大変ご無沙汰しております。
家を建ててから早5年
いまもたくさんの方にブログを読んでいただいていて、感謝の申し上げようもありません。
皆さんの家づくりに少しでもお役に立てているようでしたら、当時楽しくブログを書いていた甲斐があるというものです
ありがとうございます
さて本日は。
実は、今年86歳になる父が本を書きまして。
本日2025年1月10日に「父、松本竣介」と題して、みすず書房さんから刊行されました。
私の祖父・松本竣介は、1912(明治45)年に生まれ、1948(昭和23)年に36歳で亡くなった洋画家です。
我が家の表札は、この祖父のサインをトレースしてつくったものです。
祖父は少年時代を岩手で過ごしました。
中学に入学したその日に脳脊髄膜炎を患い、一命は取り留めたものの聴覚を失いました。耳が聴こえなくなった少年は、社会の中で、人々に伍して生きていくための手段として画家になることを選び、17歳で上京。以後亡くなるまで東京で暮らしました。
美術の教科書などで「立てる像」という作品を見たことがある方もいらっしゃるのではないでしょうか?
《立てる像》1942年 神奈川県立近代美術館蔵
大量の読書を通じて、耳が聴こえなくても仲間と互角に議論できる知性のベースをそなえ、結婚後には妻と2人で雑誌を刊行するなど、戦前から戦中にかけて絵画制作にとどまらない幅広い活動をしました。
障害ため徴兵されなかった竣介は、家族を疎開させたあとも終戦まで東京に踏みとどまり、日本の行末を見届けようとします。この間、疎開先の妻や幼い息子(私の父)に大量の手紙を送っていて、その文面から当時の世相や社会を垣間見ることもできます。
戦後、自由に絵が描けるようになったことを喜び、はしゃぐように画業や出版の仕事に邁進しましたが、戦後の深刻な物不足、食糧不足の中、十分な栄養も取れないまま、身を削るようにして働いた竣介は、1948(昭和23)年に結核のため亡くりました。そのとき父はまだ8歳。生まれてまだ4ヶ月の次女(叔母)も残しての無念の死でした。
実は亡くなった当時、竣介はほぼ無名の画家でした。ある程度みなさんに知っていただける画家になったのは、祖父が亡くなってからのことでした。
普通、伝記というと本人が亡くなったところで終わるものだと思いますが、本書では、父が直接見てきた「画家・松本竣介」が世に出ていく過程も描かれています。
特に、美術館の学芸員さんたちが、どうやって展覧会をつくり、画家や芸術家を評価していくのか?松本竣介をひとつの例として、美術館の裏側を垣間見ることができる本にもなっているように思います。
現在、竣介の絵は、神奈川県立近代美術館(葉山)、岩手県立美術館(盛岡市)、東京国立近代美術館(竹橋)、大川美術館(群馬県桐生市)など、全国各地の美術館で見ることができます。
今年に入ってからは、京都府のアサヒグループ大山崎山荘美術館で「松本竣介 街と人ー冴えた視線で描く」展(2025年4月6日まで)が開催されていて、大川美術館のコレクションを中心に、コンパクトながら竣介の画業を概覧できる展覧会になっています。
お近くの皆様、京都、大阪方面へお出かけの皆様、是非お立ち寄りください。父の本の表紙にもなっている《Y市の橋》も展示されています。
《Y市の橋》1944年頃
竣介はこの作品を含め、生涯に4枚の《Y市の橋》を描いています。大山崎山荘での展覧会終了後、この作品は横浜美術館へ移送され、「おかえり、ヨコハマ」展で4枚の《Y市の橋》が一堂に会する貴重な機会をいただけることになっています(25年4月中旬ごろから)
妻・禎子や、その母・恒の人生として読んでも面白い話題がたくさんあって、個人的には、NHKの連続テレビ小説のネタ本として秀逸な内容になっていると思うのですが、NHKさんいかがでしょう??
妻禎子は「推しの子」で抜群の存在感だった原菜乃華さんはいかがでしょうその母恒はぜひ黒木華さんに演じてもらいたいです!竣介役は誰にしましょうかね・・・
定価4400円と少し高価な本ですが、こんな絵描きがいたのか、と、皆さんに楽しんでいただければ幸いです
ちなみに帯には、あの奈良美智さんの言葉が!
4年かけて訥々と書き連ねた父の努力に免じて、1人でも多くの方に手に取っていただければと思っています。
ぜひよろしくお願いします