妻垣神社の始まり
今より2650年も遥か昔、日向を発し東国へ向かわれる神武天皇(神倭伊波礼毘古命)は、この宇佐の地「妻垣」に立ち寄られました。その際、宇佐国造の祖であるウサツヒコ・ウサツヒメは皇軍一行を快く迎え入れ、歓待申し上げたと記紀(「古事記」「日本書紀」)に記されています。
翌朝、天皇は朝霧の素晴らしいこの地をいたくお気に召され、連なる山々よりひと際輝く共鑰山(別名-妻垣山)の大石に母后玉依姫命(比咩大神)の御霊をお祀りするため、自ら祭主となり、玉依姫命の御霊を共鑰山にお迎えしました。
その大石は「足一騰宮(アシヒトツアガリノミヤ)」と名付けられました。
このことより当社の歴史が始まりました。
ここが青い龍なのは、龍神の娘(玉依姫)が御祭神っぽさあるね。
書置きの御朱印があり、なんと、PayPay対応だった!
わー近代的!
後で出会った宮司さんが若い人(多分40代)だったから、なるほどねって思った。
3種類のうちどれにしようかとチラっと悩んだけど、PayPayだと払いやすいもんだからさ、合わせて1,100円お支払いしたよ
今、普通ので500円、見開きので1,000円するところも少なくないからね、良心的なお値段でございますよ。
宮司さんや、この日バスハイクに参加していたおばさまの話によると、数年前まではこの神社かなりボロボロだったらしい。
それを今の宮司さんがコツコツとお金を貯め、また、氏子さん等に呼び掛けてお金を集め、少しずつ神社を綺麗にしていったという。
拝殿内にたくさん飾られていた風鈴も、宮司さんの神社を綺麗にしようという思いからなのかなと思われた。
こちら貴船社。
玉依姫は最初に、川中にある岩の上に姿を現した。
そして、自分がここに現れたんだという証に、その岩に足一つの印を付けて、沸騰するごとく一気に山に騰がっていったのだそうな。
宝満宮竈神社の伝承でも、玉依姫って(馬の)足跡付けて飛び立っているから。なんだかアクティブね
時間も限られた団体行動なので、どちらの岩も見に行けなかったのだけど、山の上の方には玉依姫が騰がっていった先の岩があるという。
340m先。そこまで遠いわけではないから行ってやろうかとも思ったけど、道が二手に分かれていたので迷っても怖いからやめた。
宮司さんによると左の道だってことだったから、今度行くときは覚えておいて正しく行きたい。
個人的には、ここは神武天皇が玉依姫を祀った場所であり、一足騰宮の意味も玉依姫由来ってことで「なるほどそうなんだ!」って思っているのだけれど。
宇佐神宮の比咩大神も玉依姫かというと、それは違うんじゃないかなぁ。
だって、ウサツヒコ・ウサツヒメは、神武天皇が来るより前に別の神様を祀っていたはずだから。
…いやそれとも、神武天皇が来る前から、玉依姫に縁のある場所だった?
この近くの龍王山には海(かい)神社があり、そこには豊玉彦(大綿津見神。玉依姫の父)と豊玉姫(玉依姫の姉)が祀られているらしい。
妻垣神社
大分県宇佐市安心院町妻垣203