古本屋ならのエレベーターが裏にある



 階段を登りながら本を探す楽しみ、昔も今も同じ













 古本屋にとてもふさわしい店員さん/蘇州美人





 素晴らしい本屋のソファに座っても、観ているのがやはり携帯電話







 本屋に行く階段がまるで映画のワンシーン




     蘇州で過ごす最後の日、二軒の本屋に立ち寄った。

    一軒は、東呉古書店。

     木の窓、古い本棚、細い階段。
     本は一冊一冊、ぎゅっと肩を寄せ合うように並んでいて、背表紙の色が褪せたものもあれば、紙がすっかり黄ばんだものも山々にあった。

 こういう場所に来ると、どうしても手を伸ばして一冊抜き取り、何ページかめくって、またそっと元に戻したくなる。

 かなり長いこと店にいた。
 けれど結局、一冊も買わなかった。


 店を出て右へ曲がり、隣のお菓子屋で小さなパンを二つ買った。

 パンなら今日買って、今日食べてしまえる。

 しかし、本を一冊家へ連れて帰るなら、私はその本に「これから」を与えなければならない気がする。

 いつか本棚から取り出すこと。
 最初のページを開き、五十ページ目をめくり、最後のページまでたどり着くこと。

 どこかの一文で立ち止まり、いつものように葉っぱを一枚、花を一輪、ページにはさんだり、意味のよくわからない言葉を何行か書きつけたりすること。

 若い頃は、そんな「いつか」を簡単に信じることができた。

 本を一冊買うことは、未来の自分のために、静かな時間を少し取っておくことのようだった。


 そのあと、胥江里にあるずいぶん華やかな今どきの本屋にも行った。

 鏡、光のライン、デザインされた本の壁。まるで大きなアート作品のように美しかった。写真をたくさん撮った。それでもやっぱり、本は一冊も買わなかった。

 「愈欣書店」を出ると、胥江に秋の雨が降りはじめていた。

 その瞬間、少しだけ悲しくなった。

 あんなに本を読むのが好きだったのに!

 本の背表紙が並んでいるのを見ると、今でもゆっくりとなる。古い本を開けば、紙の手触りや、乾いたインクの美しさも、ちゃんとわかる。なのに!

 今、本屋を歩くことは、昔好きだった人に会いに行くことに少し似ている。心の奥のやわらかいところはそのままなのに、もう、

 「一緒に帰ろう」とは言えない。

 未来の自分ならきっと時間を見つけて、今日のこの好きという気持ちを、最後まできちんと読み終えてくれる。そんなふうに装うことを、私はもうしたくないのだ。

 それでも私は、思わず手を伸ばしてしまう一冊を、枕元に置いて、何度も何度も読み返したくなる一冊を、まだ待っているのだろうか。

 もしそんな本に出会えたなら、どんなに幸運だろう。

 いつかの午後、その本を読んでいる途中で、小さな庭に咲いた花を一輪摘んで、胸のどこかがぱきぱきと痛むような一ページにはさむのだろう。

 そして何年も経ったある日、ふと本棚からその本を抜き取り、何気なくページをめくる。

 花はもう、すっかり乾いている。

 それでも、
 あの日の風とお茶の香りだけは、
まだ、かすかにそこに残っている。