このブログは中学3年生から拒食症になった娘のことを振り返りながら書いています。
娘は高1の5月に体重は回復し、一時は高校生活を送っていましたが、高1の12月から再び拒食症の渦に飲み込まれ、さらにさらに体重減少。
高2の5月、体重減少から意識障害で救急搬送され、3か月入院し、8月に退院しました。
高2の8月退院後、体重は増減しながらあまり変わらず高校3年を過ごしました。

そして、今は大学生になり、大学生になってからのことを書いていきます。
☆☆☆

大学生になった娘。

大学1年の秋、後期授業の頃の娘を振り返ります。


ある日、大学の課題提出用の紙切れがなくなりました。

どんなものか、娘本人しかわかりません。


なくなった〜!

どこにやった〜?


と大騒ぎ。


お母さんが片付けたんじゃないか

お父さんが捨てたんじゃないか


自分が整理しなかったからなんだけど、

とにかく人のせい

いつも、私か夫を責めてましたね〜。


どうして私を責めるんだろ?

と思ったけど…


その、人を責めてるのは

私。


これがなかなか受け入れられなかった。

受け入れたくなかった。

(今は、わかる。)


また、この頃は

コロナ禍ということ、摂食障害の病気もあり、

私にべったり気味だった。


よく、都内のカフェなど一緒に言ってたな。


ある日、

近所の飲み屋さんに私と、夫の妹(叔母さん)と

3人で食事に行った。


ここで、

家の文句、

家族への不満

お父さん大嫌い

等々

もう言いたい放題だった。


そんな感じで

この頃の娘は

とにかく怒り気味

人を責めていた。


怒りが良いか悪いかは別にして

(その頃は怒りはいけないものと思ってた)

今振り返ってみれば、娘の感情が

態度ではなく、言葉で出てきた頃ではないかな?

と感じてる。


昔、病気が酷かった頃は

とにかく自分を責めてた。

言葉で責めるうえに、

自分の頭を叩いたり、

怒って壁を叩いたり、

部屋のドアをバタン!と強く締めたり

娘の怒りを

言葉でなく態度で表してました。


そんな娘の態度


なんなの〜〜!

って思うけど、

これも私です。




さてさて、

この頃のトピック!


原作を読んでて、石原さとみ好きだからと

映画「そして、バトンは渡された」

を娘と観に行きました。



普段、ドラマや映画を観て泣かない娘ですが、

娘、「少し泣けた」と

私なんてもちろん号泣でしたが、

すごいよ、この映画!

娘にとって初泣いた映画!


少しずつ娘の感情が出てきたんでしょうね。



それは…

私、この頃、怒りがたまりすぎて、

週一くらいで、カラオケBOX行って、

怒りを吐き出して叫んでましたから…。


やはり親子は鏡なんでしょうかね。

娘も少しずつ、言葉で怒りを出せるように

なってきました。



ある日、カラオケBOXに行ったとき、


「いいかげんにしろ!」と叫びたくて

音楽にのせて叫びたくなり

中森明菜さんの「1/2の神話」をリクエストし

マイクもって叫びました。


いいかげんにして〜〜〜!!



かなりすっきりしました。


私の怒りはいつまで続くのか

娘は一体どんな大学生活を送ることになるのか

続きはまた次回。



私のこの経験が、誰かのチカラになりますように。

何より、ミライの私のチカラになりますように。



私とコンタクトをとってみたいなというかた!

とにかくいまある悩みを話して(書いて)みてください。

 (すぐに返信、ご連絡できないかもしれませんが)

 

こちらからつながります♪

友だち追加


メッセージかスタンプを送ってくれたら嬉しいです。