出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -30ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 言葉がわかるロボットを作ろうと、イタチたちはカメレオン村へ行きました。

 すると、カメレオン村には確かに、カメレオンと会話をしているロボットがいました。

 でも、よく聞いていると、そのロボットは、あるきまりに従って話しているだけのようなのです。

 例えば・・・

 

①相手の言うことを繰り返す。

(例)「最近、食欲がないんです。」→「ほう、最近食欲がない、と。」

 

②もっと話すように促す。

(例)「ほほう、もっと聞かせて下さい。」「具体例を挙げてもらえますか?」など

 

③相づちを打つ。

(例)「ふむ、それで?」「それは大変ですね。」など

 

④その他、定型的なやりとりをする。

(例)「最近どう?」→「まあまあだよ。」

   「もう、ムカつくんだけど。」→「怒られた~。ぐすん。」

 

 その仕組みが分かったイタチたちは、文句を言います。

「相手が言ったことの中身をちゃんと分かってるわけじゃないし、本当に思っていることを言ってるわけでもない。ああ、だまされた」

 それに対するカメレオンの答えがこれ。

 

「そう言うけど、あんたたち自身はどうなのよ? 会話をするとき、いつも『相手の言ったことの中身をちゃんと分かってる』の? そして、いつも『本当に思っていること』を話してるの? 適当に相づち打ったり、適当なことを言ったりしないわけ?」

 

 身につまされます。

 ロボットを「機械的」というけれど、自分たちもまるで機械のようになってしまっていないか─。

 

 では、ロボットではない、人間らしい会話とは、どんな会話か。

 それは、また次回、考えてみましょう。

 読書家でも知られる、ライフネット生命創業者、出口治明さんが、「おそらく世界最高の読書論だと僕は思っている」と紹介していた本です。

 上皇后・美智子さまが語った言葉をまとめた本、『橋をかける 子供時代の読書の思い出』。

 

 私が、ブログを始めたばかりのころにとりあげた、『でんでんむしの かなしみ』のことも書かれていました。→よろしければこちらもどうぞ。

 難しい言葉は、何一つ使われていませんが、まるで美智子さまが自分に語りかけてきているように、読書の本質が伝わってきます。

 その一つが、次の言葉です。

 

 本というものは、時に子供に安定の根を与え、時にどこにでも飛んでいける翼を与えてくれるもののようです。

 (『橋をかける ─ 子供時代の読書の思い出─』より)

 

 私も、これまで、たくさんの本に支えられてきました。あるいは、支えてくれる言葉に出会いたくて、本を読んできました。「安定の根」がほしかったのだと思います。

 一方で、この場所を離れ、新しい世界に羽ばたく喜びを求めてきました。本の「翼」を借りて、冒険をしてきました。

 

 本が自分とだれかをつないでくれた。自分と本はどこかでつながっている。そんな本を通じての「橋」を感じている方にお薦めの本です。

 今は廃墟となったラブホテル ─ 「ホテルローヤル」を舞台にした連作小説。

 

 7つの短篇それぞれに、男女の交わりが描かれまています。

 廃墟の中で恋人にヌード写真を撮影される女性事務員。

 ここを最期の場所に選んだ教師と女子高生。

 檀家たちと肌を重ねる住職の妻。

 

 それでも、読み終わって感じるのは、いやらしさではなく、哀しさや寂しさ。

 隠れ家のようなラブホテルに隠れている、人の優しさと切なさ。

 

 ・・・「夢と希望」は、廃墟できらきらと光る埃にそっくりだった。いっとき舞い上がり、また元の場所へと降り積もる。ここからでて行くこともなければ、ぬぐうような出来事も訪れない。

 (桜木紫乃、『ホテルローヤル』より)

 

 ここでだけつながっていられる人たちの7つの物語です。

歌人・穂村弘さんのユニークな恋愛講座。

例えば、こんな話が紹介されています。

 

大学生のカップルが初めてのデートで苺狩りに行きました。

入り口でお金を払うと小さな容器に入ったコンデンスミルクを渡されます。

サービスのように見えて、しかし、これは巧妙な罠だったのです。

苺は食べ放題、でもコンデンスミルクのおかわりは、駄目。

あまりにも小さなコンデンスミルクが尽きた時、二人の手は止まってしまいました。

絶体絶命。

 

ところが、その時、男の子が鞄の中からコンデンスミルクのチューブを取り出しました。

彼は、以前にも一度ここに来たことがあったのでしょう。

彼のビッグポイント!・・・と思いきや、実はそうはならなかったのです。

後日、その彼女さんが穂村さんに話したこと─

 

「鞄から出てきたチューブをみて、あたし、なんか、がっかりしちゃったんです。」

「どうして?」

「なんだ。この人、こうなるのを知ってたのかって」

「どういうこと?」

「うまく云えないんだけど、たぶん初めてのことをふたりで分け合いたかったんだと思う。たとえ、それが一緒に罠にかかることでも」

 

男の子は、彼なりに初デートと彼女のことを大切に思って、チューブを持ってきました。それなのに・・・。

穂村さんは、このエピソードの中に、恋愛の純粋さ、難しさ、残酷さ、面白さのすべてが含まれているように感じた、と言っています。

 

うーん、深い・・・。

穂村さんのこの本と、もう30年早く出会っていれば、私も、もっと恋愛上手になっていたのに・・・。

 2014年3月18日、中国に吞み込まれることを危惧した台湾の学生数百人が、台湾の立法院(議会)を占拠しました。学生たちは、規律と統制を守りつつ、院内から国民に向けてアピールし、国民からも強い支持を受けていました。

 しかし、結局願いのすべてを受け入れてもらうことはできず、立法院長(議長)の示した妥協案を受け入れることになりました。学生のリーダーは、次のように語った後、静かに壇上から降りました。

 

「撤退の方針は個人的には受け入れがたいです。でも、ぼくの意見を聞いてくれたことを、感謝します。ありがとう」

 

 それから2日間をかけ、院内を隅々まで清掃すると、運動のシンボルとなったひまわりの花を一輪ずつ手に持って、学生たちは静かに立法院を去っていったそうです。

 

 高橋源一郎さんは、その著書の中で言っています。

 

 学生たちがわたしたちに教えてくれたのは、「民主主義とは、意見が通らなかった少数派が、それでも、『ありがとう』ということのできるシステム」だという考え方だった。

 (高橋源一郎、『ぼくらの民主主義なんだぜ』より)

 

 私たちの国や地域や組織は、「意見が通らなかった少数派が、『ありがとう』といえるシステム」ができているでしょうか。少数派が言っても、その意見がなかったものにされたり、あるいは、雰囲気の中で少数派が声を出すことさえできなかったり。

 民主主義の難しい定義は分かりませんが、でも「少数派がありがとうと言える」、大切なことはここに凝縮されているように思えます。