出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -33ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 手に余る悪戯っ子の多吉は、親からも友達からも、周りの大人たちからも疎んじられています。

 その多吉を、おけら長屋であずかることになりました。

 さっそく万造と松吉は、多吉を物乞いに仕立て、哀れをさそい、知り合いの屋台から芋を手に入れます。ちゃっかりと、自分たちのぶんまで。

 そのやり口に憤るおけら長屋の住人たちでしたが、多吉が、万造と松吉と一緒にうれしそうに芋を食べている姿を目にして、気持ちが変わります。

 

「お里。おめえ、多吉が笑っているのを見たことがあるか。・・・あいつらは、多吉を仲間に引き入れたんでえ。みんな、多吉の生い立ちを知って、腫れ物に触るようにしてただろう。あいつは親に捨てられたり、ガキどもに苛(いじ)められたり、哀れんだ目で見られてきたんでえ。お里、おめえはこう言ったな。親から捨てられた子を物乞いに仕立てるなんざ許せねえ。多吉の気持ちを考えてみろってよ。確かにおめえの言う通りでえ。おれもそう思った。だがよ、そりゃ大人の道理だ。多吉にゃそんなことはどうでもいいのよ。多吉は一緒に何かをやってくれる仲間が欲しかったんでえ。嬉しそうな面をしてたのがその証だ」

 (畠山健二、『本所おけら長屋(十一)』より)

 

 学もなく、信用もなく、お金もない万造と松吉。それでも人の心を扱わせたら天下一品。江戸時代には、こんな人たちが集まって長屋で粋な暮らしをしていたのでしょうか。

 当時と比べたら、きっと格段に暮らしやすい世の中に生きていながら、「おけら長屋」に住んでみたいとちょっぴり憧れます。

 おけら長屋に住む金太は、知的障害があります。万造と松吉は、一見、金太をからかったり馬鹿にしたりししているように見えます。それでも決して見放しません。『本所おけら長屋』を読んでいると、彼らは心の底でつながっていることがだんだんと見えてきます。

 

「口ではひどいことを言いながら、いつも金太さんを仲間に入れている。万造さんや松吉さんを悪く言う人たちに、そんなまねができるかな。おそらくできんだろう。悪口を言わないことと引き換えに、関わりを持たなくしようとするだけだ。」

 (畠山健二、『本所おけら長屋(十)』より)

 

 腫れ物に触るように接するのではなく、ありのままの金太さんにそのまま接する。万造や松吉は、頭で考えてそうしているのではないのでしょう。何が大事かを体で知っている。人情の世界を地で生きている。そんなところがいかにも粋な江戸っ子です。

 文七は、大工の親方。しかし、大きな仕事で謂われのない難癖を付けられて落ち込みます。心配するお糸に、お染は言います。

「何もしなくていいのさ。何が起ころうが、いつもみたいに笑って、いつもみたいにご飯を作って。それでいいんだよ」

 

 お染の言葉を信じ、文七に笑顔を見せるお糸。その笑った顔に、文七も自ずと笑顔になります。

 

 お糸は、文七の笑う顔を見たのは久し振りだ。お染は「いつもみたいに笑って、いつもみたいにご飯を作れ」と言った。その通りにしたら、文七も笑った。世の中は、そんな容易(たやす)いものなのかもしれない。

 (畠山健二、『本所おけら長屋(九)』より)

 

 笑顔は、その人の強さです。人を幸せにする力があります。

 『本所おけら長屋』の笑いも、明日を頑張る力を与えてくれます。

 大工の銀平は、仕事もせずに真昼間から酒を呑み、博打を打ち、借金をこしらえ…。

 あきれた女房のお利は、子供を連れて家を出て行きます。

 「お利が男を作って出て行った」「自分は捨てられた」と思い込んだ銀平は、自暴自棄になり、犯罪に手を染めようとします。

 

 そんな銀平に、近所の煮物屋のおけい婆さんは語りかけます。

 

「お利さんはねえ、あたしの屋台で煮物を買うときには、最後に必ずこう言うんだ。

 《おけい婆さん、その煮豆をくださいな。うちの人が好きだから》

 お前さんには、そんなお利さんの気持ちが通じなかったみたいだね」

 (畠山健二、『本所おけら長屋(八)』より)

 

 いつも一緒にいても、気付かないやさしさがある。

 その気付かないやさしさがあることに、気付かせてくれたお話でした。

《私は、ひとつだけ心がけていることがあるんだ。毎朝、澄んだ心でお天道様を見上げることさ。もちろん雨の日だってある。でもね。毎日を一生懸命に生きてれば、必ずお天道様が顔を出してくれる。裏切られたことなんか一度もないよ。》

 (畠山健二、『本所おけら長屋(七)』より)

 

一生懸命生きていれば、必ずお天道様が顔を出してくれる。

今日がだめでも、明日は。明日がだめでも、いつかは。

 

でも、お天道様を見上げなければ、お天道様には気付きません。

だから、

しんどいときは、いつも、空を見上げて。

 

4月に書いた自分の記事を思い出しました。

もしよろしければ、こちらもお読み下さい。→『おなじ そらの したで』