新聞小説 「ひこばえ」(18) 7/31(412)~8/20(431)
作:重松 清 画:川上 和生
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感想
思いのほか後藤さんの好感度が上がってしまいビックリ。
それならそれで、もう少し救いのある表現で描けばいいものを、本当にダメ人間として書いといてそらーないわ。
そうにしても、こうやって関係のみんなが後藤さんに好意的になってしまうと、次に後藤さんが息子の将也さんと対峙する時にどうなるのか、その伏線がこれから始まるのか・・・
それから本章の題名の「私は今日まで」が拓郎の話だとは思いもしなかった。
まあ川端さんが75歳で、拓郎が73歳だから同年代と言えば言えるが、ちょっと違和感がある。
こんな話のひきあいに出されて、彼も迷惑な事だろう・・・・
この歌は、あくまでもドメスティックな話であり、人に対する思いなんてこれっぽっちもない(当時さっぱり判らないと酷評されてるし)
そもそも拓郎という人間は「沢田研二」になりたかっただけの男であり、歌に高尚なものなど求めていない。
古舘伊知郎とのトークや、フォークジャンボリーの特集などでも明らか。
しかしこの一人称としての洋一郎、等身大はいいけど、なんかクソつまんない人間。
やっぱ一人称は失敗かな?
あらすじ
第十七章 私は今日まで 1~19
「ハーヴェスト多摩」での自分史教室は、三十名近い参加者で盛況だった。だが後藤さんの事が気がかりな洋一郎。
今は川端さんに任せきり。いずれ判る事だから、と後藤さんに週刊誌を読ませた川端さん。力なく笑うだけだったという。
そんな後藤さんから、今朝自分史教室に参加したいとの電話があった時は、さすがにリスクが大きすぎて断った洋一郎だが、その後悔が今になって蘇える。
真知子さんに、自分史の個人授業を頼めないか、と後藤さんのいきさつを全て話す洋一郎。将也さんのスキャンダルは知っていたが、その関係者が近い所に居るのを知り驚く真知子さん。
おおいに乗り気の真知子さん。
実は馬場町の小雪さんからも頼まれているという。
一方、後藤さんは川端さんの夫が経営する観光農園に誘われて、そこの手伝いをしていた。
夏休みに始まる、流しそうめんのための設備設置。
十数台もあるけっこうな作業をこなした後藤さん。
後で試運転を兼ねた試食を楽しんだという。
そんな話を聞きながら、後藤さんへの自分史教室の件を話すと、歓迎してくれた川端さんは、これからバーベキューをやるからみんなで来なさいと誘う。喜ぶ真知子さん。
午後から半休を取って出掛ける洋一郎。本社からは大手町案件だからという強い指示。
電車で真知子さんと向かいながら、神田さんの動向を伝えると「神田さんも呼びません?」 そしてさっさとショートメールを打ってしまう。
道中、小雪さんの話も聞いた。次の日曜にエピソード作りで皆が集まってくれるという。現役の人間ばかりという事を讃える真知子さん。
ただ、彼らの中に身内がいない。
もし子供がいたら、と思いかけて「宏子と洋一郎以外に子供を持つ気はない」という父の話を小雪さんから聞かされたことを思い出す洋一郎。
日曜の、その集まりに骨箱を持って参加したいという洋一郎。
小雪さんに会わせる意味もあった。
「だったら後藤さんもどうですか?」と真知子さん。
観光農園に着いた洋一郎と真知子さん。後藤さんは、バーベキュー広場で、そこの椅子とテーブルの水洗いをしていた。
何かやりたいと言って始めた仕事。
窓越しにその姿を見ながら、いっとき老人の「生き甲斐」談義。
「悠々自適」は難しい・・・・ 歳を取って枯れるという例えを、真知子さんは干物の話にしてしまう無神経。
後藤さんの話をする川端さん。仕事を手伝ってくれている時の彼は、本当に楽しそう。もう何年も誰かのために動いたことなどなかった。
誰からも「ありがとう」と言われる事のない日々。
仕事を終えて来た後藤さんは、言われるままシャワーを浴びに行った。初対面にも関わらず後藤さんに話しかける真知子さん。
そんな時に神田さんからの電話。
真知子さんの気楽なメールに腹を立てつつも、こちらに向かっていた。どうしても車に載せて来たいものがあるという。
到着した神田さんが荷台から出したのは七夕の笹。短冊も百枚ある。
神田さんの言うには、昔の願いごとも含め、全部書いちゃえという事らしい。ここに居る五人に各二十枚のノルマ。
洋一郎、川端さん、真知子さん、神田さんそれぞれの価値観が短冊から垣間見える。
そして後藤さんはといえば「とにかく元気で生まれてくれ」に始まる将也さんの事ばかり。ひどい難産で命の危険もあったらしい。
ひ弱な子だったが、勉強が出来たので塾に通わせるうちにめきめきと成績アップ。そして東大現役合格し、上場企業に就職。
その一方で後藤さんの証券会社は廃業・・・・
神田さんが、年長者に配慮しつつも「七夕の願い事は全部息子さんの事なのか?」と聞く。
親バカと判っていても応援してやりたい、と後藤さん。そんな姿を見て真知子さんが「私が息子さんだったらマジ、嬉しいです」
川端さんも同じく「私は今日まで生きてみました・・・・よね?」とメロディーを付けて言う。
吉田拓郎の「今日までそして明日から」の歌詞。
神田さんも曲の歌詞を繰り返して「その「誰か」が息子さんか、それ、いいよな」と肉を焼きながら涙ぐむ。
だが後藤さんが、余った短冊をもらって「マサくんに迷惑をかけずに死にたい」と書いた時に、それは違う、と神田さん。
面倒と迷惑は違う。家族ってのは面倒で手間暇がかかる。
また真知子さんの干物ばなし・・・
それを引き取って川端さんが「胸を張って面倒くさい事をやってもらいましょうよ」
駅伝に例え、中継所でタスキを渡してぶっ倒れても抱き抱えてもらえる、と言う神田さん。
まったくそのとおり、と思いながら短冊を笹に吊るす洋一郎。
そして最後に残っていた短冊三枚に書いた。
「おふくろが長生きしますように」
「姉貴がいつまでも元気でいますように」
「親父が安らかに眠れますように」