■悲劇の発端

子供の課題は、
その子供のものです。

親のすること
子供を課題に取り組ませる
ことでもなく、
子供に代わって親が
その課題を肩代わりする

ことでもなく、
子供が課題に取り組めるように
援助すること
です。

子供の課題を
親のものとしてしまうと
悲劇が始まります。

■ある事件に教訓を見出す

以前、こんな事件を
聞いたことがあり、
内容を読み取ると
こんな感じになります。

ある医者の息子が
医学部へ入学するために、
毎日夜になると
その医者は息子の勉強を
みてあげていたそうです。

しかし、息子にとっては
とても苦しい時間でした。

なぜなら、
憶えられなかったり
間違ったりして
医者である父親の期待に
応えられないと
そのたびに
棒で殴られるからです。

医者である父親は
息子が有名大学の
医学部に息子が入学するのは
自分の予定となっており、
もしそこに息子が
入学できないと
自分が恥ずかしい思いをする
と信じていました。

自分が恥をかかないためには
何が何でも息子を
有名大学の医学部に
入学させなければ
ならない
わけです。

勉強みるのを始めた頃は
息子も父親の期待に応えようと
痛い思いをしても
父親の監視の下に
勉強に励みました。

しかし、
何度も何度も
痛い思いをするので
だんだんイヤになってきて、
ついには痛いのはイヤだと
父親に抵抗を示しました。

すると父親は
それを暴力で制圧します。

暴力はしないで欲しい
何度も懇願しますが、
父親はイヤなら結果で示せと
いうだけで暴力を
やめようとしません。

しまいには
勉強する時間より
父親が息子に怒鳴ったり
暴力したりする時間の方が
長く
なりました。

これは密室でのことであり、
それは父親にとって
誰も邪魔しないので
好都合
であり、
息子にとっては
誰も助けてくれず
孤立無援状態で、悪い状況でした。

医者として社会的に
信頼されていた父親は
外で息子が暴力の話をいくらしても
信じる人はいませんでした。

それを外の人が父親に告げると
父親はさらに暴力するので
簡単に外で暴力されてると
息子は言えなくなりました。

息子が父親への抵抗で
力で立ち向かったこともありますが
毎回父親に制圧されてしまいます。

力でかなわない、
というより、
父親が大切な人なので
息子が手加減していた
ような
感じでした。

そんな息子の気持ちも知らず
父親は思い通りにならないと
激怒して暴力を行使し続けました。

もう目的が、
息子が有名大学の
医学部に入学できる
状況にする、ではなく
なって
父親が、ただただ暴力の快楽を
得たいだけ
のような状況です。

息子は心身ともに追い詰められ、
自分が死ぬか
父親が死ぬかしないと
この状況は終わらない

思うようになります。

そしてある日、
ついに息子が決断をします。

自分は死にたくない。
だからヤツを殺そう、と。

※この内容は
事件から読み取っただけで
すべてが事実ではありません。


■勇気を使う選択をする

自分の課題を
「自分のもの」
として、
相手の課題を
「相手のもの」
として
それぞれ扱えば
こんな悲劇は起こりません。

この父親は
自分の課題を
相手に肩代わりさせたり、

相手の課題を
自分の思う通りにしようとして

結果、悲劇となりました。

まず息子が父親に
受験勉強をみてもらうかどうか、の
取り扱いが違っています。

父親に勉強を
みてもらうかどうか、は
息子の課題であって
父親の課題ではありません。

息子の課題と扱うことは、
父親に勉強を見てみてもらわない
という決定も息子はできる、と
事前に認めること
です。

それを父親は
息子の決定を無視して
「息子は父親に勉強を
毎夜みてもらう」と
勝手に決めています。

しかも従わないと
暴力により恐怖で支配し
息子を従わせています。

同様にして
勉強するかしないか、
勉強するならいつ勉強するか、
受験するかしないか、
受験するならどこを受験するか、
将来の職業は何にするか、
誰に教えてもらうか、
などなど息子の課題ですが
一方的に父親が決めています。

息子の課題に
土足で踏み込んでいる状況
です。

さらには
他者が自分をどう見るか
かっこいいと見るか
かっこ悪いと見るかなどは
その他者の課題であって
父親の課題ではありません。

その他者の課題を
自分の都合の良いように
操作する方法
として
「息子が有名大学の
医学部に入学する」
を実現するしかない、
と信じたわけです。

そこには
「息子が有名大学の
医学部に入学する」以外に
なった場合に
自分はどう見られるか
わからないことに
強く怖れる父親
見て取れます。

その怖れにとらわれるあまり
大切な息子を
そのままにしておくと
「息子が有名大学の
医学部に入学する」が
実現するのかどうかが
わからないので
悪い予想ばかりに意識が向きます

「息子が有名大学の
医学部に入学する」を
実現を確実にするためにはもう
なりふり構っていられなくなり
自分の利益最優先で
大切な息子を犠牲にしてでも
実現の可能性を高めたかった

と見えます。

父親が
自分の課題だけを
操作しようとしていたら
この怖れに勇気を使って
立ち向かい、
大切な息子を大切に扱ったでしょう。

でも
勇気を使えなかったがために
生きるのに役立たない道である
暴力を使うこと

選んでしまったのです。

暴力は
「相手より自分優先」な行為です。

「相手より自分優先」な行為では
感じるしあわせは増えません。

一方、勇気を使ったなら
「自分より相手優先」な行為
選びやすくなります。

「自分より相手優先」な行為は
感じるしあわせを増やしてくれます

この事件から
「自分より相手優先」
大切さを学びたいです。

「自分より相手優先」
意識できるようになると
親子に限らず
上司や部下でも
教師と生徒でも
先輩と後輩でも
監督と選手でも
自然と自分と相手の課題を
その所有者は誰なのかにも
意識できる
ようになります。

意識できれば
悲劇へと進むことを
回避できます。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。




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