これは誰の課題か?

それは
その課題、
すなわち「やること」を
やった結果の影響を
最も受ける人のものです。



課題には名前が書けないので
課題を見た人自身が
その都度、誰のものかを
判定する必要があります。

そして課題を、
それぞれ本人のものと
整理できると
お互いに対等な関係になれます。



ある女性のお話。

その方は中学生の娘と
小学生の息子を持つ母親。

娘は
自分がつきっきりで
勉強を見てあげないと
勉強ができなくなると思い、
毎日仕事から帰ると
娘の勉強を一緒にする。

それ以外にも
自分がいろいろ決めてあげないと
うまくいかないので
明日着ていく服を
毎日決めてあげる。

何をどこに片付けるかも
母親の自分が決めてあげる。

あげまくりの日々。



一方で
息子は自由奔放に育てていて
息子もその自由を楽しんでいる。

一家のお笑いキャラで
いろいろ変なことして
家族に笑いを提供してくれる。

でも、
忘れ物をよくするので
いつもそのフォローで大変だそう。

学校からのお手紙は
もらった翌日の朝に出てくるのは
まだやさしい方。

「こないだ配ったお手紙の件ですが...」
と学校から連絡が来て、
はじめて手紙が配られたことを知るのも
日常の出来事。

学校へ行くのに
忘れ物をよくするが、
たまにランドセルごと
家に置いたまま
行ってしまうこともある。

忘れ物を本当によくするので
いつも息子には
「○○持ったの?」
「○○はカバンに入れた?」
「○○はどこに置いた?」
と確認しまくる日々。

怒って言わないように
必死に頑張っている。

「持ったよ」
「カバン入れたよ」
「机に置いた」などと
良い返事がくるけど
実際は、
持ってない、入れてない、置いてない、など
やってないことがほとんどで

確認したことの確認、まで
せざるをえない毎日。



娘にはつきっきりで
やってあげないとダメだし、
息子は自由にさせてるのに
ミスしまくるし。

娘や息子ことを
終えてから自分のことをするけど
その時には疲れて眠ってしまうから
どんどん先送りになる。

歯医者にも行けず
ずっと仮歯のまま。

離婚して夫もいないし
親は親で介護とかで大変だから
迷惑かけたくない。

そんなこんなで
疲労はたまる一方で
仕事にも集中できないし
勤務先にも迷惑かけてる。

やること多すぎて
寝る時間を削って
もがいてみても
足りない状況。

やってもやっても
楽になれない。

もう疲れた...なんとかしたい...



この女性は
娘や息子の課題を
自分の課題として
扱っていたために、
抱え込む「やること」が
膨大になっていました。

また、子は子で
母親が一生懸命やる姿を見ると
「従ってあげなくちゃ」と思うようで
子自身の「やりたい」を
子が我慢しているような状況でした。

裏返すと
「母親に従う」を
母親にしてあげたくて、
それをし続けている状況でした。



「子も自分も
心の平和を感じて暮らす」を目的に、
課題の分離をしてみました。

まず一番時間がかかっている
娘の勉強をみてあげること。

娘の勉強の目的は、
娘自身のしあわせのためです。

娘が勉強をいくらしなくても
娘自身が「自分に必要だ」と
感じるまで、
目的の確認以外はしないことを
してみました。

勉強しない娘を見ると
いてもたってもいられない感覚を
感じます。

でも、
「勉強をちゃんとすると
ちゃんとしあわせになれるよ」などと
言うだけ。

手伝ってあげたくなるけど、しない。
一人、苦しい思いを耐え続けます。



息子の忘れ物は
息子の課題です。

どんな忘れ物をしても
本人が「忘れ物したくない」と
感じてくれるまで、
「何もしない」をしてみます。

学校からの手紙があるかどうか。
母親の自分が用意するものは
何かあるか。

それだけを一度確認して、終わる。

そんな日々を続けます。

相変わらず忘れ物をしますから
何か対策したくなってしまいますが
「何もしない」をすることに
集中します。

親の自分が手を回せば
回避できるけど、
そこを「しない」を選ぶ。

息子のためにも
自分のためにも
必死に選び続ける。



やり始めてからの変化は
自分の時間ができたことでした。

娘の勉強を見る時間がなくなったので
自由な時間を得ることができました。

最初は悪いことしてるように
感じていた自由な時間ですが、
その時間で自分のことをしてみると
翌日、楽でした。

楽になるとは
わかっていたけど、
思った以上に楽で
その解放感に
至福を感じました。

その後さらに
「されるがまま」の娘から
「○○してほしい」とか
「○○ってしてもいいの?」とか
言われるようになり、
ゆっくりですが
娘に変化が現れます。

また、息子の方も
忘れ物をして大変な思いを
母親の自分もするけど
息子自身も
「これは大変なことだ」と
感じたようで、
忘れ物の度合いと頻度が
減っていきました。

その変化を感じるたびに
うれしくて涙が出ちゃうそうです。



そうして子供たちが
変化していくにつれて
感じていた疲れも減って
仕事の時間も
ちゃんと仕事に集中できるように
なりました。

その後も家族の中では
次々に課題が出てきますが
その課題に出会うたびに
「それは誰の課題か?」を
ちゃんと見るようになったそうです。

今までは
親に子が従う上下関係だったのが
課題の分離をするようになったら
親は親の課題を
子は子の課題を
それぞれ自分で取り組むようになって
関係も対等になりました。



課題の分離ができないと
相手の荷物を自分が、
自分の意志で持ったにも
かかわらず、

その相手に
「なんて重たい荷物だよ。
なんとかしてよ。
自分に背負わせないでよ」と
言いたくなったりします。

そんな感じで、
課題の分離は
「自分の荷物は自分で持つ」に
似ています。

自分の同意の下に
相手に自分の荷物を持ってもらったり
その反対もあるかもしれませんが
そこには対等さがあります。

無断で所有者の許可なく持つことは
ありませんし、
逆に相手に丸投げして
押し付けることもありません。

そうして対等な関係になると
共同体感覚が高まります。

高まると、
感じるしあわせが増えます。





お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ8年目、常楽でした。

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アドラー心理学の目標は「共同体感覚の育成」
相手の結末は相手のもの。それが成功でも、失敗でも。
約束通りに終わるのは、罰じゃない。主体性が育つ機会。
「褒める」は上下関係、「感謝」は対等な関係
勇気とは、共同体感覚を下げずに困難を克服する決意のこと