出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -31ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

「人はこうしてさ、ふらここ(※ぶらんこのこと)みたいに揺れながら生きている。正と邪の間をね、行ったり来たりしているのさ。正しいことばかりできる人間もいないし、邪(よこしま)なだけの人間もまあ、めったといやしない。ある日は正に振り切っても、ある日はどっちつかずの、中途半端な事をしでかしてる。・・・そのいずれもが己自身だ」

 (朝井まかて、『藪医ふらここ堂』より)

 

 いろいろな方のブログを継続して拝読していると、上品と思っていた方が毒舌を吐いたり、厳格なイメージの方がふとやわらかな言葉を届けてくれたり、喜んだり落ち込んだり・・・、本当に人生って一筋縄ではいかないものだと思うと同時に、一人の人がたくさんの心を抱えているところに、人の幅というか、豊かさみたいなものを感じます。

 朝井まかてさんのこの言葉も、「いろいろあっていいんだ」と安心させてくれます。

絵本講師のいるところさんのブログに、かわいい二人組の作家さんが登場していました。

二人は、白紙の上に、自分の絵本物語を描きました。

 

ここ何回か、私もブログに絵本を取り上げていました。

私の意識は「いい絵本、もっとないかなあ。」というものでした。

 

でも、既成の絵本ではなく、絵本を自分で作っているところに感激しました。

しかも、思いを直球で描き、シンプルな絵が花を添えています。

私が思ってもいなかった「いい絵本」が見つかりました。

 

 

フランスの哲学者・サルトルは言っています。

「人間はまっ白い紙のようなものであり、そこに何を書くかは人間みずからが決定していくことであり、それゆえに自由である。」

 

二人のかわいい作家さんたちは、これからどんな絵を描いていくのでしょう。

みずからの力で、自由に、のびのびと。

 いつもの休日のお散歩をしていたら・・・

 『どうぞのいす』かと思いました。

 

 『どうぞのいす』(香山美子)はこんな話です。

 

うさぎさんが、小さないすを作って、大きな木の下におきました。

そして、「どうぞのいす」と書いた立て札を立てました。

 

ろばさんがやってきて、どんぐりがいっぱい入ったかごをいすに置くと、お昼寝を始めました。

 

そこにくまさんがやってきました。

「どうぞなら、えんりょなくいただきましょう。」

くまさんは、どんぐりの代わりにはちみつを置いていきました。

 

そのあと、次々に動物がやってきて、いすの上のものをいただいては、代わりを置いていきます。

 

そして、目の覚めたろばさんが見たものは・・・。

 

 散歩の途中の「どうぞのいす」が、どんな物語を生むのかは分かりませんが、でも、世の中は、「どうぞ」と「いただきましょう」の繰り返し。この本は、そんなことに気付かせてくれます。

 かわいい絵本でも、含蓄するところは深いですね。

「好きなものを訊かれて、ちゃんと答えられるうちは、人間、みんな、だいじょうぶだ」

「そうなの?」

「ああ、そうだ」

 父は自信たっぷりに言って、「つらいことや、しんどいことがあっても、だいじょうぶなんだよ、ほんとに」と念を押した。

 (重松清、『一人っ子同盟』より)

 

 「がんばれ」と励まされるより、「こうしたらいいよ」とアドバイスされるより、私は、このお父さんのような言葉に勇気づけられます。

 つらいことやしんどいことに立ち向かえることも大切でしょう。でも、そうできないときにも、「自分には、この時間がある。これをしていれば、いやなことが一瞬でも忘れられる」と思える何かが、自分を支えてくれます。

長雨が続きます。

気分も滅入ってきます。

そんな時には、この歌を聴いてみませんか。

 

雨に耐えるのでもなく

雨を楽しむのでもなく

雨を笑い飛ばす

 

元気になれます。

 

延々と止まない雨は いっそびしょ濡れになって

涙をごまかせば いいさ

不可能なんてないよ 可能だらけさ

絶望なんてないよ 希望だらけさ

(FUNKY MONKY BABYS、『悲しみなんて笑い飛ばせ』より)