出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -32ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

「ずっと昔のこと。たしか高校生くらいの時だったと思うけど、何かの拍子に私が言ったの。『あんなぶっきらぼうな物言いしかしてくれない人のこと、よく好きになったわね』って。そしたら母さん、大笑いして、何て答えたと思う?……『ばかだねえ、そういうのが男の人のかわいいとこじゃないの』って。なんだか、変にどきどきしたの覚えてる。急に母さんのことが女に見えたせいかしらね」

 (村山由佳、『星々の舟』より)

 

 亡くなった母を思い出しながら、娘が父親に語った言葉です。

 やっぱり女の人にはかなわないなあと思います。ぶっきらぼうなところも、強がっているところも甘えているところも、全部こんなふうに大きく笑って受け止めてくれているんだと。

 

 これまで3回にわたって続けてきた『星々の舟』の紹介も、これで終わりです。

 この本を読み終えて、金子みすゞさんに「ほしと たんぽぽ」という詩を思い出しました。

 

あおい おそらの そこふかく、

うみの こいしの そのように、

よるが くるまで しずんでる、

ひるの おほしは めに みえぬ。

 

  みえぬけれども あるんだよ、

  みえぬ ものでも あるんだよ。

   (金子みすゞ、「ほしと たんぽぽ」より)

 

 『星々の舟』に描かれた家族の、それぞれの思いも、普段はかくれて見えません。

 でも、時折静かに、夜空の星のように姿を現します。

 そのそれぞれの思いがつながって星座を描く。

 『星々の舟』はそんな本です。

 自分がみじめに思えて「私なんか……」と自暴自棄になる高校生の聡美。

 その聡美に祖父が語りかけます。

 聡美が生まれたときのことを。

 

「あの時ゃみんな、お前が出てくるのを……なんとか無事でこの世に生まれてきてくれるのを、ほんとうに祈るような思いで待っとった。早う出てこい、こっちはええぞ、早う出てこい──あれほど待たれて、望まれて生まれてきた子はないぞ、聡美。おれらはみんな、生まれる前からお前のことを、それは大事に思っとったんだ」

 (村山由佳、『星々の舟』より)

 

 子どもは、自分が生まれたときのことを知りません。

 でも、親も、我が子が生まれたときのことを、しだいに遠い過去の方へ置いてしまいそうになります。

 この言葉は、命が芽生えたときの、それだけでよかった気持ちに帰ることの大切さに気付かせてくれます。

 

 だから、このおじいちゃんの言葉は、孫・聡美への言葉であると同時に、私たち大人への言葉でもあります。

 

 

 人生は、よく海にたとえられます。

 大海原にこぎ出した、小さな舟。

 家族一人一人の舟が小さく輝きながら、星座を描く。

 夜空をさまよいながら、やっとどこかで分かり合える静かな物語。

 『星々の舟』。

 

 

 けがをして、歩くことも十分ではない母親に、曉(あきら)は手を差し伸べることができませんでした。しかも、そのけがは、自分のせいで負ったものと後で知ります。

 その母親を亡くしてしまったあとに、曉が悔やんだこと。

 

…どうしてあの時、手を貸すのをためらったのか。ただ歩くだけでもひどく苦労しているのがわかっていたのに、どうしてただの一度も手を差し出してやらなかったのだろう。

(村山由佳、『星々の舟』より)

 

 生きているうちは、「まだ明日がある」「いつかはしてあげられる」と思ってしまいます。

 でも、先延ばしにした挙げ句、永遠にその機会が失われることがあります。

 

 私も、年老いた母に、「仕事が落ち着いたらしてあげる」と言ったままにしていることがあります。母は、きっとその約束を覚えていながら、でも「きっとまだ忙しいのだから…」と黙ってくれているのでしょう。そして、それを薄々感じていながら、甘えてしまう自分。

 でも、今度の仕事休みの日には、ちゃんと約束を果たさなければ。小さい頃から心配ばかりかけてきたので、少しは親孝行をしなければ。

くすのき しげのり・作  石井聖岳・絵

『おこだでませんように』

七夕には、この絵本のことについて書きたいと思っていました。

 

 

小学校1年生の「ぼく」は怒られてばかり。

学校では先生に…。

家ではお母さんに…。

本当はいい子になりたい「ぼく」は悩みます。

 

 ぼくは どないしたら おこられへんのやろ。

 ぼくは どないしたら ほめてもらえるのやろ。

 ぼくは……「わるいこ」なんやろか……。

 

 せっかく しょうがっこうに にゅうがくしたのに。

 せっかく 1ねんせいに なったのに。

 

7月7日、「ぼく」は、学校で七夕様のお願いを書きます。

習ったばかりのひらがなを、ひと文字ずつ、心をこめて書いたのは…。

 

 これを読んだ先生は─

 

 せんせいが ないていた。

 「せんせい……、おこってばっかりやったんやね。……ごめんね。

  よう かけたねえ。ほんまに ええ おねがいやねえ」

 

 お母さんは─

 

 「ごめんね、おかあちゃんも おこってばっかりやったね」

 そう いいながら、おかあちゃんは ぎゅうっと だきしめてくれた。

 

もし七夕様にお願いごとができるのなら、

私も、怒ってばかりだった子どもたちに会って、

でも、「ごめんね」なんて照れくさくて言えないだろうから、

普通に昔話をしてみたい。


星流れ星七夕のお願いごとは何?ニコニコキラキラ

#七夕2019をつけてブログを書くと!?
あなたのブログに何かが起こる!

詳細を見る右矢印

「お糸ねえちゃんも、おっとうのことは好き?」

 お糸の頭には八五郎の顔が浮かんで、吹き出しそうになった。

「好きだよ。会うと喧嘩ばかりしてるけどね」

「どうして、好きなのに喧嘩するの?」

 お糸は返答に困った。

「うーん…。安心してるからかなあ」

「安心って?」

「喧嘩をしても大丈夫だから。すぐに仲直りできるからだよ」

 お糸は笑った。

「そうだね。お妙ちゃんの言う通りだね」

 (畠山健二、『本所おけら長屋(十二)』より)

 

お妙ちゃんは6歳の女の子。

お父さんを大好きな女の子。

 

お糸はもう大人。

江戸っ子の八五郎の娘。

 

それぞれの「おっとう」のイメージが浮かんできそうです。

そして、どちらの「おっとう」との関係もほほえましい。

家族の形はいろいろで、それぞれに幸せの形があるのですね。

 

 この『本所おけら長屋』第12巻は、今年の初め、発売されたばかりの時に読んでいました(よろしければコチラを)。でも、二回目を読むと、二回目ならではの粋な言葉と出会えます。

 第13巻はいつごろ刊行されるのでしょうか。

 それまでに、自分ももう少し粋な人になれるように、修行を積んでおきます。