京都の町並みを歩いていると、町家の玄関の屋根の上に小さな置物が置いてあります。
鍾馗(しょうき)さんというそうです。

「こだわり」の建築士日記 

鍾馗は、中国の民間伝承の道教系の神様。日本では、疱瘡(天然痘)除けや学業成就に効きめがあるとされ、端午の節句に絵や人形を奉納したりします。また、魔よけにもなると、旗、屏風、掛け軸として飾ったり、屋根の上に鍾馗の像を載せたりします。

地元ではしょうきさんと呼ばれて親しみを持たれているようです。沖縄のシーサーと似ていますね…

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京都に建てられる住宅は京町家(きょうまちや、きょうちょうか)と呼ばれ、主に職住一体型の住居の形式であり、店舗併用住宅なら京町屋、住居なら京町家と表記されることが多いようです。町屋は昔は店屋と書いて「まちや」と読んでいたものが変化したとされ、住居を指す「町家」という語は比較的新しく、昭和初期まで町家(ちょういえ)とは町の集会所のことを指していました。

町屋(まちや)は、町人が住む住宅で、つまり、農家に対し商業や工業を営むための都市住宅です。町家(まちや、ちょうか)ともいい、特に商いの場を兼ねた町屋は商家(しょうか)と呼ばれます。宿場における街並みは宿場町と呼ばれ、城下においては城下町と呼ばれてきました。

建物屋根の棟に対して直角に切り下ろした妻側を妻といい、対して棟と並行する側を平(ひら)と呼び、平入と呼ばれる道路側に軒先と棟を平行させた平入の建物が多く、中世以降平屋で板葺き切妻屋根に土壁の家屋が建てられ、江戸初期には、厨子二階(つしにかい)と呼ばれる低い2階建てに袖卯建(そでうだつ)を上げた家屋が一般的になりました。

現在多く残されている瓦葺き、漆喰塗籠めの壁を持つ町屋は1600年代末に現れました。厨子二階は、街道沿いに建てられた町屋の表に造られ、大名の往来を上から見下ろすことが失礼に当たるということから居間としてではなく物置として使うことが許され、明治以降は、現在の家屋と同じ天井高の2階建て住宅が表通りにも建てられるようになり、京都などでは三階建の町屋なども建てられるようになりました。

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京都に行ったのは7月20日…祇園祭の期間中(祇園祭は1ヶ月続きます)宵山や山鉾巡航は終わっていましたがまだまだお祭りは続いています。写真は先斗町のお店の提灯、いつもは赤い提灯が祇園祭の期間中はこの提灯が飾られていました…