■甘やかされると、生きずらくなる

甘やかす、とは
本人の課題を
勝手に肩代わりして
済ませてしまうこと
です。

本来、課題は、
所有者である本人が
そこにある困難を克服して
解決すること通じて学び、
力を養って社会適応能力を
向上できる大切なもの
です。

それを勝手に肩代わりすると
課題の所有者である本人は
学ぶ機会や、力を養う機会を
失ってしまいます。

たいていの場合は
が子を甘やかします。

甘やかせば甘やかすほど
親は優越感を搾取できますが
子は親への依存度が高まり続け、
親なしで生きていくことが
できなくなります。

ずっと肩代わりし続けられれば
良いのですが、
そういうわけにもいきません。

年齢を重ねてから
親の支援が急になくなると
通常であれば幼い頃に
向き合う課題と
いまさらな感じで
向き合う
ことになります。

そうして生きずらさ
感じることになるわけです。

しかし、
そうして甘やかす人は
親だけではありません。

■未婚の姉に甘やかされた男性

アルフレッド・アドラー
姉に甘やかされて育った男性
について説明しています。

この男性は
20年間も普通に飲み込むことが
できずにずっと液体の食品だけで
生活しており、
これは苦しいことであり、
この苦しみから解放されたいと
60歳のときに
アドラーのところに来ました。

この男性は
3人きょうだいの末子で
上に未婚の姉が2人います。

アドラーは親については
何も書いていませんが、
おそらく親も
甘やかす人だったのでしょう。

それに未婚の姉たちも加わって
甘やかし続け、
40歳になったときでも
一人で食事ができない状態でした。

親の赤ん坊だけでなく
姉たちの赤ん坊でも
あったのです。

姉たちは年齢も近いため
老齢になっても
赤ん坊の関係を続けることが
できたわけです。

この男性の一番の恐れは
姉たちが亡くなってしまうと
自分を甘やかしてくれる女性が
いなくなってしまうことです。

姉にかわって
自分を甘やかしてくれる女性を
見つけること
は喫緊の課題で
あったわけです。

しかし、
甘やかされた育ったために
相手を信じられずに
疑ってばかりであったので、
自分を甘やかしてくれる女性を
見つけることは叶うはずも
ありませんでした。

また結婚は
甘やかされたい男性にとっては
どうしても避けたいものでした。

その結婚を回避するために
舌が病気であると思い込み、
義歯に舌を傷つくまで
こすりつけることで
舌が病気だとの証拠に
しようとしました。

舌が病気であれば
結婚も、それ以外の
都合の悪いことも回避できたので、
20年も液体の食品だけで
生活することになったわけです。

アドラーが今の生きづらさは
甘やかされて育ったためだと
根気よく説明を続けるなどして
この男性が行動の一貫性を
理解したとき

症状はかなり緩和しました。

次の日にこの男性は
アドラーに15年前の出来事に
関係した夢の話をしたそうです。

その夢の中では
この男性は健康で苦痛もなく
何でも普通に飲み込めたそう。

アドラーはそれを
「自分が15歳若かったら
すべてうまくいくのに」という
優越コンプレックス
だと
指摘しています。

次の課題に進んだ、
ということです。

■妻に甘やかさせる夫

私の父親は
親に甘えられなかったので
妻に甘えていた人でした。

その代表的なものは
こんな感じでした。

父親が
自分の課題に取り組んで
うまくいかないと
その責任を妻に押し付けました。

すると妻はその責任を認め
謝罪していました。

当時の私は、子どもながらに
この光景を目の当たりにして
ものすごい違和感
覚えていました。

自分でやろうとして
うまくいかないなら、
「どうやったらうまくいくのか」を
どうして自分で考えないのだろう?

自分がやろうとしてやったことが
うまくいかないと全損となり
その損失を妻に埋め合わせを
させようとするのは、
なんだかすごい
間違いなんじゃないか、と。

父親は、逆に
自分でやろうとしてやって、
うまくいくと妻に自慢しました。

自慢された妻は
父親を称賛します。

父親は
うまくいかないと他人の責任で
うまくいくと自分の責任にします。

これは幼い頃に向き合うような
課題だと思うのです...

漫才みたいですが、
本人たちはいたって本気です。

父親の矛先が私に向いたときに
私がその責任を引き受けないと
父親は怒りだします。

妻である私の母親は私に向かって
これ以上おおごとにならないように
その責任を引き受けるように言います。

父親がやろうとして
うまくいかないことについて
そもそも私は関係ありません。

それをわざわざ
父親の思い通りにするために
関係あることにしろ、と
言うのです。

父親を甘やかすことに
子の自分にも協力しろ

というのです。

結局、父親が怒り出すと
お金は父親が握っており
それを盾に「見捨てるぞ」
家族に伝えると
見捨てられると困る家族は
従わざるを得ないので、
それがどんなにおかしいことでも
「見捨てるぞ」とならないように
家族そろって父親を
甘やかしていました。

後に、私に対して
「見捨てるぞ」が効かなくなると
ようやく課題に向き合い
”自分の責任は自分のもの”を
理解したようです。

これって親が子に
教えるものではないの?
子に学ばせてもらって
どうするんだよ、
という感じです。

父親は、
妻に甘やかされていた間は
自分の課題に向き合わずに
済んだため、
逆から見ると年をとってから
課題に向き合うことになり、
それはなかなか大変なこと
だったのだと感じます。

妻は妻で
見捨てられると困るため
甘やかすほかないと
信じていたようです。

「甘やかす」はやっぱり
生きずらさを増やし、
生きやすさには
役に立たないものです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ10年目、常楽でした。



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