名鉄6600系 (瀬戸線)
70年代の瀬戸線の写真が続いてますが、こちらは現在の様子です。
矢田川橋梁を渡るモ6705を先頭にした編成です。
瀬戸線栄乗り入れの際に登場した形式ですが、既に31年も経過していますから外観の割には車齢も結構あります。
昔の橋梁の写真と比べてると、変わっていない事が判ると思います。
こちらは、対岸側から撮った一枚。
こちらは、矢田駅を出て、栄方面に向かう編成です。
6600形はスカートが特徴的ですね。
1、3枚目は2009年6月16日、2枚目は2009年5月4日撮影。
矢田川橋梁を渡るモ6705を先頭にした編成です。
瀬戸線栄乗り入れの際に登場した形式ですが、既に31年も経過していますから外観の割には車齢も結構あります。
昔の橋梁の写真と比べてると、変わっていない事が判ると思います。
こちらは、対岸側から撮った一枚。
こちらは、矢田駅を出て、栄方面に向かう編成です。
6600形はスカートが特徴的ですね。
1、3枚目は2009年6月16日、2枚目は2009年5月4日撮影。
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名鉄瀬戸線 (矢田川橋梁)
名鉄瀬戸線の写真が続いていますが、今日は矢田川橋梁での写真です。
今は河原も整備されていますが、当時はまだその様子もなく、ダンプカーが乗り入れたりしていました。
ローカル線の風情漂う2両編成で、電動車はモ700形と判りますが、制御車の方はちょっと番号が判りません。
こちらは、ク2191とモ700形の編成です。
ク2191は運転台ドア後ろの丸窓が特徴的です。
いずれも1973年2月に撮影。
今は河原も整備されていますが、当時はまだその様子もなく、ダンプカーが乗り入れたりしていました。
ローカル線の風情漂う2両編成で、電動車はモ700形と判りますが、制御車の方はちょっと番号が判りません。
こちらは、ク2191とモ700形の編成です。
ク2191は運転台ドア後ろの丸窓が特徴的です。
いずれも1973年2月に撮影。
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名鉄ク2320形(一般仕様) (名鉄瀬戸線)
昨日は、特急仕様に改装されたク2320形の写真でしたが、今日は一般型で残ったク2320形です。
こちらは矢田駅を出発するク2320形2326。
唯一、事故のために高運転台に改造された車両です。
編成の相方は、モ700形です。
こちらは、大津橋の東の辺り、名古屋城のお堀の急カーブを曲がるク2320形2327です。
屋根のベンチレーターが面白い感じです。
お堀の部分は無くなってしまいましたが、今でも矢田付近は昔ながらの急カーブが残っていますから、撮りに行くには面白いポイントだと思います。
いずれも1973年2月撮影。
こちらは矢田駅を出発するク2320形2326。
唯一、事故のために高運転台に改造された車両です。
編成の相方は、モ700形です。
こちらは、大津橋の東の辺り、名古屋城のお堀の急カーブを曲がるク2320形2327です。
屋根のベンチレーターが面白い感じです。
お堀の部分は無くなってしまいましたが、今でも矢田付近は昔ながらの急カーブが残っていますから、撮りに行くには面白いポイントだと思います。
いずれも1973年2月撮影。
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名鉄ク2320形(特急仕様) (名鉄瀬戸線)
名鉄瀬戸線で活躍したク2320型です。
矢田川の鉄橋を渡る姿です。
この鉄橋は今も現役ですが、架線柱が変わりましたし、河原敷きが整備されましたから、少し景観が変わりました。
もちろん、周りの建物は全く変わりましたから、当然ですけど。
ク2321とモ900形の2連・瀬戸行き特急です。
元々は名鉄の前身である愛知電気鉄道(愛電)のデハ3080形で、片運化され、電装解除された後に瀬戸線へ転属してきたものです。
特急運転に伴い、モ900形と同様に7000系パノラマカーのようなミュージックホーンの搭載や特急表示板の取りつけが行われましたが、非冷房で時代を感じる車体とミュージックホーンの組み合わせは、何となく不思議な感じでした。
土居下駅近くの踏切を通過するク2323。
後方に見えるのが、柳原通商店街のアーケードですが、地下化に伴い、この辺りの光景も全く変わってしまいました。
特急運転で、モ900形とコンビを組んでいますが、元は別々の形式ですから、凸凹コンビのような趣きです。
なお、ク2320形は特急仕様にならなかった車両もありました。モ900形は全車改造されましたけど。
いずれも1973年2月撮影。
矢田川の鉄橋を渡る姿です。
この鉄橋は今も現役ですが、架線柱が変わりましたし、河原敷きが整備されましたから、少し景観が変わりました。
もちろん、周りの建物は全く変わりましたから、当然ですけど。
ク2321とモ900形の2連・瀬戸行き特急です。
元々は名鉄の前身である愛知電気鉄道(愛電)のデハ3080形で、片運化され、電装解除された後に瀬戸線へ転属してきたものです。
特急運転に伴い、モ900形と同様に7000系パノラマカーのようなミュージックホーンの搭載や特急表示板の取りつけが行われましたが、非冷房で時代を感じる車体とミュージックホーンの組み合わせは、何となく不思議な感じでした。
土居下駅近くの踏切を通過するク2323。
後方に見えるのが、柳原通商店街のアーケードですが、地下化に伴い、この辺りの光景も全く変わってしまいました。
特急運転で、モ900形とコンビを組んでいますが、元は別々の形式ですから、凸凹コンビのような趣きです。
なお、ク2320形は特急仕様にならなかった車両もありました。モ900形は全車改造されましたけど。
いずれも1973年2月撮影。
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名古屋市電・花電車3 (沢上車庫)
昨日、一昨日に引き続き、花電車の写真です。
予定の運行を終えた花電車が車庫に戻ってきます。
入り口では近所の子供たちが、その様子を見に集まってきます。
集まってくるのは子供だけでなく大人も同様です。
車庫に停車した花電車の周りを見物客が囲みます。
小さい子が電車の前面を覗いて、レールに触っています。
今なら、こんなに近くに寄る事すら出来ないでしょうが、当時は大らかというか何というか、車庫内に入っても咎める人はいません。
逆に、子供がはしゃいで転んでケガをしても誰も文句は言いません。
今のように、自己責任を棚上げして、何でも管理責任を問うような風潮が、親しみやすさを失わせた原因だと思っています。
暗い車庫(といっても露天ですが)も、花電車が停まっていると明るいです。
出発時間が来て、花電車はまた街へ繰り出して行きました。
いずれも1972年10月、沢上車庫及び付近で撮影。
予定の運行を終えた花電車が車庫に戻ってきます。
入り口では近所の子供たちが、その様子を見に集まってきます。
集まってくるのは子供だけでなく大人も同様です。
車庫に停車した花電車の周りを見物客が囲みます。
小さい子が電車の前面を覗いて、レールに触っています。
今なら、こんなに近くに寄る事すら出来ないでしょうが、当時は大らかというか何というか、車庫内に入っても咎める人はいません。
逆に、子供がはしゃいで転んでケガをしても誰も文句は言いません。
今のように、自己責任を棚上げして、何でも管理責任を問うような風潮が、親しみやすさを失わせた原因だと思っています。
暗い車庫(といっても露天ですが)も、花電車が停まっていると明るいです。
出発時間が来て、花電車はまた街へ繰り出して行きました。
いずれも1972年10月、沢上車庫及び付近で撮影。
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