妻垣神社
大分県宇佐市安心院町妻垣203
最初に迎えてくれたのは、「八幡宮」と書かれた鳥居。
由緒 社殿の創建
天平神護元年(765)、宇佐宮の八幡大神(八幡大菩薩)、この地に神幸し比咩大神と利生を語り合われました。
また同年閏10月8日、八幡神は勅使 石川朝臣豊成に『我はすでに共鑰山に示現しているので社殿を設け祀るように』との御神託を下されました。
そこで豊成は当地に社殿を造り、共鑰山の比咩大神と八幡大神が併せて祀られました。天長年間(823~834)には宇佐宮より神功皇后が勧請し、お祀り申し上げました。
以後当社は比咩大神を主祭神として、八幡大神、神功皇后の三柱の神を祀って、八幡社と号し、宇佐宮八ケ社の一社に位置付けされたのです。
宇佐宮八ケ社というのは、八幡神が今の宇佐神宮の場所に鎮座するまでに鎮座していた八カ所の神社のこと。
八幡宇佐託宣集「日本國御遊化部」によると、大神の足跡は、辛國宇豆高嶋に始まって、日向国、大隅國、大和國、紀伊國、吉備宮神島、周防佐波由良門、伊與国宇和島、豊後国國々崎郡安岐郷奈多濱邊海中大石、奈多松本、安岐林、奈保利郡、高知保、田布江(現田笛)、鷹居、郡瀬、大禰川(大根川)、酒井、乙咩、馬木嶺、安心院(都麻垣社)、小山田林中、菱形山となるらしい。
ん、宮八ケ社以上あるぞ?よくわからない。
宇佐八幡八ヶ社 (photo-web.cc)によると、田笛神社、鷹居八幡社、乙咩社、大根川神社、酒井泉社、郡瀬社、妻垣神社、小山田社がその八ヶ社とされている。
(郡瀬神社(宇佐市) - Shrine-heritager (shrineheritager.com))の案内板によると以下。
行幸会と申すは称徳天皇神護元年閏十月十八日の神託によりて四年に一度づつ行 われしが嵯峨天皇弘仁八年より六年に一度と改まり、近古戦乱の世久しく中絶せしを 元和元年細川忠興候再興せらる。
其の大略は、下毛郡大貞なる三角池の薦を苅 り、御重を封じ神輿に乗せ奉り、宇佐宮八箇社の内、先づ田笛、次に鷹居、次に 瀬社(当社)に御泊り、次に泉社、次に乙咩に行幸あり、次に大根川へ、此の社より大神 宝を薦社(中津大貞)に奉る。上古は此の社にて勅使参宮あり。同夜復当瀬社に御 泊りせり。翌日妻垣社(安心院)に行幸。此の社より大神宝を辛川社(速見郡) に奉る。翌日小山田社に行幸、同社より亀山の本宮へ御還幸あり。旧き御重は下宮 に遷座し、下宮の旧き御重は国東郡奈多宮に行幸せるなり。
今はこの行幸会、あっていないらしい。
712 和 銅 5 はじめて八幡大神の社殿が完成する。(現鷹居八幡神社)
716 霊 亀 2 神託により社殿を小山田の地に遷す。(現小山田神社)
720 養 老 4 大隅・日向の隼人反乱す。宇佐宮へ乱の平定を祈る。後に放生会を始める。
725 神 亀 2 神託により小倉山に社殿(一之御殿)を造営し、併せて日足の地に弥勒禅院を建立す。
765 天平神護元 社殿を大尾山へ遷す。★妻垣神社この年
782 延 暦 元 社殿を大尾山より小倉山の現在の地へ遷す。
妻垣神社には、八幡神ゆかりの馬蹄石があった。
「八幡大菩薩が人皇の昔」ってのを読むと、応神天皇生前の話?ってなるけれど、
八幡宇佐託宣集「日本國御遊化部」に「八幡大神は欽明天皇の時代に宇佐の馬城峰に降り立った」と記されているらしくて、「馬城峯と同じく」って書き方からすると、応神天皇生前ではなくて八幡大神となってからの話だと思われる。
「龍の駒に乗って飛び翔けた」って描写からしても、八幡大神の話だろう。
社殿のある場所をもっと過ぎて奥まで行くと、
忠魂碑があり、
妻垣神社神幸祭の神幸祭は、八幡神の御神体を神輿にお遷して氏子地域内を親しく巡幸し、境内お旅所(頓宮)に渡御し、翌日本殿へ還御するという。
今は10月の第4土日。本来の祭典日は10月22・23日。