私のこと 2025年1月「私、〇〇始めます!」
このブログは中学3年生から拒食症になった娘のことを振り返りながら書いています。振り返り投稿が現在に追いついていませんが娘は今大学4年生になり拒食症を手放しました。そして私は、2024年12月で会社を退職、今年2025年から新たな一歩を歩きはじめます。それは…私の思いや経緯をお話しさせていただきブログの最後に発表させてください。少しおつきあいくださると嬉しいです♪ブログをずっと読んでくださっている方は経緯をご存じかもしれませんが読んでいらっしゃらない方に説明いたします。詳しくは中3当時から経過をアップしていますので『娘のこと 中3夏休み』こんにちは。拒食症の娘について、少しずつ書いていきます。今高校3年、受験生の娘は、3年半前中3の5月末から急に食べなくなりました。バレー部に所属していた娘、い…ameblo.jpご覧ください私の娘は中学3年の5月に拒食症になりました。ちょうど、部活を引退し受験を意識しはじめた頃でした。食べなくなるだけでなく何かにとりつかれたように勉強するようになり、もっと勉強しなきゃ!と言って寝なくなりました。親としては心配しますよね。病気かな?と思いながら認めたくなくて怖くて、怖くて心配するだけの日々でした。娘は病気と認めない、病院に行きたくないと拒否する。やっとつながった病院…(受診できたのは11月末でした)そこではこの病気(拒食症)になったらこんな弊害があるよ、将来大変なんだよ、と恐怖を伝えられました。私も、娘もさらに不安になりました。何も希望が見えない怖かったどうしようもなく怖かったでも、娘を治すために私は頑張りました。よくなるためにできることを探したり環境をよくしようと家を快適にしたり親が元気でいようと明るく振舞ったり頑張り続けました。中3の受験直前病院から、「体重増えるまでは学校へ行ってはダメ」と2,3カ月くらい登校が禁止されました。認知行動療法の手法です。娘は高校へ行きたいためだけに高1の5月に一時的に体重を増やしました。食べて体重を増やした娘に私は安心しました。そこから私への暴言と私への執着がひどくなりました。「お母さんのせいで人生台無し!」「お母さんなんてくそつまんない人生!」そして一緒にお風呂に入る一緒に寝る買い物も一緒何かあるたびにLINEを送ってくるどっちがいいかな?と決められない仕事をしていたので心身ともに参りました。でも私が耐えればここで私が頑張れば娘の病気はよくなるはずだって娘は病院に通院しているから…私は拒食症は病院で治してもらうものだと思っていました。私は生活のサポートをするだけそう信じていました。しかし、私の頑張りむなしく娘は高1の12月から再び拒食症の渦に飲み込まれました。そこからの体重減少は急激でした。娘の再度の体重減少拒食症の再発私はもう頑張ることができなくなりました。その当時の記憶があまりありません。辛かったこと一人泣いていたこと不安で夜眠れずにいたこと私の何がいけなかったんだろう?と自分を責める日々が続きました。そばで一緒に寝ている娘が息をしているか心配で何度も触って確認したこと今思い出しても涙が出てきます。3つ下の当時中1だった息子も家が揺れる程の全身で咳をしていました。ストレス性の咳でした。「学校行きたくない、行くくらいなら死んだほうがいい」と息子も辛く、いっぱいいっぱいでした。娘を生かすため娘の対応に追われ息子も気にかけ仕事もし私はどうやって生きていたのでしょう?ずっと子どものことで気が張っていたので休みの日は起き上がれなかった私自身、未来に希望はなかったし正直死んでもいいと思っていました。そして高校2年の5月この頃の娘は歩くのもやっとでした。普通の生活がやっとだったある日中間テストが終わった解放感からか1日中ハイテンションで夜中に寝ない夜中に「みんな起きて~!」と叫ぶ日中は同じ会話の繰り返し「今の病院では治らないから別の病院に行く」「学校行って部活やって帰ることがしたい」「中学は勉強と部活頑張った」「高校は病気」「今日が何日か知らない」明らかにおかしいと思って病院を受診した時には娘は自分の名前も家族もわからなくなっていました。意識障害救急車で運ばれICUに入りました。やせ細った娘お医者様からは「どうしてこんな体重になるまで」「今夜が山場です」こんな言葉、まさか聞くなんて私はどこで何を間違ったんだろう?とその夜は恐怖と後悔で眠れませんでした。娘はいろんな臓器が機能していなく熱もありましたお医者様からは「以前のような生活はできないかもしれません」とも言われました。そこから娘は8日間眠り続けました。意識が戻り、次は摂食障害の回復のプログラムがあるという専門病院に転院して3か月入院しました。3か月かけて体重は回復してきました。摂食障害の病気も勉強してきました。病院で友だちもできました。都内では有名な専門病院に3か月入院し高2の8月のお盆明けに退院しました。これで治るんだ!治ったんだ!これで安心だ!そう思った私でした。でも、退院してきた娘は以前と変わっていませんでした。そんなとき赤松史子さんの講座を見つけたのです!赤松史子さんは娘さんの摂食障害をご自身で完治され、その手法で多くの方が病気を克服されているカリスマカウンセラー。講座には興味ないけど病気を治したことがある人に会ってみたい!その一心で講座説明会に行きました!退院してすぐ、娘が高2、2019年の9月のことでした。そこで赤松史子さんはこうおっしゃいました。この病気(摂食障害)は娘の病気ではなくお母さまの生きづらさを娘さんが病気を通して表しているそしてその病院で治った人はいますか?私は治し方を知っています!この一言で私はこの講座の受講をきめました。赤松史子さんのブログは読んだことがあったのでわかったつもりではいましたがどこか病院で治してもうおうと他人事だったと思います。拒食症の再発を経験し病院では治らないとわかった私は私が治す!と決め、赤松史子さんの講座を受講しました。受講は2019年11月。そこから5年経ち、娘は今、大学4年生になりました。病気も手放しました。一人暮らしをして、毎日遊び歩いています。この学びを、とにかく実行していったことで今の私があります。この私の辛かった経験絶望を感じた経験毎日頑張った経験そして、そんな中から元気になった経験から今、昔の私のように苦しんで辛い思いをされているお母さまたちの力になりたい!そう思うようになりました。ということで2025年1月「私、カウンセラー始めます!」半歩先の未来を描く一歩踏み出す元気はなくとも一歩踏み出す勇気は持てなくとも半歩ならそんなお母さまたちの未来を、明日を笑顔にできたらと思います。まずはお話を聞いてみたい方カウンセリングを受けてみたいという方無料相談受付中です!フォーム作りました♪こちらからご連絡ください悩みを話して(書いて)みてください。こちらからもつながります♪メッセージ送ってください。私のこの経験が今苦しみの中にいらっしゃる誰かのチカラになりますように。そして何より、ミライの私のチカラになりますように。こちらの相談フォームまたはLINEにメッセージください。講座も開講準備中です