■対人関係から離れたい

人生は苦しいもの、と
見たくなるときは、
対人関係から離れたいときです。

そうして対人関係から
安全に離れるためには
離れることが正しいと感じる
「もっともな理由」が必要です。

その「もっともな理由」として
「人生は苦しいもの」
見ようとするわけです。

それは、
なぜ対人関係から離れるのか?
の問いかけに対しては
「人生は苦しいもの」
返すことで済む、と思ってる
ということです。

別にこれが「悪」なわけでは
ありません。

やってはいけないことや
罪に問われるようなことでは
ありません。

対人関係を一休みしたいなら
有効な方法
です。

でも、ずっと対人関係から
離れていることはできません。

生き延びようとする以上は
対人関係を持つ必要があります。

そこで無理やりにでも
持とうとする対人関係は
「相手より自分優先」な関係に
なりがち
です。

「自分が生き延びられること」
目的なので、
自分と関係を持った他者の利害が
どうなるのかには関心がありません。

すると、
自分の利益にしか
関心がない状況なので
共同体感覚は高まりません。

共同体感覚が高まらないと
感じるしあわせは増えません。

自分だけの利益を得られたときの
刹那的なしあわせ
感じられるだけです。

刹那的なしあわせ
感じたらすぐ消えるので
また得るためには
他者を利用することになります。

こんなときの
自分だけの利益のために
他者に犠牲を払わせるかのごとくに
貢献を搾取しようとする行為が
その相手から
罪に問われやすくなる
のです。

結果、良好な対人関係は育たず、
対人関係を持つと嫌な思いをする
という信念
を深めることとなり、
「人生は苦しいもの」と言い続けて
対人関係を遠ざけ続けたくなるわけです。

■人生の3つの苦しみ

人生の苦しみは3つに
まとめられます。

ひとつは、
この肉体はいずれ死ぬ
ということです。

もうひとつは、
この世界に適者生存を
常に問われていること
です。

生き延びるためには
生き延びる活動をした人だけが
生き延びることができるわけです。

そして最後のひとつが
対人関係です。

人は、対人関係の苦しみが
他の2つにくらべものに
ならないほど大きく感じます。


そのため、
他の苦しみはどうなろうとも
対人関係の苦しみだけは避けたいと
対人関係から進んで遠ざかることで
身を守ろうとするのです。

そこで使われる
「もっともな理由」が
「人生は苦しいもの」
というわけです。

■「社会的な生」へ向かう

感じるしあわせを増やすなら
対人関係に向き合って
そこにある課題の克服を
試みること
が必要です。

そうすることで
共同体感覚が高まり、
共同体感覚が高まると
感じるしあわせが増えたと
感じられるのです。

アルフレッド・アドラー
「人間の悩みはすべて
対人関係の悩み」

言っています。

と、いうことは、
悩みがあるなら
対人関係を良好なものへと
手入れをすれば良いのです。

対人関係がうまくいくと
やがて肉体が死ぬとわかっていても
世界に適者生存を常に問われていても
「生きていてうれしい」
感じられるのです。

アドラーは孤立を
「社会的な死」と言っていますが、
良好な対人関係を持つこと
その反対の「社会的な生」
状態と言えます。

その「社会的な生」の第一歩は
他者は敵・味方ではなく
すべて仲間
である、と感じることです。

そして、
自分だけの利益に貢献するのではなく
自分と他者で構成する
共同体の利益に貢献しようと
活動することです。

そのためには
共同体の利益とは何か?を
見る必要があります。

そうして
他者への関心を持って
活動することで、
対人関係の苦しみは減り、
次第に感じるしあわせを
増やしていけるわけです。




お読みいただき、
ありがとうございます。

プロコーチ9年目、常楽でした。



心の不健康は「対人関係を避ける目的」から来る
悩みだけじゃなく喜びもすべて対人関係からうまれる
自己中心的だと避けられる人は、他者の利益に関心のない人
迷わない人は、ひとつ上の共同体の利益を見てる人
アドラー5原則:対人関係論