■回避か、俯瞰か。
逃げる、とは
課題の困難に直面したときに
勇気を使わずに
その困難を避けることを
目的にした活動です。
その困難が、
困難すぎる場合は
過度な犠牲を防ぐために
有効な選択です。
つまり「緊急回避」です。
「緊急回避」のために
逃げる選択をすること自体に
困難を感じる場合は、
そこに勇気を使って
逃げることを
実施することになります。
一方で、離れる、とは
課題の困難の有無によらず
その課題と距離を
とってみることです。
距離をとってみることで、
近すぎて見えなかったものや
その課題の全体を
見えるようにすることで、
今までの状況に
変化を起こそうとする活動です。
つまり「解決への一手」です。
そしてこれは、
勇気を使う/使わない以前の
話です。
状況把握や
妙案を見出そうとすることに
通常であれば勇気は使いませんから。
課題の解決に向けた道から
外れているわけではないので、
そこに困難があれば
勇気を使う準備があるわけです。
これら
「逃げる」と「離れる」とを
混同してしまうと
おかしくなってしまうので
もししたくなったら
それぞれの目的や
その意味を確認してから
実施したいところです。
■相手の了承の有無
「他者にどう見られるか」を
目的にしてしまうと、
混同しがちです。
逃げるのに「離れる」だと
言い張ったり、
自分では「離れる」のつもりでも
「逃げる」になっていたり。
どうしても
「逃げる」は
他者に見られると
悪評価されそうで
怖くなります。
もし、そうなら、
それは「逃げる」が目的ではなく
「他者によく見られたい」が
目的になっているだけです。
当然ですが、
「逃げる」ことや「離れる」ことで
対人関係に問題が生じるなら、
それを見込んですることです。
例えば、
その相手との対人関係を
なんとか良い関係にしたかったが
無理だと思うので、
対人関係が壊れてでも
今は「逃げる」が必要、と判断したら
「他者によく見られたい」を
ぜんぶ横に置いておいて、
ちゃんと「逃げる」を目的と
認識して行動を起こすことです。
それは例えば
親が自分自身にしか関心がなく
親の指示に従ってばかりだと
親は喜ぶが自分が犠牲に
なり続けるため、
親との関係が悪くなったとしても
今は過度な犠牲を回避するために
「逃げる」が絶対に必要だ、
と判断したりすることです。
なんだか「離れる」とも
思えそうですが、
親との対人関係をよくする課題に
困難を感じて、
その困難を避けるために逃げるので、
やっぱりこれは「逃げる」です。
もし、少しでも
親が話を聞いてくれる人で
「今は親のあなたの指示に
従うことは、ちょっと待ってほしい」
などと話して親の了承が得られたなら、
「離れる」となる感じです。
また一方で、
例えば
任された仕事に困難を感じて
故意に無断欠勤するのは
「逃げる」となります。
それが、会社の人に相談して
しばらく仕事から離れたいと
要望を出して認められた上で
任された仕事をしないことは
「離れる」になります。
「逃げる」をしたのに
会社の人には
「自分は逃げるつもりは
ありませんでした。
やる気はあります。」
みたいに
「よく見られること」を
目的にしてしまうと、
おかしくなってしまう、
というわけです。
■成果を出す
「逃げる」も「離れる」も
目的にしたら、
その効果がちゃんと出るように
やりたいものです。
そうでなければ
「逃げる」も「離れる」も
実現したことにならないからです。
どちらをしても
そこで直面した課題が
消えるわけではありません。
今後のどこかで
再び同じ課題を迎えることに
なります。
つまり、
課題の先送りです。
関係者や場所などの
状況は違っても、
その課題の要素は変わりません。
だから一時的なものとして
最初からわかった上で
使いたいです。
しかもちゃんと
成果が出るように。
避けたいのは
「逃げる」をしたつもりなのに
逃げられていない状況や、
「離れる」をしたつもりなのに
離れられていない状況です。
自分の内面をちゃんと整理して
具体的に目的を理解した上ですれば
そんな中途半端な状況には
ならないはずです。
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ10年目、常楽でした。
・関連記事
逃げるなら逃げた甲斐のあるところまで
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親を好きになれなくても、大丈夫。
逃げる、とは
課題の困難に直面したときに
勇気を使わずに
その困難を避けることを
目的にした活動です。
その困難が、
困難すぎる場合は
過度な犠牲を防ぐために
有効な選択です。
つまり「緊急回避」です。
「緊急回避」のために
逃げる選択をすること自体に
困難を感じる場合は、
そこに勇気を使って
逃げることを
実施することになります。
一方で、離れる、とは
課題の困難の有無によらず
その課題と距離を
とってみることです。
距離をとってみることで、
近すぎて見えなかったものや
その課題の全体を
見えるようにすることで、
今までの状況に
変化を起こそうとする活動です。
つまり「解決への一手」です。
そしてこれは、
勇気を使う/使わない以前の
話です。
状況把握や
妙案を見出そうとすることに
通常であれば勇気は使いませんから。
課題の解決に向けた道から
外れているわけではないので、
そこに困難があれば
勇気を使う準備があるわけです。
これら
「逃げる」と「離れる」とを
混同してしまうと
おかしくなってしまうので
もししたくなったら
それぞれの目的や
その意味を確認してから
実施したいところです。
■相手の了承の有無
「他者にどう見られるか」を
目的にしてしまうと、
混同しがちです。
逃げるのに「離れる」だと
言い張ったり、
自分では「離れる」のつもりでも
「逃げる」になっていたり。
どうしても
「逃げる」は
他者に見られると
悪評価されそうで
怖くなります。
もし、そうなら、
それは「逃げる」が目的ではなく
「他者によく見られたい」が
目的になっているだけです。
当然ですが、
「逃げる」ことや「離れる」ことで
対人関係に問題が生じるなら、
それを見込んですることです。
例えば、
その相手との対人関係を
なんとか良い関係にしたかったが
無理だと思うので、
対人関係が壊れてでも
今は「逃げる」が必要、と判断したら
「他者によく見られたい」を
ぜんぶ横に置いておいて、
ちゃんと「逃げる」を目的と
認識して行動を起こすことです。
それは例えば
親が自分自身にしか関心がなく
親の指示に従ってばかりだと
親は喜ぶが自分が犠牲に
なり続けるため、
親との関係が悪くなったとしても
今は過度な犠牲を回避するために
「逃げる」が絶対に必要だ、
と判断したりすることです。
なんだか「離れる」とも
思えそうですが、
親との対人関係をよくする課題に
困難を感じて、
その困難を避けるために逃げるので、
やっぱりこれは「逃げる」です。
もし、少しでも
親が話を聞いてくれる人で
「今は親のあなたの指示に
従うことは、ちょっと待ってほしい」
などと話して親の了承が得られたなら、
「離れる」となる感じです。
また一方で、
例えば
任された仕事に困難を感じて
故意に無断欠勤するのは
「逃げる」となります。
それが、会社の人に相談して
しばらく仕事から離れたいと
要望を出して認められた上で
任された仕事をしないことは
「離れる」になります。
「逃げる」をしたのに
会社の人には
「自分は逃げるつもりは
ありませんでした。
やる気はあります。」
みたいに
「よく見られること」を
目的にしてしまうと、
おかしくなってしまう、
というわけです。
■成果を出す
「逃げる」も「離れる」も
目的にしたら、
その効果がちゃんと出るように
やりたいものです。
そうでなければ
「逃げる」も「離れる」も
実現したことにならないからです。
どちらをしても
そこで直面した課題が
消えるわけではありません。
今後のどこかで
再び同じ課題を迎えることに
なります。
つまり、
課題の先送りです。
関係者や場所などの
状況は違っても、
その課題の要素は変わりません。
だから一時的なものとして
最初からわかった上で
使いたいです。
しかもちゃんと
成果が出るように。
避けたいのは
「逃げる」をしたつもりなのに
逃げられていない状況や、
「離れる」をしたつもりなのに
離れられていない状況です。
自分の内面をちゃんと整理して
具体的に目的を理解した上ですれば
そんな中途半端な状況には
ならないはずです。
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ10年目、常楽でした。
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