出会った言葉たち ― 披沙揀金 ― -27ページ目

出会った言葉たち ― 披沙揀金 ―

「披沙揀金」―砂をより分けて金を取り出す、の意。
日常出会う砂金のような言葉たちを集めました。

『このほん よんでくれ!』(ベネディクト・カルボネリ)

 本の面白さに目覚めたオオカミが、ウサギに「このほん よんでくれ!」とおねだりする話。

 一度読んでも「もういっかい! もういっかい!」。

 「なんども きいて あきないの?」というウサギに、「ぜんぜん! もういっかい! もういっかい よんでくれ!」。

 そして、それまでのオオカミからは想像もつかない結末に・・・。

 

 

 やんちゃ坊主君も、気持ちを言葉で表現できないためにすぐに手が出てしまう困った君も変えてしまう力が、本にはあるのかもしれません。そんな本の力を、又吉直樹さんがこの絵本の帯に書いています。

 

 奇跡というのか

 魔力というのか、

 「本」はこういう優しい風景をたびたび生みだす。

 

 ── ここからは、余談です。

 

 ちょうどこの絵本が家に届けられたとき、娘がいたので、一緒に読みました。

 

 その夜、娘の部屋に忍び込んで、こんないたずらをしたら・・・。

 

 ・・・私の机の上に開いていた地図帳に、仕返しをされていました。

 「かげおくりのよくできそうな空だなあ。」

 お父さんが出征する前の日、ちいちゃんとお父さん、お母さん、お兄ちゃんは、4人で「かげおくり」をして遊びました。晴れた日に、かげぼうしをじっと見つめ、空を見上げて、かげぼうしを空に写す遊びです。

 

「すごうい。」

とお兄ちゃんが言いました。

「すごうい。」

と、ちいちゃんも言いました。

「今日の記念写真だなあ。」

と、お父さんが言いました。

「大きな記念写真だこと。」

と、お母さんが言いました。

 

 しかし、そのうち、戦争はしだいに激しくなり、空襲ではぐれたちいちゃんは、ひとりぼっちになってしまいました。広い空は、楽しい所ではなく、とてもこわい所に変わってしまいました─。

 

(あまんきみこ、『ちいちゃんのかげおくり』より

 

 戦時中に、家族で味わうことのできた、ほんの小さな楽しみ、「かげおくり」。

 その楽しみさえも、戦争が奪います。

 そして、もう一度だけ、「かげおくり」のできるその幸せに包まれたとき、ちいちゃんは、お空の上にいる家族のもとへ召されていきます。

 

 か弱いちいちゃんの姿が、戦争の哀しさを強く訴えかけてきます。

 

 

 ただいまと

 聞きたい声が

 聞こえない

 

 これは、東日本大震災で甚大な被害を受けた宮城県女川町の中学生が読んだ句だ。「行ってきます」と言って家を出る。「ただいま」と言って家に帰る。これは、どこの家庭でも当たり前の風景であろう。私も、この句に出会うまで、意識したことなどなかった。

 しかし、あの日、言いたかったのに言うことができなかった「ただいま」が、聞きたかったのに聞くことができなかった「ただいま」がたくさんあったのだ。

 (『初等教育資料 2019年8月号』、小倉勝登氏による)

 

 ここ何日か、このような何気ないひとときの大切さを綴った文章が、私の目をひきます。

 それは、お盆ということで、父、母、兄、長男など、離れていた家族が久々に集まったということ。

 そして、当たり前のような家族の日常を、大切に綴ったブログに出会えたからです。

 「からだのまえに心を運ぶ」。そんなコンセプトから生まれた分身ロボット「OriHime」。OriHimeが見たものは、病室にいる人に届けられ、その人の声は、OriHimeを通して、遠く離れた人に届けられます。

→心を届けるロボット─『「孤独」は消せる。』(吉藤健太郎)─

 

 鳥取県のある小学校では、教室と院内学級(入院する児童生徒のために、病院内に設けられた教室)をつなぐために、OriHimeが使われました。

 院内学級の子供にとって、小学校生活を経験できるという安心感、退院後の復学への抵抗感の軽減などのよさがありました。さらに、OriHimeが小学校の子供たちに届けたのは、入院している子供のひたむきな姿でした。小学校の子供たちは、「辛い治療に負けずに頑張る姿」や「退院したときに困らないように勉強をしている姿」に心打たれたそうです。

 

 当時の校長先生は、OriHimeについて、こう語っています。

 

 ICT・ロボットといえば、無機質で冷たいイメージをもつ人も多いが、(OriHimeは)たくさんの人と繋がることを可能にした優しさの詰まった機器である。

 (『初等教育資料 2019年8月号』より抜粋)

 

 OriHimeのことを教えてくださったのは、まるこさんでした。

 まるこさんが教えてくださらなければ、今回のこの本も目にとめず、流れていったでしょう。

 一つの大切なことは、ずっと心に残って、いつかどこかでつながっていきます。

 だから、私もOriHimeによって人とつながった人の一人です。

 紹介されている本の言葉も、紹介している葉菜さんの言葉も、きれいで、心ひかれました。

「わたしね、この物語みたいに、
なんにも起こらない普通の生活というのかしら、
そんな生活の中にある小さな幸せとか、喜びとか、
なんてことない楽しさとか、
そういうのがほんとうに好きなの」
 (葉菜さんのブログに紹介されていた
  『さよならは小さい声で』(松浦弥太郎)より)

 

 学生の頃に見た『八月の鯨』という外国の映画を思い出しました。

 二人の女性の淡々と過ぎていく日常を描き、結局、お目当ての鯨も見れずに終幕。

 この映画を薦めてくれた人と一緒に見ていたのですが、失礼にも私は、

「え、これで終わり? どこが面白いの?」

と口にしてしまいました。

 でも、その人は、にこにことしながら、

「“ゆうさん”も、こういう映画がいいって思える日が来るよ」

と答えてくれました。

 

 あれから30年。

 自分では「おもしろくない映画」の部類に入れたはずなのに、『八月の鯨』の最後のシーン ─二人の女性が海を眺める映像─ が強く印象に残っています。

 今、もう一度この映画を観たら、あの頃とは違った感慨が生まれるのでしょうか。

 

 もう一度、観てみたい『八月の鯨』。
 読んでみたい『さよならは小さい声で』。