■敵・味方より仲間の方が楽
自分と相手と
課題の分離ができると
仲間でいることが
簡単になります。
逆に課題の分離をせずに
他者の課題を
自分のものとしたり、
自分の課題を他者に
肩代わりさせようとすると
仲間でいることが
困難になります。
仲間とは
言い換えると
対等な関係、と言えます。
自分の課題を自分のものとして
その責任のすべても
自分で引き受けるものとするのが
自然である、と思っている人同士なら
責任転嫁もありませんから、
安心して隣にいられます。
それが仲間ではなく
他者は敵・味方の
どちらかであるとすることは
言い換えると
対人関係の形態が上下関係と
言えます。
自分に有利な課題であれば
他者のものにまで手を伸ばし
自分の優越感を得ることに
利用しますし、
自分に不利な課題であれば
自分の課題を他者に肩代わりさせて
その責任まで負わせようとします。
これでは
隣にいたら
いつ奪われたり
責任転嫁されたりするのかわからず
不安になりますから、
自然と距離を置きたくなります。
ですから
課題の分離、すなわち、
自分の課題は「自分のもの」と
他者の課題は「その人のもの」と
適切に区別して扱うことが
互いに仲間と思うことに
役立つわけです。
■感じるしあわせへの影響
他者を仲間と感じられると
生きやすさが増えて
生きづらさが減ります。
つまり、
他者を仲間と感じられる感覚を
養うことは、
感じるしあわせを
増やすことに有益なのです。
しかし、
他者は仲間といっても
すべての人が親友みたいに
ならないといけない
わけではありません。
近い仲間もいれば
遠い仲間もいます。
それぞれに距離は違えど
すべての他者は仲間である
というわけです。
一方で、
他者を敵・味方に分ける生き方は
自分の周りの敵を排除して
味方だけを残す生き方です。
自分の状況によって
同じ人でも味方になったり
敵になったりします。
本当は味方かもしれないのに
その人を敵と思って排除すると
どんどん孤立していきます。
新しく知り合っても
敵かもしれないと疑います。
今は味方の人でも
いつ敵になるのかと疑います。
そうして自分の関心の向け先が
どんどん自分だけになっていきます。
それは
自分の利益ばかりを気にして
他者の利益はどうでもよくて
他者が損しても自分には関係ない
という生き方です。
そんな
自分の利益ばかりを優先する人は、
他者は自分の利益に役立つなら味方で
自分の利益に役立たない他者を敵と
見るようになります。
相手から見たら
自分の利益はどうでもよくて
相手の利益のために
自分が貢献するのは当然だと
思っている人なら、
関係すればするほど
貢献を奪われる感覚になります。
そんな自分中心な生き方になると
最後に残るのは家族や
お金でつながっている人など
関係を切りたくても切れない人
だけが残る状況になります。
自分の利益に役立つかどうか、
すなわち他者を敵・味方に
分ける生き方は、そうして
孤立を深めていくことになります。
アルフレッド・アドラーが
孤立を「社会的な死」と
言っていることもうなずけます。
この生き方では
感じるしあわせが
増えることがないのです。
■適切な課題の分離の恩恵
課題の分離、すなわち
自分の課題を「自分のもの」と
相手の課題を「相手のもの」と
することは、
助け合わないということでは
ありません。
自分の課題を「自分のもの」と
することは、
その課題の責任のすべてを
自分で引き受ける、
ということです。
その責任を変えずに
他者に助けを求めることも
課題の分離ができている
ということです。
例えば、
作業のやり方がわからないから
相手に教えて欲しいと
助けを求めます。
相手はそれに応じて
その作業はやったことあるから
教えてあげるよと
教えてくれたとします。
そこで言われたとおりに
自分がやってみても
うまくいかない場合に
「言われた通りにやったのに
うまくいかないじゃないか」と
責任を自分ではなく相手に
負担させることは
課題の分離が崩れています。
相手が専門家で
お金を払ってやり方を
教えてもらうことを
買ったのでもない限りは、
うまくいかないことの責任は
自分にあります。
その責任を
なんとか相手に負担させて
課題を相手に肩代わり
させようとすると
課題の分離が崩壊して
混乱した状況になっていきます。
そんな混乱した状況では
感じるしあわせを
増やすことは困難ですし、
継続すれば孤立が
深まっていくでしょう。
逆に、
「言われた通りにやってみたんだけど
うまくいかないので、助けてほしい」と
責任を手放すことなく
相手に助けを求めれば
相手も応じやすくなります。
そうして自分の課題を
継続して自分のものと扱い続けて
自分で克服できたときは
自分だけがうれしいのではなく
相手もそこに貢献感を得られます。
自分は助けてくれた相手に
感謝の気持ちを感じて
それを示したくなりますし、
相手も感謝を示されて
貢献できたことを
うれしく思うことでしょう。
そうして貢献と感謝で
さらに仲間である感覚は
強化されていきます。
他者は仲間である感覚が
強化されていくということは
感じるしあわせを
さらに増やしやすくなる
ということでもあります。
適切な課題の分離は
感じるしあわせを増やすことに
力強く効果を発揮してくれます。
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ9年目、常楽でした。
・関連記事
課題の分離、冷える方法と温まる方法
自分の課題は誰にも譲らなくていい
課題を分離できると、対等になれる
仲間を増やす方法
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仲間でいることが
簡単になります。
逆に課題の分離をせずに
他者の課題を
自分のものとしたり、
自分の課題を他者に
肩代わりさせようとすると
仲間でいることが
困難になります。
仲間とは
言い換えると
対等な関係、と言えます。
自分の課題を自分のものとして
その責任のすべても
自分で引き受けるものとするのが
自然である、と思っている人同士なら
責任転嫁もありませんから、
安心して隣にいられます。
それが仲間ではなく
他者は敵・味方の
どちらかであるとすることは
言い換えると
対人関係の形態が上下関係と
言えます。
自分に有利な課題であれば
他者のものにまで手を伸ばし
自分の優越感を得ることに
利用しますし、
自分に不利な課題であれば
自分の課題を他者に肩代わりさせて
その責任まで負わせようとします。
これでは
隣にいたら
いつ奪われたり
責任転嫁されたりするのかわからず
不安になりますから、
自然と距離を置きたくなります。
ですから
課題の分離、すなわち、
自分の課題は「自分のもの」と
他者の課題は「その人のもの」と
適切に区別して扱うことが
互いに仲間と思うことに
役立つわけです。
■感じるしあわせへの影響
他者を仲間と感じられると
生きやすさが増えて
生きづらさが減ります。
つまり、
他者を仲間と感じられる感覚を
養うことは、
感じるしあわせを
増やすことに有益なのです。
しかし、
他者は仲間といっても
すべての人が親友みたいに
ならないといけない
わけではありません。
近い仲間もいれば
遠い仲間もいます。
それぞれに距離は違えど
すべての他者は仲間である
というわけです。
一方で、
他者を敵・味方に分ける生き方は
自分の周りの敵を排除して
味方だけを残す生き方です。
自分の状況によって
同じ人でも味方になったり
敵になったりします。
本当は味方かもしれないのに
その人を敵と思って排除すると
どんどん孤立していきます。
新しく知り合っても
敵かもしれないと疑います。
今は味方の人でも
いつ敵になるのかと疑います。
そうして自分の関心の向け先が
どんどん自分だけになっていきます。
それは
自分の利益ばかりを気にして
他者の利益はどうでもよくて
他者が損しても自分には関係ない
という生き方です。
そんな
自分の利益ばかりを優先する人は、
他者は自分の利益に役立つなら味方で
自分の利益に役立たない他者を敵と
見るようになります。
相手から見たら
自分の利益はどうでもよくて
相手の利益のために
自分が貢献するのは当然だと
思っている人なら、
関係すればするほど
貢献を奪われる感覚になります。
そんな自分中心な生き方になると
最後に残るのは家族や
お金でつながっている人など
関係を切りたくても切れない人
だけが残る状況になります。
自分の利益に役立つかどうか、
すなわち他者を敵・味方に
分ける生き方は、そうして
孤立を深めていくことになります。
アルフレッド・アドラーが
孤立を「社会的な死」と
言っていることもうなずけます。
この生き方では
感じるしあわせが
増えることがないのです。
■適切な課題の分離の恩恵
課題の分離、すなわち
自分の課題を「自分のもの」と
相手の課題を「相手のもの」と
することは、
助け合わないということでは
ありません。
自分の課題を「自分のもの」と
することは、
その課題の責任のすべてを
自分で引き受ける、
ということです。
その責任を変えずに
他者に助けを求めることも
課題の分離ができている
ということです。
例えば、
作業のやり方がわからないから
相手に教えて欲しいと
助けを求めます。
相手はそれに応じて
その作業はやったことあるから
教えてあげるよと
教えてくれたとします。
そこで言われたとおりに
自分がやってみても
うまくいかない場合に
「言われた通りにやったのに
うまくいかないじゃないか」と
責任を自分ではなく相手に
負担させることは
課題の分離が崩れています。
相手が専門家で
お金を払ってやり方を
教えてもらうことを
買ったのでもない限りは、
うまくいかないことの責任は
自分にあります。
その責任を
なんとか相手に負担させて
課題を相手に肩代わり
させようとすると
課題の分離が崩壊して
混乱した状況になっていきます。
そんな混乱した状況では
感じるしあわせを
増やすことは困難ですし、
継続すれば孤立が
深まっていくでしょう。
逆に、
「言われた通りにやってみたんだけど
うまくいかないので、助けてほしい」と
責任を手放すことなく
相手に助けを求めれば
相手も応じやすくなります。
そうして自分の課題を
継続して自分のものと扱い続けて
自分で克服できたときは
自分だけがうれしいのではなく
相手もそこに貢献感を得られます。
自分は助けてくれた相手に
感謝の気持ちを感じて
それを示したくなりますし、
相手も感謝を示されて
貢献できたことを
うれしく思うことでしょう。
そうして貢献と感謝で
さらに仲間である感覚は
強化されていきます。
他者は仲間である感覚が
強化されていくということは
感じるしあわせを
さらに増やしやすくなる
ということでもあります。
適切な課題の分離は
感じるしあわせを増やすことに
力強く効果を発揮してくれます。
お読みいただき、
ありがとうございます。
プロコーチ9年目、常楽でした。
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自分の課題は誰にも譲らなくていい
課題を分離できると、対等になれる
仲間を増やす方法