俳詩の習作作品集です。


俳詩として個人的に、


俳句の「575の型」「季語」等や

「口語体」を母体として、


より詩性、思想性、現代性などを表現、探究する試みです。


勉強不足な点も多々ありますが

楽しんでご覧いただければ幸いです。


*作品は既発表です


*以前の「一行詩的俳句」の取り組みを

 「俳詩」としてとらえなおしたものです




『銀河の淵』

俳詩作品集


「秋蝶」


伸びくる手越えて越えては秋の蝶


乗せた手に痛み残してばったとぶ


きつつきよ耳以外みな木っ端微塵


こうこつのときがある地の落蝉に


わたりどりともども街を俯瞰して


テーマ∶空




「波音」


すれちがうふね綺羅に消え秋夕焼


つばめみな帰る波おとだけのこし


すわるたびきせつが暮れて海は秋


波打ち際秋暮がこたえかもしれず


十六夜引くなみはあとかがやかす


テーマ∶海




「芒原」


土手じゅうが花かんむりよ草の先


一粒万倍穂のさざ波に案山子暮れ


色鳥の咲いている枝──散った枝


死のはての落ち蝉巻く風にくずれ


すすきはらとぶ光子数かぎりなく


テーマ∶陸




「一舟」


都市よ橋よ河よ絶えなく霧ながれ


霧のみずうみみな一舟の幻で居る


ながれ澄む水みずからを追つめて


もみじかつ散る源流をほのと染め


秋の大河時代を揉みながしてゆく


テーマ∶河




「銀河」


日くだけてなみうちぎわも秋夕焼


父が降る祖父が降る土地ながれ星


みずというみずがかがみに盆の月


億年たてば億年むかしきょうの月


ふかみゆく闇ふかみゆく銀河の淵


テーマ∶天体



終わり




 ◇ これまでの作品集 ◇


『春の自選』

一行詩的俳句集




『自然理と詩』

一行詩的俳句集




『街』

一行詩的俳句集




『鹿の子』

一行詩的俳句集





◇書いてみた感想


俳詩の習作作品をまとめました。


俳詩とは「俳句を母体とする詩」という意味の個人的な呼称です。


俳句の「575の型」「季語」等や「口語体」を母体として、


より深い「詩性」や「思想性」「現代性」などを表現、探究する試みです。


個人的な探究を楽しんでいます。



今回は秋の自然をテーマにした作品を集めました。


よりよい作品を模索して、少しずつ揃えていくことが当面の目標です。



主に575の型、季語、口語体、現代仮名遣い等を用いて書いています。


これまでの取り組みから、575の型、季語、切れを用いて、


「伝統的な俳句」「様々な文体の俳句」を詠むほかに、「詩的な作品」を書くことも可能だと個人的にわかりました。





◇俳句と俳詩について


口語俳句の「俳句としての側面」「一行詩としての側面」という2つのあり方を、別々に突き詰めることで、


それぞれどのような作品や作品集が生まれるのかについて個人的に少しずつ探っています。





◇詩の解説

詩は、ものごとの表現の仕方や方法を作者・読者がともに楽しみ味わい、


また読者がその詩を自分なりに解釈して楽しむという側面を持った文学であるといえる。


詩の定義を広くとらえれば、俳句・川柳・一行詩も詩的表現の一種。


形式や目的の違いはあるものの、言葉による表現を通じて「詩的な感動」を生み出す点で共通している。 


解説文:ChatGPT




◇俳句、川柳、俳詩の大まかな特徴


俳句は発句。季語、切れ字、切れを常用して四季折々の自然とその暮らし、風雅さ、余情、感動などをより突き詰めて「詠む」傾向があるそうです。


川柳は平句。季語、切れ字、切れは常用せず人情や滑稽さ、機知、風刺などをより突き詰めて「吐く」傾向があるそうです。


俳詩は詩。575の型、季語、口語体等を用いつつ詩的な側面をより重視し、詩性、思想性、現代性、自己性、社会性、象徴性などを突き詰めて「書く」ことを試みています。



*主にXで発表した作品です


*以前行っていた「一行詩的俳句」の取り組みを呼称を変えて引き継いだものです


*解説について至らない点、充分に書き尽くせていない部分もあると思いますがご容赦ください


*こうした取り組みについては個人・団体によって様々な考え方や見解があります




いつも

ご覧いただき

ありがとうございます




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