、別にアフィリエイト収入は発生しないだろうので善意です。
読むとしても図書館で借りるとか、108円でブックオフで買うかしたほうが良いと思う。
あとメモ帳にはフォイニクスと天下の大将軍とだけ書かれたメモが残されているけれども、飽きてきたので以上にする。
フォイニクスという人物が『ヒストリエ』には出てくるけれども、おそらく彼についてはディオドロスの『歴史叢書』の記述が元だろうという話で、それを書くとなると細かいことに言及しなければいけないから今回は良いや。
『ヒストリエ』における『地中海世界史』の影響について書くときについでに書きましょうね。(記事を作るやる気があるとは言っていない)
・追記
『歴史叢書』にフォイニクスの活躍について書いてあるから、岩明先生はそれを読んだのではないかという話をしようとしていたのだけれども、『プルターク英雄伝』をよく読んでみたら、普通にフォイニクスについての言及があった。
だから、フォイニクスは『歴史叢書』由来ではなくて、『プルターク英雄伝』の記述に由来するというのが正しいらしい。
追記以上。
残りの天下の大将軍ってのは、メナンドロスが言っている。
(10巻p.202)
これは多分、漫画の『キングダム』が元のセリフだと思う。
まぁ天下の大将軍なんて言葉が出てくる作品、『キングダム』くらいしかありませんし、10巻の内容を執筆中とか、『キングダム』が話題になっていた時期ですし、"天下の大将軍"とググっても、『キングダム』の話しか検出されませんし。(参考)
ググったらの1ページ目が全部『キングダム』じゃないか…たまげたなぁ。
…岩明先生、『キングダム』読んでいるんですね。
触れたのはアニメの方かもしれないけれども。
岩明先生が手に取ったのが『英雄伝』ではなくて『キングダム』の原作である『史記』だったら、もしかしたら岩明先生も古代中国の漫画を描いていたのかなと思う。
個人的な印象として、『英雄伝』のエウメネスの話と、『史記』の中の面白い話を比べると、大体同じくらい面白さだと思う。
これくらいかな。
以上の内容は本来的には『ヒストリエ』の原作は何かについての記事(参考)を書いた時に、そのおまけ記事として想定していた内容なのだけれども、『地中海世界史』のこととか色々あって後回しにしてそのまま放置していたそれになる。
比較的最近の『ヒストリエ』の物語は『地中海世界史』という古代に書かれた本をベースに描かれているということが分かって、けれども、漫画の解説のために興味のない本を読むというのは実際苦痛でやる気が消失したので放棄した。
僕は『ヒストリエ』の原作が何かとか、これからどういう予定なのかが知りたいのではなくて、分からないことを分かるようにする作業が好きなだけであって、「『ヒストリエ』の原作って何なんだろう」と思ってそれを分かるようにするために調べたに過ぎない。
もっと言うと『ヒストリエ』の原作がプルタルコスの『英雄伝』であるという仮説を検証したかっただけであって、それ以上でもそれ以下でもない。
今回はついでに資料を読んでいて分かったことがあったのでまとめただけで、別に『ヒストリエ』の原作や参考資料に重要な関心がある訳ではないし、プルタルコスの『英雄伝』が『ヒストリエ』のベースになっていて、エウメネスの話以外も影響を与えていると分かったところで、『英雄伝』のエウメネスの話以外を読もうという気持ちは微塵もない。
まぁアレクサンドロスについての記述で少し気になることがあるから、もしかしたらアレクサンドロスのところだけ読むかもだけれど、とにかく、『ヒストリエ』は面白いとは思うけれど、それ以上の情熱がある訳ではない。
ただ、分からないことを分かるようにするのが好きなだけで、もう『ヒストリエ』のベースは『英雄伝』だと分かったし、『ヒストリエ』のフィリッポスの物語のベースは『地中海世界史』だと分かっているので、それ以上を調べるやる気が出ない。
とはいえ、買ってしまった本は勿体ないので、多分、『地中海世界史』と『ヒストリエ』の関係についてはいつか書くよ。
少し疲れたから誤字脱字は明日の僕に任せよう。
では。