松本清張と妻垣神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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お寺や神社に行ったりしています。

松本清張と妻垣神社

 

松本清張は作家としてデビューする以前、朝日新聞西部本社広告部に勤務しながら、休みの日には古代史への興味で、西日本のあちこちを旅していました。

戦時中の昭和十七年(一九四二)、はじめて訪れた安心院の神社で、付近の農家から温かいもてなしを受け、清張は大変感動しています。 

のちに神社を舞台にした古代史ミステリー「陸行水行」が書かれまし たが、この小説は松本清張が一連の邪馬台国論争に力を注ぎ古代史を本格 的に研究する糸口になった作品だと言われています。

 

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↓これは、以前私が読んだ松本清張の短編集。

『陸行水行』も載っていた。

 

 『陸行水行』 昭和三十六年(一九六一)発表

 

四日市の駅で降りると、バスは山の峠を走るが、その峠を越すと、山峡が俄かに履けて一望の盆地となる。早春の頃だと、朝晩、盆地には霧が立籠め、墨絵のような美しい景色となる。ここの地名は安心院と書いてアジムと読ませる。

 

このあたりは農家が点在しているが、その中に妻垣神社というのがある。 現在の地名になっている妻懸は妻垣の転訛だということが分かる。この神社は大へんに古い。今は小高い所に小さな社と、玉垣をめぐらした境内とがあるが、森を隔てた所には神宮皇学館が遺っている。

 

ようやく坂を途中まで登ったところで、やや広い棚地に出た。そこには、 粗末な木で囲った道の中に古い石がぽつんと置かれてあった。石は苔に蔽 われて暗鬱な色を呈していた。実は、これがこの神社のご神体なのだ。こういうところからもこの神社の古さがわかる

 

 

 

そして昭和四十六年(一九七一)には、長編歴史ロマン 「西海道談』を執筆。 主人公太田恵之助が現在の大分県日田市から宇佐の四日市市まで向かう道中に、再び安心院や妻垣神社を登場させています。
 
『西海道談綺』昭和四十六年(一九七一) 発表
 
「日田へのお帰りには、当村にごゆっくりなされてくださいまし。 この近くには龍王谷と申して深い谿もあれば、 椎谷の滝というて、西国いちばんの もございます。 真向かいに見えますこんもりした山は、宇佐の比売大神 ご神体を祀る磐城でございます。 方々をご案内いたしまするで」
 
「あの山が宇佐の磐城か?」 「はい。このへんは安心院といいまして。あの麓には妻垣神社がございます。 比売大神のご在所となって居りまする。ご神体は山腹にある大きな石でございますが」

 

 

 

私自身は、松本清張の本を読んだ中に妻垣神社の名前が出てきたから、それで妻垣神社のことを知ったし、行ってみたいなと思っていた。

読んで半年程度で行く機会を持てて嬉しかった♪

 

 

松本清張が愛した妻垣神社、でした照れ