2月29日に秩父屋台囃子教室をやって以来、コロナの影響でずっと教室は休止になっている。(^^;)
町田市では4月初旬に早々と施設の利用中止期間の延長が公表され、かすかに期待していた5月の教室も中止となった。
秩父屋台囃子教室は月イチ教室なので、なんとか6月からは再開したいと願っていたが、ようやく東京の緊急事態宣言が解除された。(^-^)//""パチパチ
といっても、まだ段階的な解除だが。
まあ秩父屋台囃子が演奏される秩父夜祭は12月3日なので、さすがにもうその頃には普通の生活状態に戻っていると思うが、5月の「秩父屋台囃子20連太鼓」はもちろん開催中止になった。
その秩父屋台囃子だが、意外と世間では知らない人がメチャ多いのには驚く。
私はもともと別の太鼓教室をやっていて、教室に来る人には訊いてみるが、ほとんどの人は秩父屋台囃子を知らない。
これは秩父屋台囃子教室をやってみて分かったことだが、屋台囃子を知っている人といえば、和太鼓グループに入っている人とか、他の太鼓教室で屋台囃子を習ったことがある人くらい。
そういう人でも「秩父」と名が付く屋台囃子は知らない。
私は常々日本の三大太鼓は「八丈太鼓」「三宅太鼓」そして「秩父屋台囃子」と謳っているが、秩父屋台囃子を知らない人があまりにも多いので落胆した。(´・ω・`)ガッカリ…
でも、考えてみればそうかもしれない。
秩父屋台囃子は、秩父夜祭で主役を務める豪華絢爛な山車の中で演奏されている"ただのお囃子"なのだから。
まあその"ただのお囃子"が実は日本一の太鼓の祭り囃子なのだが、秩父という四方を山に囲まれたド田舎の祭り囃子なので、太鼓をやっていても知らない人が多いのかもしれない。
だが、その秩父屋台囃子をアレンジして演奏し、広く世間に知らしめた太鼓集団がいる。それが鼓童である。
私も初めは秩父屋台囃子という存在を知らなかったのだが、鼓童が演奏する屋台囃子は知っていた。
後々これは鼓童が秩父屋台囃子をステージ用にアレンジしたものと知った訳だが、正直何回見てもカッコいいし演奏もd(-_^)good!!
まあ片やプロの和太鼓集団のエンターテインメントの太鼓、片や地方のお祭りの山車の中で打たれている太鼓、ぜんぜん比較にならないが、鼓童が演奏したことで屋台囃子が世間に広く知れ渡ったのは事実だ。
ちなみに、鼓童のステージでも屋台囃子は一番最後にトリとして演奏されることが最も多い。
私も初めて鼓童の屋台囃子を見たときは衝撃を受けた。
だが、その原型である秩父屋台囃子はそれとは全くの別物。
山車の中の2畳くらいの狭いスペースで演奏される秩父屋台囃子は、外からは演奏風景が全く見えず、あくまでも主役は山車や引手で、屋台囃子はその先導役のお囃子に過ぎない。
なので、秩父屋台囃子には鼓童のような華やかさはない。
でもそれが本来の屋台囃子。
泥くさいというか何というか、情感あふれる太鼓なのだ。
秩父屋台囃子は、打ち手が入れ変わりながら交代して打つ、回し打ちの太鼓。
三宅太鼓や小倉祇園太鼓もそれと同じで、お祭りの太鼓には回し打ちの太鼓が多い。
また、秩父屋台囃子は鼓童のように打ち手が皆同じ節(フレーズ)を叩くのではなく、打ち手個々によって微妙に違う。
打ち手はそれぞれ"自分の屋台囃子"を持っているのだ。
秩父で生まれ育ち、小さい頃から太鼓を叩き、中には30年・40年と太鼓を叩いている人もいるので、逆に同じになるほうがおかしい。それが郷土芸能というものだろう。
ある和太鼓の評論家が「秩父屋台囃子は和太鼓のあらゆるリズムをこれ以上ないほどに駆使した名曲である」と謳っているが、四方を山に囲まれた僻地で、よくこのような日本一の祭り囃子が誕生したものだと、つくづく驚愕する。
私は、世間ではほとんど知られていない秩父屋台囃子の魅力をもっともっと広めていきたいと思うので、興味のある方はぜひ一度秩父屋台囃子教室に来ていただきたいと思う。
まあ再開されればの話だが。(笑)