出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -28ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

 昨日の甲子園の高校野球、地元の高校が負けてしまいましたが、今日の新聞には、K選手(3年生)の記事が載っていました。

 

 K選手は、入部したときは投手。しかし、十分な成果が出せず、野手に転向。泣きながら練習することもあったそうです。

 春の選抜大会は、先発メンバーのほとんどが安打を放つ中、K選手は無安打。結局次の試合では、後輩に先発メンバーを奪われてしまいました。苦しい3年間を送ってきたことがうかがえます。

 しかし、最後の夏の大会では地区大会から活躍し、昨日の試合でも得点にからむ活躍を見せました。

 

 記事の最後は、こう締めくくられています。

 自分の野球人生のピークは長い間、エースとして西日本大会で3位になった小学生時代だった。でも、この日にピークを問われると、「今ですね」と笑った。

 (2019年8月10日(土)、朝日新聞)

 

 最近、『定年ゴジラ』(重松清)『終わった人』(内館牧子)と、定年後の人生を考えさせられる小説を読んできました。人はどうしても、過去の業績や栄光にしがみついてしまいがちです。でも、K選手のように「今がピーク」と思えるような日々が送れたら、一番幸せなんでしょうね。

 定年退職したら、

 ─自分の時間がたくさんある。

 ─職場の上司に気を遣わなくていい。

 ─孫をかわいがる、いいおじいちゃんになる。

 

 しかし、事はそんなに単純ではないようです。仕事に打ち込んで来た人ほど、その時間が輝いて見える。そして、自分の居場所は、そこにしかないように思えてくる。 『終わった人』の田代荘介もその一人でした。

 

 私もいずれ定年退職したら、同じように思うのかも知れません。

「あの頃は輝いていた」と。

 でも、思い出は美しく見えるものです。

 

「思い出と戦っても勝てねンだよ」

 (内館牧子、『終わった人』)

 

 だから不毛な戦いをせず、私はやっぱり、定年退職したら、

 ─孫をかわいがる、いいおじいちゃんになる。

 以前、絵本『おこだでませんように』をブログで紹介したところ、心晴さんから「この本をすぐに購入した」とのコメントをいただきました。心晴さんは、同じ作者の『ライフ』という絵本の優しい表紙にも惹かれ、同時に購入されたとのことでした。

 その心晴さんと私のやりとりを見ていたことりの木*makiさんから、『ライフ』の絵を描いている松本春野さんは、岩崎ちひろさんのお孫さんだということを教えていただきました。

 岩崎ちひろさんは、私の父が好きで、家に画集を置いていました。私も小さい頃からその本を眺めていました。淡い色が、懐かしい思い出と一緒に浮かんできます。

 

 『おこだでませんように』から作者つながりで『ライフ』へ。そして、『ライフ』の絵を描いた松本春野さんから岩崎ちひろさんへ。

 私のブログが心晴さんへ。心晴さんと私のやりとりがことりの木*makiさんへ。

 

 不思議なつながり、嬉しい広がりに驚きました。

 

 早速私も『ライフ』を購入しました。

 『ライフ』に登場するおばあさんは、人とつながりながら、おじいさんとの別れの悲しみを乗り越えていました。

 人と人とのつながりで出会った絵本は、人と人とのつながりの美しい軌跡を描いていました。

心地よくお酒を嗜んだあと、都内のあるホテルへ。

 

ベッドで本を読んでいるうちに、いつの間にか眠ってしまいました。

しばらくして目が覚めて、「あ、本と眼鏡を机の上に置いておかなくっちゃ。」と思い、また夢の中へと落ちていきました。

 

翌日(今日)、目が覚めて、顔を洗い、着替えて、「さあ食事へ」と思ったら、眼鏡がありません。

かなりの近視の上、ホテルの部屋は薄暗いので、iPhoneのライトで照らしたり、シーツの中まで探したりしましたが、どこにも見当たりません。

 

そうか、Siriに聞いてみたら、「机の中は探しましたか?」とか「頭の上にありませんか?」とか、何かアドバイスをくれるかと思い、藁にもすがる思いで訪ねてみました。

 

「Hey,Siri 眼鏡が見当たらないんですけど・・・」

すると、「はい、こちらが見つかりました」との答え。

さすがSiri!と画面を見てみると・・・。

・・・Siri、いいかげんにして・・・。

 

もう時間がないので、恥をしのんでフロントに電話をし、「すみません。眼鏡が見当たらなくなったんですけど・・・」と伝えると、すぐにホテルの方が来てくれ、そして、ベッドの下、奥深くから(なぜそんなところに眼鏡が行ったのか分かりませんが・・・)見つけてくださいました。

 

先日、『働きたくないイタチと言葉がわかるロボット』の記事を書きました。

 →「人間らしい会話って」の記事へ

やっぱり、心が通じ合うのは人と人との会話なんだな。

 仕事を定年退職して、自分たちの居場所を探している男4人組の物語。

 その中の一人、町内会長は、まちをホームページで紹介し、活性化を図ろうとします。

 町内会長は、決して悪気があってしているのではありません。しかし、ノムさんは、そんな町内会長を一喝します。

 

「ここに住んだはるひとの、毎日の暮らしやら思うとることやら、幸せやら不幸せやら、ほんまに情報でわかるんでっか?」

(重松清、『定年ゴジラ』より)

 

 現代は、何でも数値化して、それで物事をはかろうとします。売れた数、人気レストランの星の数、大学ランキング・・・。確かに説得力はあります。「三つ星レストランで食事してきたよ」は自慢できます。

 でも、数字では表せないけれど、自分だけの大切な場所、もの、人、その存在を信じている人のほうが、ずっとあたたかい生活をおくっているような気がします。

 

 ふるさとなどは、その最たるものの一つでしょう。

 『定年ゴジラ』の中には、次のような言葉もあります。

 

「何をやってても、どんなに負け続けの人生でも、最後の最後に田舎に帰れば、俺のことを許してくれる人がいる。そう思ってられるじゃねえか、遠くにいれば」

 

 定年後の暮らしについて、生きていく元気をくれる物語ではありません。でも、生きていく温かさを届けてくれる物語です。