出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -29ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 「僕」は、予約を入れ、初めてその理髪店を訪れます。

 理髪店の大きな鏡には、一面の海が映っていました。

 その鏡を通してしか向き合えない店主と「僕」の関係。

 

 店主は、自身の過去を語ります。「僕」にすべてを伝えておきたいかのように。

 「僕」は間近に控えた結婚の報告をします。

 

 店主は逆光の中の黒い影になった顔で、おめでとうございます、と言ってくれた。僕は答えた。ありがとうございます。付け足そうと思った、あとの言葉は、結局、喉の奥にしまいこんだ。

 (荻原浩、『海の見える理髪店』より)

 

 のみこんだ言葉は、きっと「お父さん」。

 店主の方も言いたいことは、あったのでしょう。しかし、「僕」が帰る間際、やっとの思いで店主が口にしたことば。

 

 あの、お顔を見せていただけませんか、もう一度だけ。いえ、前髪の整え具合が気になりますもので。

 

 今さら元のような家族には戻れない二人の、鏡を通しての精一杯の会話です。

 海を輝かせながら暮れようとしている夕日のように、静かに切なさを湛える物語です。

戦後─。

闇市を背景に、体を売らなければ生きていけない女と、戦争で家族のつながりを失った男が出会います。女は、その男を心中の相手にしようと思っていました。

死への誘いを待つ女。

しかし、男が口にしたのは、力強い生の言葉でした。

 

「俺と一緒に、生きてくれないか」

 聞きちがいではないと思ったとたん、男は神様みたいに強い力で、綾子の体を抱きしめてくれた。

 鯣(するめ)のように乾いた男の唇は、不幸の味がした。これだけからからにひからびていれば、嘘などつきようはない。

 (浅田次郎、『帰郷』より)

 

  「帰郷」。どんなときも人生を支えてくれるふるさとへの道のり。

 しかし、帰る場所のない二人は、相手の心の奥深くに、帰るべきふるさとを見つけます。

 どん底の社会の中だからこそ、闇の中に必死に光る人の心が一層美しく見えてきます。

 前回の記事は、ゲーテの描いた戯曲『ファウスト』でした。

 悪魔に魂を渡したファウストが、最後は神に救われるという結末。

 

 今日、紹介するのは、もう一つの「ファウスト」、ゲーテの『ファウスト』の元となった話です。

 

 ゲーテの時代を遡ること200年余り。ドイツには「ファウスト伝説」がありました。

 知識欲旺盛ファウストは魔法で悪魔を呼び出し、「24年間は悪魔の援助を受けて、地上のあらゆる知識と快楽を得る代り、期限がきたら、魂と肉体を悪魔の自由にまかせる」という契約を結びます。

 24年間、ファウストは、メフォストーフィレスを従え、大胆に瀆神の行為を続けます。

 しかし、24年間が過ぎた後、ファウストの嘆きと後悔も空しく、その生命は一瞬のうちに断たれ、彼の魂は地獄に堕ちて永劫の罰を受けるのでした。

 

 最後、神に救われるファウストと、悲しい結末を迎えるファウスト。

 私が惹かれるのは、後者のファウスト、つまり「ファウスト伝説」の方です。快楽の時間が限られているが故、そのときのファウストの心情にとても共感できるのです。例えれば、子供の頃、いずれ必ず終わりを迎える夏休みの日々が、かけがえなく貴重で、いつまでも続いてほしいと願っていたような気持ではないかと思うのです。

 世界の根源を極めようとする学者・ファウスト。彼は、悪魔メフィストーフェレスと契約を結びます。それは、己(おれ)がある刹那に向かって、「とまれ、お前はあまりにも美しい」(時よ、止まれ)と言ったら、己はお前に魂を受け渡す、と言うものです。

 少女に恋をし、享楽を手にし、美を得て・・・。様々な体験をした彼が最後に得たのは、人間の叡智の、最高の結論でした。

 

子供も大人も老人も、まめやかな歳月を送り迎えるのだ。

己は自由な土地の上に、自由な民とともに生きたい。

そういう瞬間に向って、己は呼びかけたい、

「とまれ、お前はいかにも美しい」と。

 (ゲーテ、『ファウスト 第二部』より)

 

「とまれ、お前は美しい」、禁句を発したファウストですが、天使により救われます。

天使たちは歌います。

「絶えず努力して励む者を、われらは救うことができる」と。

 

ゲーテの描いた『ファウスト』は、この大団円で終わります。

 

しかし、もう一つ、悲劇的な「ファウスト」も存在します。

そのことについて、また次回で。

パターン化された会話は、ロボットのよう(前回のブログ参照)。

では、人間らしい会話って何なのでしょう。

その答えの鍵の一つは、「相手の思いや意図を慮ること」です。

次の話で考えてみましょう。

 

魚也は、別の湖に住むガールフレンドの魚香にブランド物のポーチをプレゼントすることにしました。

魚也はロボットにプレゼントを託し、プレゼントを受け取った魚香の感想を聞いてくるように命じます。

ロボットは、言いつけ通り、魚香にプレゼントを届けます。

 

魚香「えっ! 魚也さんからプレゼント!?」

 魚香はプレゼントを開封するなり大喜びでこう言いました。

魚香「サンマサ・サバサのポーチだ! しかも、これ、私がずっと欲しかったやつじゃない! もう、私をこんなに驚かせるなんて、魚也さんって、本当に憎いひとだわ!」

 ロボットは、魚也さんのところに帰り、魚也さんにこう伝えました。

ロボット「魚香さんは、『これは、私がずっと欲しかったやつではない。魚也さんが憎い』と言いました」

(川添愛、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』より)

 

・・・悲惨な結果です。

言葉尻だけを捉えれば、ロボットのようにも取れるでしょう。

でも、相手の状況、表情、雰囲気、言葉の抑揚、いろいろなことから、文字面だけではないところまで考えられる。それが人間だけのなせる会話です。

 

名役者は、目のかすかな動きだけで、悲しみや驚きが表現できると言われます。

一方で、それをきちんと読み取れる受け手側の感性も同じくらい大切です。

両方あって、初めて意思疎通ができるわけですから。