2025年の作品から
100篇を選んでまとめました。
俳詩として個人的に、俳句の「575の型」「季語」等や「口語体」を母体として、
より詩性、思想性、現代性などを表現、探究する試みです。
2025年10月から、
「俳句」と「俳詩」の2つに取り組みを分けたため、俳詩のほうでは個人的に、より自由な表現や詩性、工夫、挑戦などを探り行っています。
楽しんでご覧いただければ幸いです。
*作品は主にXで発表したものです
『俳詩作品集』
2025年 自選100篇
「秋蝶」
伸びくる手越えて越えては秋の蝶
乗せた手に痛み残してばったとぶ
すすきはらとぶ光子数かぎりなく
色鳥の咲いている枝──散った枝
わたりどりともども京を俯瞰して
「一舟」
霧のみずうみみな一舟の幻で居る
ながれ澄む水みずからを追つめて
秋の大河時代を揉みながしてゆく
土手じゅうが花かんむりよ草の先
すれちがうふね綺羅に消え秋夕焼
「銀河」
都市よ橋よ河よ絶えなく霧ながれ
父が降る祖父が降る土地ながれ星
みずというみずがかがみに盆の月
億年たてば億年むかしきょうの月
ふかみゆく闇ふかみゆく銀河の淵
「旅」
オリオンの肖像星空のキャンバス
シリウスをあおぐあまたの文明が
太陽系も旅ひとすじのふゆぎんが
凍星よしんとじぶんの背を抱けば
神話かがやき仮説またたき冬の星
「今世」
ガス灯に雪舞うゆるしゆるされて
ヒト科ヒト属ヒトゆえ孤独冬の靄
ホットワイン今世に酔いという光
金平糖ひとつぶ雪のいくせんまん
詩がひとり詩がふたり消え雪景色
「途上」
ほわと割る湯気のかたまり蒸饅頭
寒りんご愛情はキュビズムでした
ふりむかずしんと記憶の大地凍て
現代も途上手にゆきはらはらはら
ひとはデモつづけ鯨は跳びつづけ
「鶴」
こえのこすそらに最後尾のつるが
目にうかぶきみ目にのこる遠雪嶺
ふもとまちまでゆめのなか眠る山
ふゆりんごなかば陰手に落とす影
寒菊黄さす日のおくに死後も見え
「無尽」
遠くちいさくふりむく鹿に雪無尽
白鳥の水尾さかさ富士切りひらく
みきに手をあててすぐに陽大冬木
空ひとつだけ風花はひとひらだけ
枯草が春はぐくんでいるたそがれ
「原風景」
原風景にいろづける筆雪しんしん
記憶の始まり記憶の終わり枯野星
たましいとたましいさがす綿虫と
照りかげる過去ひとつ月寒に入る
一つ一つきおくを燃やす寒木瓜が
「白息」
しろい息銀河は銀河呑みこみつつ
知と心 またたきとやみ 冬星座
寒昴──はてまでやみの夜の大気
日のはてへ少年、夜のはてへ寒星
まだ無い言葉──南天の実が真紅
「雪」
雪は言葉背むけた街にふりつづく
千々の灯にふる雪秩序たもちつつ
降りつづき雪国はととのってゆく
冬霧を踏むおと父子はすれちがい
冬芽にもなる墓つちと果てたあと
「風花」
天狼瞬くしんと傲りに気づくとき
焚火そだてて夜をふかめて人未明
寒いみずうみ君が隣りに来て映る
ただ小春おおげさなこと何もない
老いていい風花のひとひらとして
「窓景」
黙る目に雪たましいに雪しんしん
雪降りだす嘘とうわさが本当の街
聖樹に灯優しく見切りつけている
ホットコーヒー灯の窓景の内と外
四つ角のおくも四つ角風邪また風
「孤島」
マスクしてふと絶海の孤島に居る
差別するマフラー差別受けながら
クリスマスツリー過去ほど新しく
ブロッコリー幻の鳥棲ませている
冬銀河ひとはじぶんもわからない
「聖樹」
灯として地 星として天 聖夜劇
ホットウイスキー 夕明色ランプ
雪 誰も耳にとめないこえをきく
うしろ姿じぶんにつづく道 晩冬
敗戦 占領 独立 聖樹 親子供
「秒針」
集合的無意識──伸べた手にも雪
雪の夜の秒針、対話と違うはやさ
「草々」の遠いやりとり炬燵蜜柑
船下り──手にもひとひら雪の川
我のつよい白波、珠のふゆかもめ
「白鳥」
白鳥来る──北の沈黙つれて来る
坂 一灯 ニ灯 三灯 傘 氷雨
金の街──銀の街──灯の聖誕祭
オートロック全灯まもられて雪夜
ゆるゆるとバス、刻々と年のくれ
「回廊」
寒くひとつ灯提げこころの回廊へ
生家小春なかば夢だと気づきつつ
吹きこぼすとおい日土なべ雑炊が
冬の鳩ふとじんせいのあしもとに
落ち葉焚むかしばなしのあとの灰
「寒夕焼」
けさのゆき金閣ほほえましくして
雪よ黙手をのべて生き死ねること
帰路を吹く靴のうらまで地吹雪が
地方都市ぽたぽたと垂れさむい霧
寒ゆうやけ橋がわたしを歩かせる
「名画と風景」
くものおくやま生々流転ふゆの舟
月がさむいシルクロードの旅の列
臨済禅師のたたかいの喝雪がやむ
ふねに大波大波にふねゆきの富士
ふゆのきりもかすれては消え松林
終わり
◯名画 感銘を受けた画
「生々流転」横山大観
「シルクロードシリーズ」平山郁夫
「臨済禅師『喝』」都路華香
「富嶽三十六景 神奈川沖浪裏」葛飾北斎
「松林図屏風」長谷川等伯
◇ これまでの作品集 ◇
『俳詩について』
〜 俳句を母体とした詩〜
『春の自選』
一行詩的俳句集
一行詩的俳句集
俳詩作品集 習作①
俳詩作品集 習作②
俳詩作品集 習作③
俳詩作品集 習作④
俳詩作品集 習作⑤
◇書いてみた感想
俳詩の作品をまとめました。
俳詩とは「俳句を母体とした詩」という意味の個人的な呼称です。
俳句の「575の型」「季語」等や「口語体」を母体として、
より深い「詩性」や「思想性」「現代性」などを表現、探究する試みです。
2025年10月から、
「俳句」と「俳詩」の2つに取り組みを分けたため、俳詩のほうでは個人的に、より自由な表現や工夫、挑戦などを行っています。
個人的な探究を楽しんでいます。
今回は2025年の作品から100篇を選んでまとめました。
よりよい作品を模索して、少しずつ揃えていくことが当面の目標です。
主に575の型、季語、口語体、現代仮名遣い等を用いて書いています。
また小説、詩、短歌などと同様に、主に「現代の書き言葉」表現をメインに書いています。
「現代の話し言葉」表現の作品も適宜詠みこんでいます。
これまでの取り組みから、575の型、季語、切れを用いて、
「伝統的な俳句」「様々な文体の俳句」を詠むほかに、「詩的な作品」を書くことも可能だと個人的にわかりました。
口語俳句の「俳句としての側面」「一行詩としての側面」という2つのあり方を、別々に突き詰めることで、
それぞれどのような作品や作品集が生まれるのかについて個人的に少しずつ探っています。
詩は、ものごとの表現の仕方や方法を作者・読者がともに楽しみ味わい、
また読者がその詩を自分なりに解釈して楽しむという側面を持った文学であるといえる。
詩の定義を広くとらえれば、俳句・川柳・一行詩も詩的表現の一種。
形式や目的の違いはあるものの、言葉による表現を通じて「詩的な感動」を生み出す点で共通している。
解説文:ChatGPT
◇俳句、川柳、俳詩の大まかな特徴
俳句は発句。季語、切れ字、切れを常用して四季折々の自然とその暮らし、風雅さ、余情、感動などをより突き詰めて「詠む」傾向があるそうです。
川柳は平句。季語、切れ字、切れは常用せず人情や滑稽さ、機知、風刺などをより突き詰めて「吐く」傾向があるそうです。
俳詩は詩。575の型、季語、口語体等を用いつつ詩的な側面をより重視し、詩性、思想性、現代性、自己性、社会性、象徴性などを突き詰めて「書く」ことを試みています。
◇現在の主な活動内容
現代語・現代仮名遣い・現代的切れ字
を基本にして俳句を詠んでいます
① 現代俳句
俳句の「現代化」「現代文学化」
について実作を通して模索しています
② 多文体俳句
俳句の「使用文体の拡張」
について実作ととに探究しています
③ 俳詩 (旧一行詩的俳句)
俳詩として、俳句の基本を母体に
「詩性」「現代性」なども探っています
④ AI共作俳句
生成AIを「制作助手」とした
俳句集づくりについて探究しています
個人的な
俳句の探究を楽しんでいます
*以前行っていた「一行詩的俳句」の取り組みを呼称を変えて引き継いだものです
*解説について至らない点、充分に書き尽くせていない部分もあると思いますがご容赦ください
*こうした取り組みについては個人・団体によって様々な考え方や見解があります
いつも
ご覧いただき
ありがとうございます
◇関連記事◇














