人生の前半、意識は「現象世界」だけを、真実のすべてと錯覚した。
覚醒体験によって、今度は、「源世界」だけを真実のすべてと錯覚することが起こる。
どちらも、世界の半分しか認識できていない状態だ。
覚醒体験が去り、この人が自分の体験(悟りだと思っていた覚醒体験が去ったこと)を真摯に受け入れると、やがてコインの両面を生きられるようになる可能性がある。
僕はいま、この両面を生きている。
たとえ、もしも覚醒体験が起こり、それを悟りと錯覚してしまった場合でも、それが過ぎ去ったあと、自分の体験(覚醒体験がなくなった事実)に真摯に向き合い、自分のウソにとらわれなければ、誰にでもこの両方の世界を同時認識できるようになるはずだ。
では、覚醒体験がなければ、どうなのか?
過去に学習(「学ぶ→信じる」の盲信中」)したものを「自分で考える」ことで証左すればいいのだ。
「成長の過程で信じたこと」、「過去のブームで信じてしまった虚偽」に対して、「自分で考える」ことだ。
「私はいない」→本当に正しいか?→「私はいない」といいながら、その人がそこに「いる」のに?
どうして、こんなにもわかりきった虚偽を信じられたのだろうか?
自分で考えず、過去のやり方、「学ぶ→信じる」をしただけだからだ!
どうして僕たちは、「学ぶ→信じる」で、「自分で考える能力」を摘み取られたのか?
支配者側が、奴隷をつくるためだ!