阿曇磯良が斎主となった風浪宮 | 筑前由紀のプチトリップ

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2024年現在、主に福岡県内をカメラ片手にうろうろ。
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お寺や神社に行ったりしています。

 

風浪宮

福岡県大川市大字酒見726-1

 

本宮は神功皇后が新羅御新征よりの帰途(西暦192年)軍船を筑後葦原の津(大川榎津)に寄せ給うた時、皇后の御船のあたりに白鷺が忽然として現われ、艮(東北)の方角に飛び去りました。
皇后はその白鷺こそ我が勝運の道を開き給うた少童命の御化身なりとして白鷺の止る所を尾けさせられ、其地鷺見(後の酒見)の里を聖地とし、武内大臣に命じて仮宮(年塚の宮)を営ませ、時の海上指令であった阿曇連磯良丸を斉主として少童命を祀りました。(旧暦11月29日)

 

↑白鷺が止まったとされる、社殿前にある大楠。

樹齢約2000年、幹回り8メートル余、四方に張った枝の長さは二十20~30メートル。


古来より風浪の灘を守護し給うにより風浪を社号とし代々の久留米有馬藩主の崇敬厚く国司賢将始め筑後国一円の信仰をあつめ、俗に「おふろうさん」と呼び親しまれ勅命社として千八百余年の由緒をもつ著名の大社であります。

 

風浪宮HPには上記のように書いてあり、

 

御祭神

少童命(わだつみのみこと)…表津少童命、中津少童命、底津少童命 三座一体

 

そして相殿御祭神として
息長垂姫命(神功皇后)・住吉大神・高良玉垂命

と書かれているのだけれど

 

境内には祭神として住吉大神が1番、次に息長足姫命(神功皇后)、そして3番目にやっと少童命って書かれてあるのが何なの⁉って感じ。

ここだけ見た感じだと、住吉神こそが1番偉くて、ワダツミは小さい童だよって言っているように感じる。

 

こっち見ると、真ん中に少童命が書かれる書き方にはなっているけれど、住吉大神と神功皇后がセットなんだよなぁ。

 

 

宇佐神宮なんかでも、神功皇后のところに住吉神がセットで祀られていたのは、後々の住吉信仰が住吉神を神功皇后の夫のポジションにしたからって事なのかな。

 

 

古事記・日本書紀でも、神功皇后が神がかったときに一番重要な神様として住吉神が出てくるけど、福岡の神社をめぐっていると、阿曇磯良の存在が大きくて、住吉神よりワダツミなんだよね。

 

そこから思うに、元々は阿曇氏の祀るワダツミが重要視されて祀られていたのだけれど、後から住吉信仰が盛んになって、ワダツミの地位が下げられて、下げられつつもどうにか踏ん張って風浪宮の主祭神のポジションを維持しているというような、そんな感じなのかなぁ。

 

 

古事記・日本書紀が書かれた時点でもう、住吉信仰が盛んだったんだろう。(神功皇后が福岡から大阪に行って住吉神社作ったところからもう、住吉信仰の力の強さの始まりか。)

 

 

ワダツミ三神と住吉三神は双子のようにイザナギの禊によって生まれた存在とされつつ、神功皇后にとって最も近しい海の神としてのポジションを取り合うライバルのようなそんな。

そこに武内宿禰が加わって、今度は神功皇后の伴侶のポジションを取り合うという(笑)

 

 

素戔嗚命。

 

 

 

参道を向いて鎮座している幸神社は、外から来る禍事を防ぎ、幸せのご縁を結ぶそうだよ。

 

 

池には亀や

鯉がいた。

 

 

阿曇磯良に、よぼよぼした老人イメージを抱いていた私。

 

↑これは神楽面。

名前は「志賀」だけど、ワダツミは別にいるし阿曇磯良を表していると思われたのでね、これが私にとっての阿曇磯良だったわけ。

 

 

でも、この辺りの地域伝承見てると「水軍の長」「海上指令」「航海熟達の海士」って、なんだか勇ましい雰囲気。

もちろん、年はそれなりにとってて良いんだけど、前よりは若々しいイメージになった⛴

 

拝殿前にいらっしゃる阿曇磯良❗️

なんとなくちょっとポセイドンって感じする🌊

そうか、そうだな。

屈強な海の男って感じでよろしいかと。

 

手に干珠満珠を持ち、身体に魚介類がくっついている。

 

 

 

 

…あれ、そういえば、神社によって牛や馬の像があるように、虎もわりとあるものなのかな?

 

ちょこっと調べてみるだけで沢山の神社の虎像が出てきたので、わりとあるもののよう。

祭神に虎が関係ある場合も、なくてもただ奉納した人の気持ち次第な場合もある様子。

 

五重塔。っていうと五階建ての建物を想像してしまうけど、これは石の彫刻。

 

急いでたからあんまり見れてないあせる

ただ、五重塔よりも、磐井の里でみたような石人の像があるのが気になった。

 

この地にあった石人と石盾は大正5年 現八女市吉田が風浪宮へ寄贈し永く風浪宮において保存されてきたが(中略)文化財をふるさとへという風浪宮の厚意により昭和53年八女市に寄贈をうけた。これを謝し同質同形の模造品をつくりここに立てたものである。

 

…ってことは、やっぱり同じ石人だったのね!

 

 

あいにく両方の場所で、その石人と石盾の写真を撮っていないという残念さだけど、一応両方とも自分の目では見ていて気付けたことは嬉しい照れ

 

梅之宮。

コノハナサクヤヒメって桜のイメージあったけど、この梅之宮に祀られているらしい。

 

「松風稲荷社」と書かれた扁額の鳥居。

え、正面には何もないよ?と思ったけど、この謎は後で解ける。

 

こっちの扁額に「稲荷社」とある。

あらら、この社殿が稲荷社…?

 

近づくとこんな感じ。

狐じゃなくて狛犬が両脇にいるタイプの稲荷社。

 

稲荷社に天狗の像があるのは珍しいかも。

 

その隣は「岩藤稲荷神社」。

で、ここに来た時に、「稲荷社」の後ろに何かあることに気付く。

 

お狐様がいる!!

 

ここが松風稲荷社なのね!?

 

稲荷神社って社殿の裏にもお参りする場所が用意されていることが多い気がする。

 

こちらは「月讀神社」

 

手前(向かって右)から、天満社、蛭子社、薬師社。

 

本殿裏に広がる竹林。

 

ここに「百年の杜」なるものを作る予定だそうな。

延長線上に志賀海神社、そのまた延長線に宗像大社の沖津宮のある沖ノ島。

曰く、ここに志賀神(わたつみの神)が祀られているから。

阿曇氏も宗像一族も、沖ノ島を「神宿る島」として信仰していたってさ!

 

そして、

糸島の平原遺跡や、

 

佐賀県の吉野ヶ里遺跡にあったとされる御柱を、わたつみ三神が降臨するものとして建てる計画だそうな。

そうかそうか、楽しみだね。

 

https://www.ofurousan.or.jp/uploads/files/zadanai.pdf

「風浪宮のルーツである海洋族阿曇は真っ暗な中で星を頼りに中国をめざしたとも言われており」っていう阿曇宮司の言葉が好き流れ星

 

あとこれすごかった!

 

 

 

多分、一つの大きな木と使い、木の形を活かしながら彫刻したものなんじゃないかな。

 

風浪宮、時間がなくて写真だけバババと撮って来たから全体的にじっくり見れてないのが残念。

またそのうち、時間があるときに行きたい。