僕たちは、以下の3つのステップが起こり、苦しめる(本当は苦しみは存在しない)。
①思考の盲信
「いいこと/悪いこと」があると学習し、それを盲信する。
②思考の盲信が原因で一部の感情を抑圧する
「いいこと/悪いこと」があると学習。
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「いい感情/悪い感情」があると信じ、自分が一方的に「いいものに分類した感情」を歓迎し、「悪いものに分類した感情」を避けるようになった。
「悪い感情」抑圧するようになった。
③感情に「いいもの/悪いもの」はないため、自分の一方的な分類に関係なく、それらは自然に起こる。
「悪いと分類した感情を避けたい」のに、それが起こるから、苦しい。
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だから、目覚めはこの逆で起こる (目覚めの3ステップ)。
①感情には「いいもの/悪いもの」はないとわかる、あるいはこれを意識的に受け入れていく。
②過去の抑圧した感情を感じられるようになる。過去の抑圧した感情が解放されていく。
③もともと「いいもの/悪いもの」はなかったとわかる。
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だけど、この目覚めを妨害するものがある。
幼少期にできた親に対する「愛情欲求」と「見捨てられる恐怖」だ。
誕生後しばらくの期間、僕たちは自分の力だけでは生きられない、親の助けがなければ生きられない「か弱い存在」だった。
このころに「親の教え」を学びはじめるため、「親の教え」に従わないと生き延びられないと学習した。
僕たちは、「親に従わない=死」と学習しているのだ。
これが、意識の届かないところから僕たちを支配している。
このため、「親の教えの虚偽を見破りそう」になると、「死の恐怖」におそわれ、この秘密に近づくことを「無自覚に避ける」ようプログラミングされているのだ。
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思考観察を教えていた数年間の経験によって、思考観察では、自分に対する支配力の弱い思考からは目覚められるが、より強いものには効果を得られにくいということがわかった。
これがわかった理由は、支配力の強い思考は、その人を感情的に支配するからだ。
僕たちは、思考に乗っ取られ、半分の感情を避けつづけるのだ。
いくら思考観察をしても「強く避けている感情を隠す思考」までは、アクセスできないのだ。
このため、思考観察だけでは、思考のウソからの目覚めを届けにくいことがわかった。
問題は、そこにある感情を無自覚に避けていることだった。
そこで、思考観察と感情解放(そこにある感情をそのまま感じること)を、合わせておこなうことをすすめた。
「感情解放」の方法は簡単だ。
感情に悪いものはない。
いま感じている感覚、感情を、ただそのまま感じるだけ。
「苦しい」のは、そこにある感情を、感じないように抑圧しているからだ。
過去にそれを「悪いもの」と学習し、いまも隠そうとするから、苦しいだけなのだ。
そのとき、「苦しい」なら、「苦しむ」。
そのとき、「恐い」なら、「恐れる」。
そのときの自分の感情を「避けない」、これだけ。
これが、先に書いた「目覚めの3ステップ」①の、感情には「いいもの/悪いもの」はないを「意識的に受け入れていく」方法だ。
だけど、最初はこれができない。
人生の前半にそれを悪いものと学習し、「避ける自動反応」ができているからだ。
これを無自覚に避けようとしているから苦しい。
自分が避けていることにさえ気づけない。
その後、多くの人を観察する機会がえられたおかげで、過去に悪いと学習した感情を感じると(あるいは、感じそうになっただけでも)恐怖が起こり(そこにある感情を感じること、つまり過去に悪いと学習した感情を隠さないことは、親に逆らうことになるため)、これが避けられ、これを避ける理由として思考観察が利用される傾向があることに気づいた。
多くの人は、「思考観察をしているから」といって「感情解放」を避ける傾向をあらわした。