初めてのスリランカ、大好きになった!
何より、人が優しい。内面から輝いている。
目が合うとすぐ微笑み返してくれるのだけど、
それが表面的なものではなく、目の奥の深いところから通じ合う実感がある。
相手の中に神様がいる。

それから町を歩いて気がついたことは、ぐずって親を困らせる子供、
子供をガンガン叱っている親、喧嘩している夫婦など、
スリランカでは一切見かけなかった。
それどころか、どの親も子供を大切に守りながら歩いている光景や、
親の仕事をすすんで手伝っている子供、家族愛に満ちていた。
動物たちも人間と一緒に自由だ。車道をよこぎる牛、歩道のど真ん中で
昼寝する犬たち、鳥の鳴き声はいつでもどこでも聞こえる。

寺院に行いけば、観光客より現地の人でどこも一杯、
菩提樹や仏像の前に座って唄うようにマントラを長く唱えている。
(インドのキールタンと同じだ)
そういったことを、日常にしているって素晴らしい。

ヨーロッパの友人は、どでかい仏像があちこちにありすぎ、
菩提樹にまでなぜあんなに丁寧に拝んでいるのかよくわからない、
と言っていた。

確かに、祈りというのは目に見えない、内側の世界だから、 
そういう意味では、 たくさんの仏像がなくても、
祈りはいつでもどこでもできる。
でもきっと、人々が集いやすいから、
或いは菩提樹にお水をあげたりする行為によって、
祈りが行いやすいから自然にそうなったのだろうと思う。
( 崇めているのとは違うのだ、と、うまく説明できなかったのが残念だ。)

最初に訪れたアヌラーダプラでの宿のご主人が仏教観について話してくれたのが印象的だった。

”生きているうちは、人も自然のうちなので悪いこと良いことに左右されて
(あるいは自分で善悪を分別し)自分というものがわからない。死んだ時、全てが解る、だから生きているうちは、
自然と一体で色々な事に左右されながら今を生きていくことだと思う、
とそんなことを話してくれた。

スリランカ、山岳信仰の聖地、
スリーパーダ(アダムスピーク)に登った。

ここはもともと、スリランカ原住民ヴェッダ人の守護神サマン神を祀る山で、
同時に仏教、ヒンドゥー教、キリスト教、イスラム教の聖地となっている。
ちょうど巡礼のシーズンで9割以上は現地の人、ここでも小さい子供を抱えながら、家族単位で、しかも聖地ということで裸足で、3~5時間かかる山道を登っていた。
日本の山岳信仰で”六根清浄~♪”と唄うように、ここでも グループで 、或いは見知らぬ人同士で、
"サマン、サマン~xxx♪”とマントラを唄いながら登っていた。

〜君の祈りとともに 我らを導きたまえ
 我らは祝福をもって登る
 この多くの人々とともに 
 
 我らが神 サマン サマンを崇拝する
 
 スリー・パーダに夜明けが再び訪れる

 我らは神に祈る
 この山を歌い 登ることを
 ああ 太陽を〜 

それにしても日本の朝の通勤出勤ラッシュ並の混み具合で、
しかも山頂近くで全く動かなくなってしまい、ご来光&山頂目前に
その日の夜便で帰国予定だったため、下山を余儀なくされた。。
又絶対もどってきてリベンジするぞ。

 

最近、私の中で響いているのが大祓の祝詞。
気が行けば意がいく、意が行けば気が行くのごとく

私の世界ではすごいパワフルに感じる。
 

水の教え、〈自ら清くして他の汚水を洗い清め清濁併せ容るるの量あるは水なり〉

想えば、今年年初の明治神宮のおみくじも ”水” だったなあ。

 

以下、貴船神社のサイトからの引用:

 

すべての汚れ(穢)を洗う(浄める)力を持ち、自らはその清らかさを
保ち続ける。
大祓詞を宣りて祓の儀を始める。
「宣り」とは「ノリ」とよみ、一説には神が「ノリ」移って
言葉を申し上げるという意味。広い意味で祝詞(のりと)も
同じ意味がこめられている。大祓詞は、そもそも大祓式の際に「神の言葉」として参列者に対して聞かせるための祝詞だった。後に、唱える事で功徳があると考えられるようになり、ご祈祷などにおいて御神前で奏上するようになった。
大祓式の際には神職に合わせて、ぜひ声高らかに唱えていただきたい。
唱える事で罪穢を祓い、心身ともに浄化する。唱えれば唱えるほど
功徳を増す祝詞。言い換えれば「神に近づくための祝詞」ともいえる
かもしれない。
穢(=氣枯れの状態)からの脱却、すなわち氣力再生である。

 

(『大祓詞』本文は下)

 

『大祓詞』解読

 

高天原(たかまのはら ※天上の神々の国)にいらっしゃる皇祖神

(すめみおやのかみ ※親神様)の御命令によって、八百万(数多く)の

神々が一堂に集まり、幾度も議論が重ねられた。

こうした神々による会議・相談の結果、

皇御孫命(すめみまのみこと=瓊々岐命 ににぎのみこと)は

豊葦原瑞穂国(とよあしはらのみずほのくに=日本国)を平和で

穏やかな国として統治しなさい、とお任せになった。

しかし、豊葦原瑞穂国には、素直に従う神もいれば、

ご威光に従わず荒れ狂い暴れ回り、恭順を示さない神々もいた。

そこで、瓊々岐命はそうした神々に『なぜ従わないのか』

ということを幾度も問われたあと、それでも反抗して

従わなかった神々を徹底して討伐し、追い払われた。

こうして、荒ぶる神々だけでなく、言葉をしゃべっていた岩や樹、

一片の草にいたるまで、その言葉をやめて静かになったように

国土が平穏になったので、瓊々岐命はその玉座を発たれ、幾重にも

重なってたなびく雲を激しく千切るようにかき分け押し分け、

高天原から地上に降臨された。

瓊々岐命はこのように統治を命じられた国において、

「倭(大和)の国」を都と定められ、統治の中心地とされた。

そこで、倭の国の中心にあたる場所に、地中深く穴を掘り、

そこに宮殿の太く立派な柱をどっしりと差し立てられた。

また、屋根の上にはあたかも高天原に届くかのように

千木を大空高くそびえ立て、荘厳で立派な宮殿を

お造りになり、天照大御神の御加護を受けて、

宮殿にお入りになった。

さて、平安に治めるこの国(日本国)の、極めて優秀な国民たちが、

過って犯すであろうさまざまな罪穢、天つ罪・国つ罪など、

沢山の罪穢が現れるであろう。このように多くの罪穢が出るならば、

高天原の天照大御神が行われる天津神の神秘な儀式にならい、それと

同じやり方で、神事に使う祓物(はらいもの)・撫物(なでもの)として、

数多くの堅い木の根本と先端を切り取って適度な大きさ長さに

切りそろえて、机の上に置き、また、清らかな麻の根本と

先端のところを切りそろえて適度な長さにして、今度はそれを

八つ裂きに切り裂き散らして(祓の神事をおこない)、天津神が授けた

きわめて効力の高い、神聖で完全な祓の祝詞を唱えなさい。

 

このように祓の祝詞を唱えたならば、天津神(天上の神)は

高天原の宮殿の磐門(御門)をお開きになり、天にかかる

幾重にも重なり合った雲を御威勢で押し分けかき分けて、

その詞をお聞きくださるでしょう。

国津神(地上の神)は高い山や低い山の頂上にお上がりになって、

たちのぼる雲や霧や霞をかき払ってお聞きくださるでしょう。

このように天津神・国津神がお聞き届けくださるならば、

罪と名が付くものは一切残らず全て消え失せるだろう。

それはまさに、あたかも強い風が幾重にも重なり合った雲を

吹き飛ばす如く、朝夕の風が朝夕に立ちこめる霧を

吹き払うように、大きな港につながれている

大船の舳先(へさき・船の先端)や艫(とも・船尾)の綱が

解き放たれて大海原に押し放たれるように、見渡す限りの

繁茂した木々を、焼いて鍛えた鋭い鎌でことごとく

薙ぎ払ってしまうように、あらゆる罪を一切残らず

消え去るようにと祓い清められた。

こうして祓い清められた全ての罪は、高い山・低い山の

頂から勢いよく流れ落ちて渓流となっている急流にいらっしゃる

瀬織津比売と呼ばれる女神が大海原に持ち去ってくださるだろう。

このように瀬織津比売によって持ち出された罪を、今度は人が

近づけないほどの大海原の沖の多くの潮流が渦巻くあたりにいらっしゃる

速開津比売という勇ましい女神が、その罪をガブガブと呑み込んで

しまわれることだろう。このように速開津比売によって

呑み込まれた罪は、今度は海底にあって根の国・底の国へ

通じる門(気吹戸)を司る

気吹戸主といわれる神が根の国・底の国(黄泉の国)に

気吹によってフゥーっと息吹いて地底の国に

吹き払ってくださるだろう。このように気吹戸主によって

吹き払われた罪は、今度は根の国・底の国にいらっしゃるパワー溢れる

速佐須良比売という女神がことごとく受け取ってくださり、

どことも知れない場所へ持ち去って封じてくださるだろう。

このように、あらゆる罪穢をすっかり消滅させて浄化して

くださるならば、この世界に罪という罪は一切ありません。

このようにいたしますので、私どもが『祓え給え清め給え』

と申し上げる(祓の神事をおこなう)ことを、よくよくお聞き届けくださり、

どうかお力をお授けくださいますようにと、慎んで申し上げます。

 

『大祓詞』全文

 

高天原爾神留坐須 皇賀親神漏岐神漏美命以知氐

八百萬神等乎神集閉爾集賜比 神議里爾議賜比氐

我賀皇御孫命波 豐葦原乃水穗國乎安國登平介久

知食世登事依奉里伎

此久依奉里志國中爾荒振留神等乎婆 神問波志爾

問賜比 神掃比爾掃賜比氐 語問比志磐根樹根立

草乃片葉乎母語止米氐 天乃磐座放知天乃八重雲乎

伊頭乃千別伎爾千別伎氐天降志依奉里伎

此久依奉里志四方乃國中登 大倭日高見國乎安國登

定奉里氐 下都磐根爾宮柱太敷立氐

高天原爾千木高知里氐 皇御孫命乃瑞乃御殿仕奉里氐

天乃御蔭日乃御蔭登隱坐志氐 安國登平介久知食左牟

國中爾成出伝牟天乃益人等賀 過犯志介牟種種乃罪事波

天都罪國都罪許許太久乃罪出伝牟

此久出伝婆天都宮事以知氐 天都金木乎本打切里

末打斷知氐 千座乃置座爾置足波志氐 天都菅麻乎

本刈斷末刈切里氐 八針爾取辟伎氐

天都祝詞乃太祝詞事乎宣礼

 

此久宣良婆 天都神波天乃磐門乎押披伎氐

天乃八重雲乎伊頭乃千別伎爾千別伎氐聞食左牟

國都神波高山乃末短山乃末爾上坐志氐

高山乃伊褒理短山乃伊褒理乎搔別介氐聞食左牟

此久聞食志氐婆 罪登云布罪波在良自登

科戸乃風乃天乃八重雲乎吹放都事乃如久

朝乃御霧夕乃御霧乎 朝風夕風乃吹拂布事乃如久

大津邊爾居留大船乎 舳解放知艫解放知氐 大海原爾

押放都事乃如久 彼方乃繁木賀本乎 燒鎌乃敏鎌以知氐

打掃布事乃如久 遺留罪波在良自登 祓給比淸給布事乎

高山乃末短山乃末与里佐久那太理爾落多岐都

速川乃瀨爾坐須

瀨織津比賣登云布神 大海原爾持出伝奈牟 此久持出往奈婆

荒潮乃潮乃八百道乃八潮道乃潮乃八百會爾坐須

速開都比賣登云布神 持加加呑美氐牟

此久加加呑美氐婆 氣吹戸爾坐須

氣吹戸主登云布神 根國底國爾氣吹放知氐牟

此久氣吹伎放知氐婆 根國底國爾坐須

速佐須良比賣登云布神 持佐須良比失比氐牟

此久佐須良比失比氐婆 罪登云布罪波在良自登

祓給比淸給布事乎 天都神國都神

八百萬神等共爾 聞食世登白須

 

 

 

平成29年9月6日満月に峯入、9月9日満行

 

”祥彩”という、神子名を授かりました。 

 

祥 = 吉兆。前兆。 一周忌(小祥)と三周忌(大祥)との称。...
彩= 美しい色をつける。いろどり。姿や様子。

 

一年前、何度も山伏修行に参加されている方が初めて
この神子修行に参加し、戻ってきたときの言葉、
”ほんの始まりだったのよ~"の言葉になぜか惹かれて、
一年前から即行くと決めていた修行でした。
神子修行っててっきりお堂に籠って瞑想ばかりするのかと思っていたら。。
ほんとに女性版山伏修行でした。
白装束での山がけ、沢渡りは、いろんなものがそぎ落ちて、
身体力、生命力がみるみるよみがえる、
女性魂がむき出しになる感じ。
一方、火の修行である、山伏とは異なり、水の行では、

まさに神子ならではの感じで、 (修行中の事は公開できないので一部編集してます)
なぜかいつも感動でした。ただただ有り難い。
山伏修行でも思ったけど、先人によってすでに道はできている。
行中想ったのは、世界平和とか、そういった大きな願いは
先人(先達や神様)によって祈られている、なので
私たち個々の使命は、自分をどうぞ大切に、
まずは自分の世界を平和で美しい世界に。
そんなことをさとされた行でした。

 

(The details of yamabushi training in English is below)
初めて参加した山伏修行。東京に戻って3日たつのだが、
ホラ貝の音がまだ身体の深いところで余韻をひいている。
何かを目ざめさせるような響きが心地よい。
修行中は朝昼晩そのホラ貝を合図に行動し、
出羽三山に響き渡るホラ貝とともに山伏として渡り歩きな
がら
その土地土地の魂を揺り動かしているようだった。
私語は極力禁止なのでもくもくと歩く。
時にはきつい山道なので景色を眺める暇もなく
ただただひたすら前について歩いてゆく。余計なものがと
り祓われてゆく。
あるいは頭が何か考え始めたりすると決まってハエが顔の
前に飛んできて教えてくれたりした。
あらゆるものが味方してくれている、見守られていると感
じる。
夜、明かり一つない杉林を歩くのも五感以上の何かの感覚
が研ぎ澄まされていくような感覚が心地よかった。今回は
私のような初心者が(特に女子)多かったようだが、
お天気に見守られ、星野先達の毎回の祈りに見守られ本当
に有り難かった。
修行中渡り歩いたそれぞれの場はどれも意識の深いところ
に染みいっている。
そのひとつひとつを文章にすることは難しい、けれど強い
て言うなら中でも
月山の頂上は死んでも忘れない風景、(まさにそういう場
所なのだが)
言葉の表現を超える風景だった。風景に励まされるという
か、
癒される以上の風景だった。
それから初めての滝行、滝からあがった瞬間、あっ、もっ
と入っているべきだった、とたちまち後悔。何かに気付き
そうな瞬間を逃したような気持ち悪さ。
次回の楽しみになりました。
今になって肝心の”祈り”はできていたのだろうかと頭が
考えてる(笑)。
言えることは初心者ながらその場その場の勤行をできうる
限りの力で行えたかなということ。
そして小さいながらも私の中で何かが変わった。
それが会う人会う人に影響を与えている(確実に)。

The English explains "yamabushi practices is symbolic death and rebirth through ascetic practice" .
But at the same time or more over, this is pray of world peace through my practice,
I believe.

https://www.facebook.com/
notes/大聖坊山形県出羽三山の宿坊だいしょうぼう/
2016-three-day-yamabushi-tr
aining-and-about-daishōbō/
529117350575450







猫の神様、ちゃちゃ。この子の目を通して時々ご先祖が私の様子を見に来ていた。


以前から行ってみたかったスコーグスシュルオゴーデン(
森のお墓)にこのたび訪れる事が出来た。スウェーデンの
人は、亡くなった方の遺灰を普通に庭に巻いたり、海に流
したりと、必ずしもお墓に埋めたりしない。全ては森に帰
る、という考えにとても共感してしまう。ここには普通の
墓石もあるけれど、写真に写っている丘の向こうにもっと
大きな森があり、そこに遺灰が撒かれる。そこは一般の人
は立ち入り禁止になっていて、遠くから、ただ森を眺める
ようになっている。ここは世界遺産だけど、滞在先のスウ
ェーデン人の家に戻って話をしたら、”うちの裏のほうに
も森のお墓あるわよ、小さいけど。”と言われた。あちこ
ちに森のお墓があるようです。それにしても丘の上の雲、
選んだわけではないのに訪れた時すごーく素敵で印象的で
した。郊外の憩いの場所でもあるようで写真にあるように
地元の人がのんびり椅子に座って瞑想していたりと、癒し
の土地でもあるようでした。







ストックホルムより寝台車にてキールナまで行き、そこか
らバスでNikkalouta/
ニカロクタへ向かう。ニカロクタから19キロ先の登山口に
向かい、テントを張り、テントで2泊3日を過ごしました
。最高峰といっても標高2,114mで日本的にみると大
したことなさそうだけど、氷河はあるし、ハーネスをつけ
て岩山を登るような場所もあり山岳ガイドについて登りま
した。西ルートは距離は長いが初心者向けで、ガイド付き
のコースの東ルートは西ルートより距離はないものの、急
な山道を登ってゆきます。話には聞いていたけど、ほんと
に急ピッチで登ってゆくので、最初の最初で一人リタイア
ー、また一人とリタイアーが続き、残り3名になっていま
した。私も古くて重い登山靴のせいか雪道になるとどうし
ても前に進むのが遅れがちになり、”リタイアするなら今
のうちだよ”と嫌味を言われました。私のガイドはきっと
ほかのガイドより、より早いピッチで、いつの間にか先発
のグループに追い付いていました。氷河を渡り、6-7割
くらい登ったのではと思うのですが、ものすごい強風と吹
雪になり、なにやらガイドたちが集まり本部と連絡を取り
合ったりしているなあと思ったら、これ以上登るのは危険
なので登頂は中止と告げられやむなく下山したのでした。
頂上に登れなかったのはとても残念でしたが、ものすごい
突風、強風で本当に身体が飛ばされそうになっていたので
安全に下山できてある意味救われたかも。頂上には登れな
かったけど、初めての白夜でのテント2泊は楽しめたかな
。最終日は登山口からニカロクタまでの19キロを景色を
眺めながら歩き、ストックホルム行きの寝台車はなんとフ
ァーストクラス(シャワー、朝食付き)でこれもよい思い
出です。













ノルウェーにて Gaustatoppen 1880 M.O.H /ガウスタトッペン(テント1泊)と Trolltunga, Hordaland, Norway /トロルトゥンガ(日帰り)、2つの山に登ってきました。

ガウスタトッペンでは、到着予定が遅れに遅れ、なんと夜
中23時ごろから登り始め、それでも新月は終わっていた
ためか思ったよりは月明かりは明るく真っ暗ということは
なかった。計算では1時間半ほど登ると、平坦な場所があ
るらしく、そこにテントを張って休むつもりだった。とこ
ろがどうやら道を間違え、行けども行けどもものすごい岩
山だらけで今から思い返してもかなり危険だった気がする
。やっと朝方3時過ぎごろテントを張れる場所を探しとり
あえず休むが多少の傾斜地だったので、身体が落ちるしよ
く寝れずに朝を迎える。はるか下のほうを悠々早足で人が
歩いている登山道を発見し、簡単なはずのハイキングコー
スをすごい体力消耗しながらやっと翌日頂上へ。(天気が
悪かったので頂上からの写真はなしに)
トロルトゥンガはODDAという町のヒュッテ/
小屋に一泊し、11キロを日帰りしてきた。最初の7キロが
谷を這い上ってゆくのでかなりきつかった。いくつかの山
を越えてやっと到着。2つの山とものちに上るスウェーデ
ンのケブネカイゼへのトレーニングになったように思う。


トロルトッペンにて、小さく写っているのが私


 



ガウタトッペン、強風の中でのテント滞在


 

 

ノルウェーに向かう途中のスウェーデン、国境沿いにある
タヌムの岩絵(石器時代)に立ち寄ることができた。
紀元前の人たちが彼らの想いや信仰をどうにかして後世に



残そうとしている、その気持ちを思うとなんだか感動して
しまって、今も胸に焼き付いている、何ともいえない岩絵
だった