自分の課題は
自分のものです。



結末の影響を
最も受けるのが
自分自身だからです。

それを横から
「やってあげるよ」
「手伝ってあげるよ」
「一緒にやってあげる」と
いくら言われても
課題の所有権を
その相手に譲る必要は
ありません。

譲らない方が
感じるしあわせは増えるから。



小学生の頃、
水泳が苦手でした。

もっと幼い頃に初めて
親に泳ぎを教えられたときに
いきなり水中に沈められて
溺れそうになったからだと
思います。

溺れて苦しんでる私を見て
父親はうれしそうな顔で
笑ってました。

こっちはもがき苦しんでるのに
どうして笑うんだろう?
謎でした。



死にそうになってる私を
父親が助ける。

「大丈夫だよ」と
いくら言われても
嫌なものは嫌。

「みんなこうして
泳ぎを憶えるんだよ」と
何度も溺れされられました。



溺れてるときに
近くに自分を認識してる人は
父親だけ。

父親にしがみつくしか
助かる道が思いつきません。

父親は生殺与奪の権限を
持っているかのようで
楽しそう。

必死に助けを求める私から
「必要とされてる」と感じる
優越感が嬉しかったのでしょうか。

今振り返ると
虐待ですよ、これ。



小学校で水泳が始まると
何度も溺れた経験から
気持ちが沈みます。

授業で水泳があると
「おなかいたい」とか
言ったりして
なんとか回避しようと
試みる。

水泳を休むことを
教師に許されないときは
本当に貧血で倒れたり。

教師からも
クラスメイトからも
嘲笑されて
恥ずかしい思いに
ただ耐えてました。



親はそんな話を
学校から聞いたようで
私になんとか水泳できるように
させようと働きかけてきます。

「泳げないと恥ずかしいよ」

「誰だって泳げるよ。
お前だってもちろん泳げるよ。」

「できることから始めたらいいんだ」

耳障りの良い言葉。

でも顔には
「水泳も教えられない親だと
嘲笑されたくない」と
書いてある。

言われる度に虫唾がはしる。



小学4年生くらいの夏休みに
父親が提案してきました。

「近くの公営プールで
行政が水泳教室やるって」

「ね、参加してみない?」

これを聞いた時点で
「ああ、自分は断れないんだろうな...」と
思いました。

最後には「見捨てるぞ」と
脅されるとわかっていたから。

それでも本当にイヤなので
「イヤだ」と断りました。

断っても断っても
提案され続けます。

「ね、行ってみようよ」
「このまま泳げなくていいの?」
「お前のために探してきたんだよ」
「こんなに言ってるのに、
どうしてダメなの?」
「おとうさんが一生懸命探して
きたんだよ?」
「おとうさんが子供の頃は
こんなのなかったんだから、行きなよ」
「見つけるの大変だったんだから」
「イヤなことはしないから大丈夫だよ」
「行かないと困る」
「ちゃんと答えて」

毎日言われ続けます。
毎回30分~1時間は言われました。

そんな父親を見て
横から母親も言ってきます。

「おとうさんが一生懸命
言ってるんだから、行きなさい」
「おとうさん忙しいのに
お前のために一生懸命なんだから
行きなさい」
「おとうさんを困らせるんじゃありません」
「何度もおとうさんに言わせるんじゃ
ありませんよ」



大人2人がかりで
どうしても水泳教室に
行かせたいようです。

でも答えは最初に言いました。
「イヤだ」と。

でも親はその答えを
どうしても受け取りたくなくて
「行く」とどうしても言わせたい。

部屋の隅に追い詰められ
「見捨てられて死ぬか」
「水泳教室に行って死ぬか」を選べと
迫られます。

本当は
水泳教室に行かないで、生きる道を
選びたいのに。

「イヤだ」「行かない」と
答えてるのに
どうしても受け取ってくれない。
精魂尽き果てました。



精魂尽き果てた自分は
もうどうにでもなれ、
親に迫られ続けるこの状況を
とにかく終わらせたい、と
自分の課題を
とうとう親に譲ってしまいます。

「本当にイヤなことはしないの?」と
私が確認すると
父親は自信たっぷりに
「イヤなことなんてしないよ」と
言いました。

それなら...と
「わかった、行くよ」と
承諾しました。

その時の
父親と母親のうれしそうな顔は
ひどい顔でした。



「行く」と言ったが
行きたくない。

水泳教室の初日、
精神的に不安定になります。

行く気たっぷりな父親は
家の前に車を止めて待っています。

家の前の道は狭いので
車はすれ違えない。

「おなかいたい」と
いくら親に行っても
「大丈夫、行けばなおるよ」と
相手にされません。

「お前が行くと言ったから
おとうさんは予定をあけてくれたのよ」
「だから行きなさい」
「自分で行ったんでしょ」
「おとうさん待ってるよ」
「他の車がきちゃったら
どうするの?」

すべて私の責任だ、と
責められ続けます。

本当に他の車が来て
クラクションが鳴らされます。

父親の不快な顔。
母親の不安な顔。
そのすべての責任が
私にあると責められる。

クラクションまで私のせい。

「自分で行くと言ったのだから
行かなくちゃいけない」と
決意して、車に乗り込みます。



プールに着くと
水着に着替えて
指導員の指示に従って
プールサイドに並びます。

「何が始まるんだろう...」と
いかにやり過ごすかを
考えていました。

指導員が最初に言った
指示に驚愕しました。

「それじゃ、みなさん。
プールに飛び込みして
反対側まで泳ぎましょう」

は?
なにそれ??

イヤなことは
しないんじゃないの???

ただ泳ぐのもできないのに
いきなり飛び込んで反対側??

なんだそりゃ!?

元気よく頭から
プールに飛び込んでく
子供たち。

それを横目に見ながら
自分が倒れていくのを感じました。

当時のプールサイドは
ざらざらしたコンクリート。
そのざらざら感を感じてると
驚いた指導員が駆け寄ってくる
足音が聞こえました。
その後は憶えてません。



その水泳教室は
泳げない人向けではなく
泳げる人が
もっと泳げるようになるための
ものだったようです。

父親が間違えました。

「イヤなことは
ないって言ったじゃないか」と
帰り道に父親を責め続けました。

「ごめんごめん、
そうだとはおとうさんも
わからなかったよ」と
笑って答える父親。

なんて失礼なんだ。
出てくるのは憤怒と、

自分の課題を手放してしまった
自分の心の弱さへの悲しみ。

自分で、自分を
守れなかった。

父親なんかに
ゆだねてしまった自分が
愚かでした。



「泳げるかどうか」は
私の課題です。

それを
「親なら子を
泳げるように
させてあげるくらいは
するもの」
みたいな親の課題に
すり替えてしまいました。

自分が泳げないせいで
親が恥ずかしい思いをする。
だから、泳げない自分は
ダメなんだ、と。

課題がまぜこぜになると
苦しいです。



その後、泳げないのも
いいかげん恥ずかしいと思い
自分一人でこっそり練習しました。

まずは水に顔をつけること。

洗面器に水を入れて
顔を入れるだけ。

最初はしびれるような
恐怖があったのに
繰り返すとそれもなくなり
いくら顔を水に入れていても
平気になりました。

それからは
水に浮くことや
水を手でかいて進むことが
すぐできるようになりました。

自分の課題を
「自分の課題」として
取り組むことは
なんと清々しいことなのか!と
その爽快感を感じてました。



私が泳げるようになるのを
知った父親は
母親に言います。

「あのとき水泳教室に
連れていったおかげだね」

それに母親が返します。

「そうですね、あなたの
おかげで泳げるように
なりましたね」

いえ、あなたたちは
関係ありませんよ。

むしろ
泳げるようになったのは
あなたたちが
関係しなかったから
成し得たことなんですよ。

子供ながらに
家の手柄は
全部父親のものに
なっているのに
嫌悪感を感じてました。



自分の課題を
「自分の課題」として扱うと
共同体感覚が高まります。

成し遂げたときに
「自分には力がある」と
実感できます。

自分と他者を整理して扱うので
自分の責任で取り組めます。
誰かのせいに
する必要がありませんから。

自分の課題を
「自分の課題」と扱うことは
相手の課題を
「相手の課題」と扱うことも
たやすくなります。

そうして
他者とも自然と調和するので
自分の居場所がある感覚も
感じられます。

すてきなこと尽くしですね!





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。



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