福成神社
福岡県朝倉市入地1673
境内のいたるところに紫陽花が。
ちなみに写真撮ってはないけど、この日の私の服装は紫陽花イメージで、緑のズボンに紫のキャミと水色のカーディガン。
ショックなことに、ここの社殿を引きで撮った写真がなかった😨
多分、人が少なくなってから撮ろうと思って忘れていた。
仕方がないから参考に、綾杉先生の過去のブログを貼っておく。
(これ貼ってたら、私が説明文書く必要性ない気になるけど、頑張って書く💪)
木鼻。
過去、こんな感じのお花と一緒になった狛犬は見たのだけど、狛犬なしの立体的なお花ってなのは珍しい気がする。
中。こちらも、太刀八幡宮同様、立派な絵馬と恵方干支盤。
きっとすごく大事に思われているのね。
祭神
宗像三女神(田心姫命・市杵島姫命・湍津姫命)
斉明天皇
天智天皇
37代斉明(さいめい)天皇は、その前に35代皇極(こうぎょく)天皇と同一人物。
34代舒明(じょめい)天皇の皇后で、38代天智(てんち)天皇・間人皇女(はしひとのひめみこ/36代孝徳天皇の皇后)・40代天武(てんむ)天皇の母。
神功皇后を天皇に含めなければ、推古天皇から1代おいて即位した2人目の女性天皇。
以下、境内の説明文より
別名を「印鑰(いんやく)大明神」ともいい、朝倉町で最も古い神社である。
毎年10月26日には祭礼が行われる。
その昔、神功皇后が熊襲を征伐し、三韓に兵を進められた時、宗像三神を祀り海路の安全を祈られ、この地に来られたといわれている。
この時皇后は、「神の助けによって大いに福成りぬ。」と言われたことから、福成神社といわれるようになったと伝えられている。
そんな、神功皇后伝承地である☀️
出典を見つけられなかったのだけど、ここは神功皇后以前、景行天皇が三女神を祀っていたらしい。
また斉明天皇も、百済救援の時、中大兄皇子らと共にこの神社で戦勝祈願をされたといわれている。
斉明天皇は、同年7月24日に朝倉宮で亡くなってしまう。
本当にごくごく短い、2ヶ月ちょっとしか居なかったのね💦
斉明天皇が亡くなった後、息子の中大兄皇子(後の天智天皇)は白村江の戦いで、唐と新羅の連合軍に敗北した。
うーむ、神功皇后やここの神様にはあやかれなかったか💦
斉明天皇は病死ではなく筑紫君磐井の残党に討たれ、宮家を焼かれたと言う説もあるらしい。
バスハイクでしばらく磐井巡りをしていて馴染みがあって、こうやって色々繋がっていくのが楽しい😊
こちらの祠、小さいながらも細やかな彫刻が施されている。
奥には神輿休め。
なお、神社の東方には、謡曲で有名な「綾の鼓」の舞台となった桂の池跡があり、謡の中に出てくる「源太老人」を祀ったといわれる地蔵尊が、神社の西側にたてられている。
これがまた面白かったので、次回それだけピックアップして書く📝