■やりとりは叱る以外の方法で

一度でも子を叱ると
その親は叱る親
子に見られます。

そして、
その「叱った事実」があるだけで
その後も叱る親と見られます。

つまり子は
自衛のために
叱る親を警戒するように
なるわけです。

でも叱ることは
叱る親も疲れるでしょうし
そもそも子の教育に
何の役にも立たない
ので
やめたいと思うでしょう。

そうして
叱る親をやめようとすると
たちまち試練に直面します。

それは子が親に
「本当に叱る親をやめたのか」を
確認しようとする
ことです。

言葉での確認ではありません。

親が叱るようなことを
わざわざするのです。

叱る親をやめると決心したのに
なんでそんなことするの?と
思うようなことをするわけです。

ちょっとやってみて
親が叱らないと
その強度を強めます。

強めても叱らないと
さらに強めます。

親がそれに耐えきれなくなると
やがて叱ってしまいます。

すると子は
「ほら、やっぱりウソだ」
状況は変わっていないことを
確認して警戒を続ける。

状況が変わっていないなら
今まで通り
自分で自分を守らないと
いけないこととなり、
叱る親に心を開くことには
消極的になります。

もし本当に
叱る親をやめるなら
親はその試練を
乗り越える必要があります。

そのためには
何があっても「叱る」を
しないことです。

子のはたらきかけに
「叱る」以外の適切な方法
応じることです。

これは親子だけでなく
上司と部下や、教師と生徒、
先輩と後輩や、監督と選手など
上下の立場のある状況に
見られがちな関係にも言えます。

■対等な仲間としての関心

叱るをしないで
適切な方法で接するのは
対等な仲間としての
関心を示すこと
、です。

叱るのは上下関係です。

罰を与えるなどしたら
それこそ支配/被支配関係です。

支配される、というのは
奴隷扱いされることなので
される側にとっては
嫌なことです。

そんな嫌なことをしたら
関係が悪くなるのは当然
です。

関係を悪くしてから
言うことを聞いてもらおうと
したとしても、
子がそれに応じる目的は
「これ以上叱られないため」
であり
親の意図と重なることは
まずありません。

そのため
まずは信頼関係を築くことです。

その信頼関係の基礎は
相手との対人関係を
上下関係ではなく
対等な関係として持つことです。

それは親が身も心も
子の上でも下でもなく
隣(横)に居ることです。

甘やかされた子、
すなわち、
自分の課題を
相手に肩代わりさせようと
する傾向の強い子であれば、
その課題を肩代わりすれば
子は喜ぶでしょう。

しかしこれでは
子を上、親が下の
上下関係となり、
対等ではありません。

かといって放置すれば
子は自分の課題に
向き合おうとはしないでしょう。

そこで必要になるのが
「援助」です。

「援助」は子の課題を
どこまでも子のものとして
扱い続けます。

子が今、どんな困難を
感じているのかを知り、
そこで互いに何をすれば
うまくいきそうかを
一緒に考えることです。


そうして信頼関係を築いた上
親の持つ情報や経験を
役立てていくわけです。

■アドラーの例

アルフレッド・アドラー
今までずっと他者に拒絶され
続けてきた患者と向きあったとき、
自分は何があっても
抵抗しないでおこう
と決めました。

その患者はアドラー
自分を拒絶するに違いないと思い、
それを確認する活動に入ります。

それは沈黙から始まり、
どんどん確認の強度が上がり
ついにアドラーに殴りかかりました。

アドラーはそれも抵抗せずに
受けたそうで、
暴れた患者は窓ガラスに
手をぶつけてケガをしました。

そこでアドラー
そのケガの手当をして
患者に言いました。

「あなたの治療が
うまくいくためには
二人が何をすれば
良いと思いますか?」


それに患者は
こう応じたそうです。

「それは簡単ですよ。
私は生きる勇気をすっかり
失っていたが、あなたと
話している間に
勇気を見つけました。」

それは、この世界に
自分を拒絶しない人がいると
体感したために、希望を
見出したのだと見えます。

つまり、治療は
うまくいったのです。
(3か月かかったそうです)

もしアドラーが患者に
「暴れてはいけない!」などと
叱っていたら、この患者は
他者は自分を拒絶するとの信念を
さらに強固にした
でしょう。

この患者が勇気を感じられたのは
アドラー対等な仲間としての
関心を示したから
です。

あなたの治療がうまくいくために
あなたが何を良いか、でもなく
私が何をすれば良いか、でもなく
二人が何をすれば良いか
問いかけているところに
注目したいところです。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。


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