三女神社
大分県宇佐市安心院町下毛
祭神
田心姫命、端津姫命、市来島姫命、他十柱神
倒れてきていた木!
くぐるのに苦でない程度の高さだったから良かった。
枝なのかツタなのか、ぐるぐるしていて面白い。
由来
そもそも三柱山三女神は日本書紀神代巻に曰く 「即ち日神(天照大神)の生みませる三女神を以て 葦原の中国の宇佐島に降り居さしむ云々・・・」とあり、
宇佐島とはこの地宇佐郡安心院邑、当三柱山一帯とされ、安心院盆地を一望する聖地で、
宇佐都比古・ 宇佐都比売は三女神を祖神とするが故に全国唯一の三女神の御名前を持つ社であるにして、水沼の君等がこれを祀る。
爾来一貫してこの地に鎮座し今日に至ると伝えられる。
出ました「水沼の君」。
赤司八幡宮(筑紫中津宮)三女神の田心姫降臨地 では、田心姫は筑紫水沼君が祀っていて、赤司八幡神社辺りに降りて来ていて、
市杵嶋姫は筑紫胸肩君が祀っていて、宗像神社辺りに降りて来ていて、
湍津姫は降りて来ていて、それは宇佐神宮ってことになっている。
水沼の君はこっちにもいたんでしょうね。
ここから東南500mのところに、水沼井(おみず)なるものがあるという。それが、三女神社の根宮(もとみや)。
三女神天降りの際の産水とされる清水が湧出す場所であり、奉仕の社家は水沼氏と称したって事で、水沼の君の由来っぽい!
こっちから福岡の方に行ったと考えたら良いのかも。
境内は古代祭祀の面影を漂わせ、幾多の史蹟と伝説とを有し、特に三柱石はじめ多くの陰石を有し、宇佐神宮の元宮御許山(大元山)の御神体となり、三個の女陰を形どる巨石の組み合わせと対照的に男根的存在を現しているところに神秘さをしている。
応仁天皇元年に社殿を改修したという記録がある。
三柱石はじめ多くの陰石ではなくて、陽石の間違いだろうね、男根的存在を現しているってあるから。
手書きで大変味のある「三柱石」の案内版。
「古来、試みにこれを穿て石根を見んと欲すれば、宇宙闇然、風雨到り、大地震動してその声、雷の如し、と言う。後人恐れて、触るものなし」と言い伝えられる。なほ三柱石は安心院七不思議の一つとされている。
天照大神(アマテラスオオミカミ)がこの三女神を宇佐島に派遣するとき、河原の石を取って「この石が留まる所に鎮座せよ」と言い投げ落とし、突き刺さった石が現在神社内にある長い棒状の石です。
なんというか、割と雑じゃない?アマテラス(笑)
この柱は最初からナナメに刺さったんだろうか、後から傾いたのか。
最初からナナメでもそれはそれで、投げて突き刺さった感はあって良い。
こちらは皮籠石。
奈良時代に仁聞菩薩が三女神社に参拝し、ここに皮篭を下ろし 面前の岸壁に仏像を刻んだとも、神武天皇東征の時、この石に皮を置かれたとも伝えられる。
戦没者を祀る英霊社。
ひでりの際に雨を降らせた貴船神社。
バスでちょっと走らせ向かったのは水沼社。
三女神が産湯を使った天真名井が三女神の後を慕って、高天原(宮崎県高千穂)から降って来たという伝説の井戸
安心院の七不思議 - 安心院地区まちづくり協議会 のホームページ (ajimu-machikyo.com)
さて。
ここが水沼の君の場所っぽいなと思ったわけだけど、三女神社にはもう1つ案内板があって、そこには下記のように書いてあった。