勇気を持つ方法は
簡単です。

自分の属する
共同体の目的に
貢献できる自分を
見つけるだけです。

それで自然と
勇気を持つことができます。



共同体、つまり、
人の集まりです。

私とあなた。
友人、家族。
学校、職場、趣味などの集まり。

それぞれの共同体には
それぞれの目的があります。

ただなんとなく集まったら
目的はないようですが、
「ただなんとなく集まる」という
抽象的ではあるけれど
目的があります。

その共同体の目的に
貢献できる自分をみつけると
自然と勇気を感じます。



その勇気とは
具体的には
「自分は貢献できる」と
信じる思いです。

貢献できる自分は
価値があると感じられます。



アルフレッド・アドラーは

「自分に価値があると
思えたときに
人は勇気を持つ」

と言っています。


その価値とは
自分は
「共同体の目的へ貢献できる」
と思えることです。

子供に笑顔を向けたら
笑顔が返ってきた。

その子にすてきな影響を
与えることができたと
その子が返す笑顔を
見て感じた。


「自分とその子」という
共同体の利益に
貢献できた自分がいます。

共同体の目的は
平和な状況を前提と
しています。
その平和に貢献できた
状況ですね。


きっとその子は
自分の笑顔を見て
安心したのでしょう。

と、すれば、
相手を安心させたいときは
相手に笑顔を見せればできる、と思う。

そうして
笑顔を相手に
見せられる自分をみつけたとき、
自分は勇気を持っています。



仕事でよく行く会社の
いつも受付に出てくる人が
不愛想な人でした。

表情も乏しい感じで
声も小さい。
失礼なことはないけれど
歓迎されてる感も
あまり感じない。

それでも笑顔を向けて
明るく接するように
していました。

ちょっと心に
力を入れる必要が
ありましたけど、
続けました。

笑顔を向けたからといって
不愛想に見える状況は
変わらないのですけどね。



あるとき
受付してもらって
すぐに通されずに
その受付の人と
しばらく一緒に
待つ時間がありました。

そのときに
その受付の人が
いつもと違う感じで
こう話してくれました。

「あの、いつもにこにこされてるので
話しやすくて助かってます」

「あなたの笑顔は
他の人と何か違うんですよね」

え?そうなんですか?
いつも不愛想に見えたから
何も思ってないと思ってたら
すてきな影響を与えていただなんて
これはうれしいですよ。

「いえいえ、そんな風に
見てくださっていただなんて
光栄です。
ありがとうございます。」
そう返しました。

その時から
その受付の人に
表情が出てきたように
感じます。

その次からは
以前のような
心に力を入れて
笑顔をつくる必要は
なくなりました。



不愛想に見える人に
心からの笑顔を向けるのは
簡単か困難かで言えば
困難です。

笑顔を向けたら
笑顔が返ってくるのが普通で、
笑顔が返ってこなければ
「損した」と感じてしまいます。

その「損した」を
乗り越える必要があるから
困難です。

その困難に立ち向かおうと
したときに、
心に持っているものが「勇気」です。

私は勇気を持って、
そして使っていたんですね。



共同体の目的に
貢献できる自分。

具体的な目的が
わからずとも、
共同体の平和を
維持向上させる活動を
できる自分を見つければ、
自分は自然と「勇気」を持ちます。

共同体は
小さいものは
「あなたと私」

そして
友人、家族、
職場、学校、趣味などの集まり。

さらには
社会、世界、宇宙。

また、
「自分と内なる自分」も
共同体と見ることも
できます。

貢献できる自分は
誇らしい自分。

その貢献は
自分ができる範囲でも
いくつもあります。

その「自分のできる貢献」を
「自分はできる」と見つけたとき、
勇気を持つとともに
背中を押される感じも
感じるに違いありません。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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