手に余る悪戯っ子の多吉は、親からも友達からも、周りの大人たちからも疎んじられています。
その多吉を、おけら長屋であずかることになりました。
さっそく万造と松吉は、多吉を物乞いに仕立て、哀れをさそい、知り合いの屋台から芋を手に入れます。ちゃっかりと、自分たちのぶんまで。
そのやり口に憤るおけら長屋の住人たちでしたが、多吉が、万造と松吉と一緒にうれしそうに芋を食べている姿を目にして、気持ちが変わります。
「お里。おめえ、多吉が笑っているのを見たことがあるか。・・・あいつらは、多吉を仲間に引き入れたんでえ。みんな、多吉の生い立ちを知って、腫れ物に触るようにしてただろう。あいつは親に捨てられたり、ガキどもに苛(いじ)められたり、哀れんだ目で見られてきたんでえ。お里、おめえはこう言ったな。親から捨てられた子を物乞いに仕立てるなんざ許せねえ。多吉の気持ちを考えてみろってよ。確かにおめえの言う通りでえ。おれもそう思った。だがよ、そりゃ大人の道理だ。多吉にゃそんなことはどうでもいいのよ。多吉は一緒に何かをやってくれる仲間が欲しかったんでえ。嬉しそうな面をしてたのがその証だ」
(畠山健二、『本所おけら長屋(十一)』より)
学もなく、信用もなく、お金もない万造と松吉。それでも人の心を扱わせたら天下一品。江戸時代には、こんな人たちが集まって長屋で粋な暮らしをしていたのでしょうか。
当時と比べたら、きっと格段に暮らしやすい世の中に生きていながら、「おけら長屋」に住んでみたいとちょっぴり憧れます。