高良玉垂命の眠る御廟塚(塚崎貝塚)と月讀神社 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
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季節の草花を見に行ったり
お寺や神社に行ったりしています。

 

キキョウ紫。

 

キキョウ白。

 

次は高良御廟塚へ。

私達はこの狭い道を通って行ったけど、もうちょっと広い道もあったみたいだったよ。

 

「月讀神社」の鳥居あり。

 

この図に月讀神社はない。

という事は比較的新しい神社なんだね。

 

左が御廟塚、右が月讀神社。

 

「高良廟」とある。

 

塚崎貝塚・高良御廟塚

福岡県久留米市三潴町高三潴

 

三潴町指定史跡

この塚は、『寛延記』には「高良明神御廟開基年号知らず」とあるが、出土品などから弥生時代と推定される。


域内約757平方メートルの国有地にある直径約20メートル、高さ約2メートルの円墳で、墳頂に一株の松を植えている。江戸時代頃周囲は玉垣をめぐらしていたという。封土(盛土)中には、多数の牡蠣殻や貝殻類が含まれている。


この地は、古くから高良玉垂命の塋(墓)域と言って、付近一帯は小高くなっており、弥生式土器の破片が散在し、土中から石斧・石鏃・石戈・銅剣などが発見されている。なおこの銅剣について「寛延2年(1749)11月26日高三潴村の百姓善兵衛が、久留米藩の命により塚を発掘して石棺上より二口の銅剣を発見したと伝え
られている。

付近の住民の話によれば、昭和20年頃までは、貝殻に覆われていて塚全体が白く見え、黒曜石の鏃や土器、石器、貝殻がいたるところに落ちていて気軽に拾えたそうである。そのうち、心ない愛好家が次々と持ち去り、塚全体が黒ずんでしまった。雨などによる風化も進み、塚表土の流出を防ぐため、上から土をかぶせて塚の保存を図っている。


平成十一年三月三潴町教育委員会

 

「貝塚」って、食べた貝殻を捨てた場所じゃなかった?と思って調べたら、そういう「ゴミ捨て場」という説が主流ではあるけれど、腕に貝輪を付けたような人骨が出土した例もあるらしい。

 

昭和になっても貝殻に覆われてる様子がフツーに見れたなんてすごいなぁ。

取って行く人がいるからってもう固めてしまっているようだけど、名残が見れるのはありがたい。

 

「心ない愛好家」って書かれているけどさ、心ないとかじゃなくて、信心深い人ほど聖地の物を取っていく風習あるよね。砂とか石とか。

心ないっていうんじゃなくて、価値観の違いじゃないかな。

 

さて、ここに埋蔵されていたと考えられている高良玉垂命とは誰なのか問題。

 

綾杉先生は、阿曇磯良だと言う。

磯良は白い布を顔につけていた。

貝で覆われた塚は白く、それは磯良を表していたのではないか、と。

 

でも、磯良は磯良塚(次回記載)があるからなぁ。

それを信じるなら、こっちは何なんだろ。

 

高良玉垂命が誰なのかは、時代によって違うらしい。

 

高良玉垂宮神秘書の中でも矛盾していて辻褄が合わないらしい。

 

最初はアントンイソラが干珠満珠を持ち込んで玉垂命となっている。
それから400年以上経って、白村江の戦いのあと、仏教が入って来て、玉垂命は大菩薩になり、物部氏が神と同一となった。
そのあと、さらに住吉信仰が入って来て、神功皇后の夫は底筒男だと主張。
応神天皇の父は武内宿禰だとしたい思惑やなんかも入り交じり、なんやかんやで、江戸時代の御殿様が玉垂命は武内宿禰だと決めたんだとか。

私自身が高良玉垂宮神秘書を全部通して読んだわけではないけれど、これでいくと、「アントンイソラが干珠満珠を持ち込んで玉垂命となった」って部分が全くまっさら原初なのかも分からないことだなぁという印象。
「これが干珠満珠だ」って話は至る所であるし、干珠満珠を持ち込んだ人が玉垂命だっていうのなら、豊姫だったり神功皇后でも良いだろうし。
アントンイソラは確かに漢字で書くと安曇磯良になりそうではあるけれど…。

高良玉垂命が誰なのか、それは今となってはどうにも分からない。
ただ、ここに高良御廟塚があるということは、「高良玉垂命」と呼ばれる誰かが存在していた(と考えられている)ことの証明なんだ!
それが、私的には心地良い照れ

 

小さな祠もあったけど、これは何かな。

 

月讀神社は前述のとおり、明治31年時点では存在しなかった比較的新しい神社。

 

高良玉垂宮神秘書に、玉垂命、底筒男が月神というような記述が見えるからなのかな。

 

貝塚が、白くて丸くて満月みたいだったのかもしれない。

真相不明。

 

 

 

私も、神社に伝わっている文献そのものを読めるようになりたいな。

今すぐじゃなくて良い。今すぐはちょっと荷が重いし、変に偏るのも良くない気がする。

(今 神楽習いに行っている神社の伝承だって、あえて自分から深く聞こうとはしていない。)

普通の人が知りえる範囲で一通りの神社の伝承をおおよそ把握して、それから、もっともっと細かく深く知っていけたら良いな。