こんにちは〜〜神楽女(かぐらめ)下田屋有依です
筑波山の龍を起こす金龍プロジェクト、佳境に入っております
筑波山周辺で龍さんに繋がる7ヶ所のスポットを開き、最後に、紫峰杉の源流で7人で祈る。それが土地のオーダーです
このタイミングでびっくりするニュースが。。
浅草寺の本堂の天井に描かれている金龍さんの絵が剥がれちゃったらしい
浅草寺って、金龍山と関わりがあるようで、調べてみると
金龍山の寺が、浅草寺のはじまりと言われています。 この観音像が引き上げられた日、一夜にしてあたりに千株もの松が生えて、3日を過ぎると天から金のうろこをもつ龍が降りてきた、という伝説があります。 それが「金龍山」の名の由来となり、現在も折々で奉演される「金龍の舞」はこの伝説から来ています。
でかい!勇壮!金龍の舞
私の出身は浅草寺の近くだし、抹茶スイーツハンターしに、今も浅草寺はよく行くし、なにかとご縁を感じるのです。
金龍さんのセレモニーの直前に、浅草寺の金龍山が剥がれたそこに封じられていたものが開放される暗示
実家に帰るついでに寄ったら本当にいなくなってる
私たちは、この龍さんを囲む女神たちのように、花を持たせてあげねばね
もうすぐ金龍さんが起きる予兆をびしばし感じてなりません
もちろん、わたしたちの力だけでなく、ずーーーーーっと前からここで祈りをつなげてくださった先人のシャーマンたちがいてくれてこそ、なのです
金龍さんの開放に伴い、私の封印も解けていっています。
今までの古い価値観。思い込み。祈りに対しての覚悟だったり。
もっともーーっと、私は私に戻っていく
さあ・・・これからどうなるか筑波山
最後に、知り合いの霊能者が、「筑波山太平洋の龍を起こした」とSNSにも投稿していて、興味のある方だけ是非に(諸々開放しなきゃいけない時だからむしろアップしてます。ダメそうなら消します。)
最後まで気を引き締めて、地球仕事頑張りますです
みんなもご自愛しつつ、お役目頑張ってね
【太平洋の龍が起きた】
龍の解放みたいなことをやっていると、別に予定を立てていなくても、次々と呼ばれるようにあっちこっちを開けることになったりする。何も考えていなくても、向こうの次元ではもうスケジュールができているかのようで、何だかそういうことになるのだ。地球のレイラインの解放をやったあとで、鞍馬山を開けようということになり、そうしたら青森に縁がある人に出会って、岩木山の封印を解くことになった。すると今度は、熊本に引っ越した人が、どうも阿蘇に呼ばれているようだというので、阿蘇を開けることになった。そしてその次に、鹿島に安い物件があるので見に行ったという人がいて、鹿島なら筑波だろうということになり、筑波山を開けることになった。
筑波山は、前から気になってはいた。しかし、今まで手をつける気になれなかった。おそらくは、関東の封じ込めの要になっているのだろう。筑波山の周辺に鹿島神宮や香取神宮という、神宮の格の神社が2つもあるというのも、何かしら大きなものを封じ込めているからなように思える。
鹿島神宮といったら、武甕槌(たけみかづち)が祭神だけれど、このタケミカヅチというのは、熊野でも出雲でも、国譲りに関わっている神だ。国譲りというのは、大和朝廷以前にその土地を支配していた王的人物が、大和朝廷に支配権を譲ったということで、つまりは大和朝廷に敗北して、征服されたということを意味している。熊野ではニギハヤヒが、出雲ではオオクニヌシが、神武天皇に国譲りをしたということになっている。熊野では、縄文のニシキトベという女酋長の部族が、神武天皇の軍を呪いにかけて眠らせてしまったのだけれど、そこでタケミカヅチがフツノミタマという剣を授けると、呪いが解けて、ニシキトベの部族を斃したとされている。
出雲でも、タケミカヅチが現れて、海上で剣を振り回すと、オオクニヌシが国譲りをすることになったとある。タケミカヅチは、何かしら縄文民族の力を決定的に削いでしまうような力があるようなのだ。縄文の民族は、磐座などで龍脈を繋ぐことを知っていて、その力に守られていたから、おそらくはタケミカヅチとは、龍脈の封印の技を意味しているのだろう。タケミカヅチが使うフツノミタマという剣とは、龍脈を断ち切る剣のことなのではないかと思う。
龍脈を断ち切ることについては、「ニシキトベの復活」にくわしく書いたのだけれど、これはレイラインを封じ込める技と同じなので、ダウジングで地面からの波動エネルギーを読むことを知っていると、どこでどう封じ込められているのかを、精確に読み取ることができるのだ。磐座とは、地下から発している波動エネルギーを繋ぐアンテナのようなものなのだけれど、それを倒したり壊したり、封じたりすることで、波動エネルギーの流れを瞬時に変えることが可能だ。
筑波山といったら、古代には歌垣の場所として有名だったのだそうで、万葉集には筑波の歌垣の歌がたくさんあるのだそうだ。歌垣というのは、母系制だった縄文民族の婚姻習俗で、要するに男女が集まって、歌を詠み合って相手を探し、まぐわうというものだ。古代日本には、一夫一婦の結婚というものはなく、歌垣でそのたびに相手を探すというやり方だった。日本各地に歌垣を行っていた場所というのがあり、そういう場所は、だいたい第2チャクラが活性化するエネルギーがあるスポットになっている。今日では、縁結びの神さまだとか子宝を授かるとか言われる神社になっていることも多い。
筑波山が歌垣の場所として有名だったということは、古代にはこの一帯には大きな集落があり、人が集まる場所だったのだろう。そのあたりに大きな王朝があったという説もあるらしい。だとしたら、その支配力を抑えるために、鹿島と香取の2つの神宮が必要だったのかもしれない。
筑波山は、男体山と女体山の二峰がある山だから、男女和合のエネルギーなのだろう。それでまずは、男体山と女体山の両方が並んでいる角度の画像を使って、どんなエネルギーなのか遠隔アクセスしてみることにした。
すると、閉じ込められているような息苦しさを感じた人が多かった。本来は、四方八方に繋がっているはずのものが、そこだけに閉じ込められて、上だけに柱のようにエネルギーが出ているというような感じがした。男女がまぐわっているようなセクシュアルな感覚もあるのだけれど、それは繋がることの喜びそのもので、その中に浸っているのは安心感があって、身体が緩む感覚がある。男と女ではなくて、そもそも一つのものであり、一体なのだという感じがあった。その一方では、水のイメージが出てきていて、竜宮城の女神であるという豊玉姫のイメージが出てきた人もいた。もともと海上交易がさかんで、太平洋の航路が出ていたというようなイメージも出てきていた。
それで、筑波山は男女和合よりもむしろ航路を繋ぐ力なのではないかと思ったのだ。筑波山の南側には霞ヶ浦があって、それは太平洋に注いでいる。そもそも古代には、霞ヶ浦のあたりは海であり、筑波山はすぐ海に面していたのだそうだ。
その話を聞いて、ピーンとひらめくものがあった。熊野の海辺には、航路を繋いでいる龍脈があるんじゃないかと思えるようなところがある。海辺に巨大な柱のような岩があり、とてもパワフルな陽の波動を発しているのだけれど、それがどうも陸のどこかと繋がっているのではなくて、海の向こうの何かと繋がっているように思えるのだ。縄文の海人族たちは、簡単なカヌーのような舟で、太平洋中を航海していたという話がある。彼らはおそらく潮や風を読む力があったからこそなのだろうけれど、そのときに、意識の波動を海の向こうのある場所と繋いで、その繋がりに導かれて進んでいったのじゃないかと思った。沖からも見えるような何かの目印になるようなものが、その役を果たしていたのじゃないかと。
筑波山がすぐ海に面していたのであれば、この山の形が、海の向こうから渡ってくる目印になっただろう。それで、そうした目印になる場所のあちこちを繋ぐような、海の龍脈のようなものがあったのじゃないかと思った。鹿島と香取の2つの神宮が封じ込めているのは、実はこの海の龍脈だったのかもしれない。
それで、封じ込められる前の古代の筑波山のエネルギーにアクセスして、海の龍脈を繋ぐような力としての筑波山がどうなっていたのかを見てみることにした。それで今度は、男体山と女体山が並んでいる画像ではなくて、霞ヶ浦の方から撮った画像を使って、アクセスした。
すると、筑波から海路で日本中を巡っている人々の姿が見えた。出雲も熊野も、海路で行っていたように思えた。それどころか、台湾や上海、ロシアまで、同じ国の一部みたいに軽く行っていたイメージが見えた。あとで地図を見たら、九州から台湾へ行く間くらいのところに、上海がある。国境などというもののない古代には、人々は中国へでもロシアへでも、海を渡って同じように行っていたのだろう。
明治以降、日本は富国強兵で軍国化されて、中国やロシアと戦争することになったのだけれど、まさにそれによって、この海の龍脈は閉ざされてしまったのだ。隣の国は敵国であり、恐ろしい国だというイメージが植えつけられ、恐怖によってこの海の繋がりが閉ざされてしまったわけだ。
ところで、熊野から千葉へは、黒潮に乗って行くことができ、簡単な舟でも一週間ほどで着いてしまうという話がある。熊野にも千葉にも勝浦という地名があるけれど、それは、熊野の勝浦から千葉の勝浦へ黒潮に乗って行けたからなのだそうだ。その近くに補陀洛山寺というお寺があり、昔はそこから海の極楽へ行くといって、釘付けにした小舟に乗って沖へ出る補陀落渡海というのをやっていた。ところで、この舟が潮に乗って千葉や東北の浜に着いたり、沖縄まで着いたりしたことが実際にあったのだそうだ。この補陀落渡海というのは、もともとは生きながら成仏しようというようなものではなくて、熊野を脱出して新しい土地へ行こうとしてやっていたのだという説もあるらしい。縄文の海人族たちは、まさに補陀落渡海のように、簡単な舟に乗って、潮に流されながら、自在に移動していたのかもしれない。龍脈を繋いでその力を使うことを知っていた人々ならば、海の龍脈を繋いで、自在に移動することもできたのかもしれない。
それで、筑波山のもともとのエネルギーを解放してみることにした。やはり霞ヶ浦から見た筑波山の画像を使って、山の中、地下の方に意識を向け、そこに封じ込められている存在に表に出てきてもらうことにした。
すると、豊玉姫のような感じの女神の巨大な姿が山から出てきたと思ったら、筑波から環太平洋をグルグルまわるように無数の龍が泳ぎ始めたのだ。彼らはやっと解放されて大喜びといった風で、ものすごい勢いでグルグル回って、やめようともしない。太平洋がグルグルとまるで洗濯機みたいに回っていた。こんな風な盛んな航海がかつて縄文の時代には行われていたのだろうか。海の龍脈が機能していた時代ならば、こんなことも誰でもできるような簡単なことだったのかもしれない。
「どこへ行っても守られる。どこへ行っても支えられる」とその巨大な海の女神は言っていた。どこへ行っても守られるのだという信頼こそは、外へ出ていく力なのだろう。海に出れば海に守られ、陸に上がれば大地に守られる。だから、人はどこへでも出ていくことができる。そうした信頼を持って、古代の人々はどこへでも渡っていったのだ。そして、どこへ行っても調和していったのだ。
日本人は、島国根性といって、閉鎖的で国際的な感覚がないというようなことがよく言われるけれど、実はこの縄文の交流の力を民族の血の中に持っているのだと、海の女神は言っていた。実際、世界中どこに行っても、日本人は必ずいるのだそうで、それぞれに何となく土地になじんで生きていたりする。それこそは、かつて太平洋中を自分の庭のように巡っていた縄文民族の血なのだ。どこへ行っても、守られていく信頼を持ち、調和を作り出す天才なのだと。
その力を自分の中に感じたとき、日本が明治以降これほどまでに抑え込まれてきたのは、実は日本人のこの調和を作り出してしまう能力のせいだったのかと思えてくる。今、ロシアが世界の多極化の力の中心になっているのと同様に、日本は環太平洋の多極的な調和を作り出す中心になる力を持っているのかもしれない。ロシアは、多極的な調和を作り出す力を持っていたがゆえに、この200年ほど世界の一極支配を目指す金融資本家の勢力にさんざん敵対視されてきたのだ。そして日本は、かつての海洋民族としての力を思い出すことができれば、環太平洋を、つまり東南アジア、オーストラリア、ニュージーランド、中南米、アメリカ、ロシアで多極的な調和を作り出す力の中心になってしまうのかもしれない。
日本の海岸線に原発が立ち並んでいるのは、実はまさにこの力を封じ込めるためだったのかもしれない。原発があれば、攻撃されたら核攻撃を受けるのと同じことになるのだから、原発を作らせるということは、人質に取られたのと同じようなことなのだ。福島の原発事故も、人工地震で狙われたのだと言われているし、今ウクライナのザポリージャ原発をキエフ政権が脅しに使っているさまを見ると、原発を作らせるということは、脅しが利く国になるようなものだと思う。そして、まさにその恐怖のエネルギーによって、多民族で交流し調和を作り出す力を封じ込めることができてしまうのだ。
しかし、筑波山の太平洋の龍が起きたら、そんな恐怖の力も跳ね返すような信頼の力が湧き上がってきて、日本は外に出ていけるのじゃないかという気がした。脅されてビクビクするのではなく、脅しが利かない国になってしまうのかもしれないという気がした。
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