中国語の漢字は一文字で多様な意味を持ち、それが日本の漢字と異なる点です。たとえばも色んな用法を持つ単語です。挨拶の请多关照「よろしくお願いします」、请坐「どうぞお座りください」、请进「お入りください」など敬語としてよく用いられます。春秋戦国時代末期(BC300年)に繁体字のが誕生し、左側のはその意味を表す文字、右側のは発音を表す文字を合わせた漢字です。簡体字ではと書きます。日本に伝来してから「要請,請負,請願」などと和製漢字が生まれました。
の語源を辿る
 左側の言の下にあるの文字は、神に祈る祝詞(のりと)を入れる箱を示し、その上に刃物を置いた象形文字です。神に祈祷する言葉に偽りがあれば、この刃物で刑罰を受けるという意味を持ちます。古代の意味は上位の人や目上の人に謁見し、敬語を使いお願いし、時には許しを請い、懇願のためお招きして接遇するなどです。現代中国語も同じように①求める②敬語③させる(してもらう) ④招聘するなど基本的に変わっていません。
请客の请は「おごる」の使役動詞
 一般には敬語の「どうぞ~ください」の英語pleaseのイメージを持ちます。でも请客がなぜ「おごる」の意味に結び付くのか違和感を覚えます。解明していくとは使役動詞の「させる=してもらう(③)」の働きを持っており、请客を敢えて使役文で書けば、我请你做客「私はあなたを客にさせます(なってもらう)」となり、省略されて请客となっています。他の例を挙げれば今天我请女朋友做晚饭(今日は彼女に晩御飯を作ってもらう)と「~してもらう」のニュアンスで使います。
 他方 请坐请喝茶などの请は使役動詞ではなく、敬語(②)の使い方です。目上の人や普段あまり会わない人に敬語のを使います。自分から所望する時は、请给我一杯茶(お茶を一杯下さい)とやはり敬語のを付けて丁寧に言います。
请假は一つに括られた離合詞
 会社で我今天身体不舒服。明天我想请一天假(今日は体調が悪いので,明日休暇をとりたいです)のように日常よく使います。この文例の请假(休暇をとる/もらう)も違和感を覚えます。このの使い方は、「求める①」の動詞に目的語のを付けた離合詞として南朝時代(AC500年頃)に誕生し、一つに結合した語句となっています。前述の使役文形式の「×我请你请假」に置き換えることはできません。请假は「動詞+名詞」の離合詞、この後に目的語を置けません。他に请假以外には请问,请教,请示,请求があります。この三つの語句は「動詞+動詞」で目的語を置ける普通の動詞です。请假も目的語を置くなら、请求假期请求放假なら文として成立します。他には他向医生请教病因(彼は医者に病因を教えていただく)など動詞の後ろに目的語を置けます。
►結言
 
漢字のを例に挙げて述べたことを纏めれば、中国語にも文法は存在するのですが、英語のように厳格なものでありません。英語は発音通りに記述する表音文字、中国語は漢字の一つひとつが、ある対象を総括する概念を表す表意文字です。中国語の漢字一つひとつが、多様な意味と用法を有します。したがい英語と同じような明瞭な文法体系ではないですが、中国語の文型として成立していればそれでいいのです。中国語の文章を作るには漢字一文字ずつをブロックのように繋げていきますが、基本文型や組合せの熟語(殆どが二文字熟語)を覚えることも大切なことです。

(写真:保定市名酒の広告看板)

 中国と日本において、同一漢字で用法が異なる漢字が多数あります。例えば见・看・会の動詞は、中日双方で用法が異なっており、中国語学習者を悩ませます。
の違い
 中国語のの字源は、「目」の下に儿を付け膝まずいて見る様子を表現しています。は、「目」の上に手をかざして遠くを見る様子を表しています。の状況・状態を見る所作から、名詞の面(顔)を繋げると「会う」と言う意味になります。见を用いた例文では初次见面(初めまして)、再见(さようなら)など、「会う」として用いられています。
 一方中国語のは、看电视(テレビを見る), 看见(見える)は「見る」の意味で用いられています。日本語の漢字「会」は「会う」ことを表し、を用いません。「看」は日本語では「世話をする、見守る」、中国語では「見る」の意味で使われます。このように同一漢字でも用法が異なります。
は臭いを嗅ぐ意味
 漢字から意味が想像できない漢字もあります。その一つが中国語のです。日本語では「聞く」の意味ですが、中国では「嗅ぐ」と言う意味です。春秋戦国時代末期(BC300年)の古文書に闻酒香(酒の香りを聞く)とあり、「嗅ぐ」と言う意味で使われ始めたようです。日本の酒造りや香道の世界では、今でも「香りを聞く」というこの優美な表現が残っています。
►「行く」の色んな言い方
 日本語の「行く」は、中国語では去・走・上・行の表現があります。例文を挙げると、我去公园(公園へ行く),我们走吧(行こう),我上街(街へ行く),行路(道を歩く)など、場面に応じて使い分けします。なお中国語のは、日本語では「走る」の意味ですが、中国では「歩く」の意味、走着去(歩いて行く)などと言います。奔走、逃走などの中国語の熟語には、当初の「走る」という意味が残っています。
►古代の意味を保持している日本語の漢字
 日本では中国から伝わった古来の伝統文化を今でも守り、既に中国で廃れてしまった文化・習慣も残っています。例えば、雅楽、茶道、身近なところでは和服、ひな祭りなどです。同じように中国語の漢字も、時代とともに意味・用法が変化しましたが、日本側では漢字の伝来当初の意味を保持しています。日本側の意味が、1600年前の漢字本来の意味に近くなっています。
 中国語の一文字の漢字も、複数の意味と用法が増え、動詞・名詞・量詞にも変化するなど、語法が複雑になりました。日本語での用い方はその一部を簡単な形で導入されています。今から1600年前、非常に高度な教養を持った人たちが、漢字の構成を分かり易い形に整理し、やまと言葉に合うように定着させたと推察されます。今まで述べたことを参考に见・看・会・闻・走の五文字を眺めれば、日本側の意味が漢字本来の象形的な原義に近いことが分かります。
 因みに中国語のは「眠い」の意味ですが、繁体字のを簡体字に変えた際、左辺の目を省きとしました。日本語の「困る」とは関係がありません。


 

 中国に滞在時 動詞の[lai2]において、本来の「来る」以外の使い方を度々耳にしました。は向こうからこちらへ「やって来る」の基本的な使い方以外に、「積極的にやる」と言う意思や「人に促す呼びかけ」あるいは「料理の注文」、加えて「方向補語」の用法を持つやっかいな動詞の一つです。
の語源を辿る
 語源を辿ると[lai2]は、たわわに実った麦を表す象形文字を表しています。と麦の文字の関係は、今から3300年前、文字を持たず、まだ口語でコミュニケーションしていた頃、「やって来る」と言う表現を“ライ”と発音していました。その頃「大麦」が中国に伝わり、食料問題が解消、感激して西アジアから大麦が「やって来た!」と大麦を同じ“ライ”(注1)と呼びました。その後、象形文字が発案され、麦が[lai2]を表す象形文字として用いられました。しかし時を経て、を同一文字で用いることは混同して不便であり、後に[mai4]と言う言葉が新たに誕生しました。この「来る」を意味するが、人の積極的意志を表す言葉を表し、以下のような言い方へ拡張していきます。
►積極的にやると言う意思表示
 来(去も同様の使い方)は、話し手が聞き手の場所へやって来ること、聞き手との距離を縮める積極性を表し、積極的な行動の含意を持ちます。の後ろに動詞を付けて積極的に「何かをやる」と言う用い方で表現します。例を挙げると你先洗澡,我来做饭(あなたが先にシャワー浴びて、私がご飯作るから)、我来吃饺子(さあ餃子を食べるぞ)、我来介绍一下(では私が紹介しましょう)、今天我来请客(今日は私がおごります)などがあります。その他の参考例として、你去买东西,我来收拾行李(君は買い物に行ってきて、ボクは荷物を片付けるから)の去も同様に積極性を表す用法として使います(本文では説明省略)
►人に促す呼びかけ
 同一場面で話し手と聞き手が存在、双方が共に認識し即時性の行動には、後続動詞を省略しで「する、やる、作る」として代用できます。例文として、你感冒了,我来洗衣服(あなた風邪引いてるから、私が洗濯するよ)の言い方を、你感冒了,我来,我来(あなた風邪引いてるから、私がやるよ)、你累了,我自己来(君は疲れてるから、自分でやるよ)と後続動詞を省略しても来のみで十分通じます。
 また、を「人を促す呼びかけ」に用いる例としては、来!我们干杯吧(さあ、乾杯しよう)、来来来!吃吧(さあさあ、食べて)などがあります。今でも来来来!を聞けば何かが始まると、当時の緊張感が浮かびます。これらは、来来!「おいでおいで」から派生した用法と推察されます。
►料理を注文する
 飲食店へ入ると服務員が、您来点什么?(何にしますか?)、我来一杯咖啡吧(コーヒーを下さい)、または再来一瓶啤酒(もう1本ビールを下さい)とを使います。また注文した料理が出て来ない時は、我点的菜还没来(頼んだ料理がまだ来ていません)と言えば通じるので、これらの事から、は「注文する」と「来る」の両方の意味合いを持つと考えられます。宴会でホスト役になれば、服務員から、现在点菜吗?(ご注文しますか)と必ず問いかけされます。は「調べる」と言う意味を持ち、会食などで菜单(メニュー)を見ながら料理を選んで注文する場面の言い方です。
 中国語を学習すれば、日本語の意味からは想像できない用例に出会います。今から1600年前、日本で選抜された優秀な留学僧達が、中国から漢字を日本へ持ち帰り、彼らが基本的用法を伝達しました。ただ漢字の派生的な用法については、伝承が難しかった何か理由があり、は「来る」と言う基本の意味だけが定着したと想像できます。私たちは電子辞書で整理配列された記述を丸暗記せざるを得ませんが、漢字の語源を知ることにより、中国語の理解が一層深まると考えます。注1)古代では麦を“ライ麦”と言いましたが、ライ麦と来の“ライ”の同一性はまだ未解明です。(写真:麦は来を表す象形文字の変遷)


 

 動詞のを使うことが多いですが、は色んな使い方がある悩ましい単語の一つです。身近な使い方として、乒乓球(卓球をする)、招呼(挨拶をする)変わったところで铅笔(1ダースの鉛筆)などは、それぞれの関連付はないですが無意識に覚えていると思います。面白いことに日本語での語源の由来を利用した造語があり、日常使われています。打ち合せ(打楽器を打って合わせる)、打ち消す打ち込む打算的など、これらの造語は中国語にはありません。中国語のは、叩くと言う語源を持つ象形文字です。

 篆書体では左辺のは片手で叩く動作を表し、右辺のは釘の形、つまり釘を外力で物体に突き刺すことを示しています。元々の意味合いから来る(杭を打つ)、(太鼓を叩く)、(火打ち石で火を起こす)、(注射をする)などは、叩くや突き刺すと言う語源の意味に沿っているので覚え易い言葉です。手の動作から派生した言葉が他にもたくさんあります。電子辞書は語源に由来する用途の説明に乏しく、中国情報ネットで単語の本来の形や意味から、派生する使い方を調査してみました。
一番目の使い方:スポーツはで表現することが多いです。网球篮球排球太极拳棒球などは良く知られています。を使わないスポーツもあります。それは手を使わないサッカーで、足球[ti1zu2qiu2]と言います。手を使う動作について、を用いると考えれば覚え易いです。他にも毛衣(セーターを編む)、(開ける)、(コピー)、雨伞(傘を差す)、灯笼(ちょうちんを掲げる)、打车(注1)(タクシーを拾う)などは、手を使う動作から派生しています。その他には(掃除する)、(包装する)、(魚を捕る)、(水を汲む)、游戏(ゲームをする)などの動作も手の動作によってもたらされています。成程と思わせるのは、苹果(リンゴをむく)、咖啡(コーヒーを入れる)などです。
 の使い方の難しい点は、手を使わないアクションにもが使用されることです。中国語学習者にとって、悩ましい点を以下に紹介します。
二番目の使い方:使い方が[zuo4]に近く短期間に具体的なアクションを示したい場合。例え

      ば、(喧嘩する)、(アルバイトをする)、(着飾る)、(じろじろ見る)

      (する積りである)などがあります。
三番目の使い方:努力や労働で獲得する活動の場合。(切符を買う)、(値引きする)、

  打(問い合わせする)などがあります。
四番目の使い方:自然界の現象や人々の行動が外に向かって発出する場合。(雷が鳴る)、

  打(稲光がする)、打了(茶碗が割れた)、电话(電話を掛ける)などです。日本語で

     もかつて「電報をつ」との言い方がありました。
五番目の使い方:人から発せられた特定の行動。喷嚏(くしゃみをする)、盹儿(居眠りをす

  る)、(邪魔をする)などがあります。
 上記で挙げた単語は元来 手でするある種の動作であったものと推察されます。例えばは手で折る動作の意味から、長い商品を折って短くすることで値引くと言う意味合いになったと考えられ、打算も計算用具の(長方形の小さい木片)と手でするある動作を結び付けたと想像できます。
 これまで述べたように打の日本語の意味からは、想像できない色んな用法がまだ沢山あります。すべてを丸暗記する必要はありませんが、語源から来る由来に基づく使い方を知っておくと覚え易いでしょう。(注1)打车は手を振る行動から派生しています。
(写真左:陕西省郑州市小学校での販売実習、写真右:小学一年生の感想文)


 

 河北省保定市へ出張した夜、取引先から「今晩は保定の名物料理を食べに行きましょうか」とお誘いがありました。中国の食文化は多種多様で長い歴史を持っています。中国の地方には独自の料理があり、旅先で当地の名物料理を味わうのも楽しみの一つです。保定市名物はロバの肉をパンに挟んだ驴肉火烧[lv2rou4huo3shao1](ロババーガー)が有名です。
 馬は農耕にとって貴重な労力ですが、戦場で使える武器ともなります。皇帝が暮らす首都北京と保定市は、距離的に近く首都を外敵の侵攻から守るため、かつて馬の飼育は禁止されロバしか飼うことができませんでした。その関係でロババーガーやロバの焼肉などのロバ料理が発展し、保定市には驴肉烧肉饭店[lv2rou4fan4dian4]が沢山あります。日本ではロバ肉の食習慣がないので、ロバと聞くと怪訝そうな顔をします。でも実は熊本の馬肉が美味しいように、同じウマ属のロバ肉も美味しいのです。中国では天上龙肉地上驴肉[tian1shang4long2rou4di4shang4rou4]、「天国には龍の肉があり、地上にはロバ肉がある」と言う俗語があります。よく似た俗語として天上有天堂地下有苏杭、「上には天国があり、下には蘇州と杭州がある」と言うように、良いものを強調する時に最上位のものに引っ掛けた言い方をします。
 ロバ肉は牛肉のように柔らかくて、魚肉のようにサクサクした食感、臭みもなく美味しいです。西安市ではロバ肉の「塩漬け」が有名で旅行者は必ず買って帰ります。ビールのつまみに良く合います。数年前、保定市で大気汚染が酷くなった時期、市内へのトラックの進入が全面禁止されました。そこで久々にロバ車が復活しました。ロバは気分屋の頑固者で自分が気に入らなければ働こうとせず、豚や牛のようにおとなしくないと車夫は言っていました。
 ロバ肉バーガーに使われるパンは、烧饼[shao1bing]と呼ばれ、小麦粉を練って表面をカリカリに焼きます。ちょうどピザパンをさらにカリカリに焼き上げたようなもので、このカリカリとロバ肉のサクサクの食感こそがロババーガーの売りです。調理人が食べる直前に味を付けたロバ肉を細かく刻んでパンに挟んでくれます。初めから刻んでおけば良よさそうなものですが、食べる直前に刻むのは何か理由がありそうです。保定名物の驴肉火烧は、西安名物の肉夹馍[rou3jia1mo2]に良く似ていますが、肉夹馍は羊肉をパンに挟んでいます。食べると手指が油でジトジトになります。ロババーガーを食べに保定市まで足を延ばすのはなかなか大変ですが、陕西省西安市へ旅行する機会があれば少数民族が暮らす回民街をぜひ訪ねて名物の肉夹馍を味わって下さい。
(レストランHP写真より借用しました、左:保定市闫家驴肉老店の驴肉火烧、右:西安市刘嫂肉夹馍店の肉夹馍)


 

 中国で生活していて、「これは便利!」と思ったモノが沢山ありました。最も便利なモノはスマホ決済です。中国の代表的なスマホ決済としてwe chat pay支付宝があります。市民生活に浸透しており、なんと路上で野菜・果物を販売している露店や行商人への支払いもスマホ決済、果ては個人間で送金ができ少々驚きました。スマホ決済は日本でも徐々に増えていますが、普及率はそれほど高くありません。日本よりもっと早い時期に、スマホによるタクシーの呼び出し、鉄道・飛行機のチケット予約もできました。本当に便利になっています。
 私が中国へ赴任した2013年頃、「今日の天気はどう?」と聞くと、同僚は「あと何時間後に雨が降りますよ!」と教えてくれました。中国人はどうして雨の降る時刻まで分かるのかなと不思議に思っていました。日本では雨雲レーダーが利用出来るようになったのは最近ですが、当時 中国ではローカルエリアの時間刻みの雨情報を得ることができました。
次に阿里巴巴(アリババ)の通販ネットです。中国では一般に夫婦共働きですので、日中の荷物の受取ができません。それで街角にコインロッカーのような受取用ロッカーを設置し、スマホで開錠信号を送って荷物を取り出すシステムが出来上がっています。日本でも最近見掛けるようになりましたが、中国が先行しています。そして扫马自行车(シェアサイクル)です。予め会員登録しておくと街角に置かれている自転車をスマホで開錠し乗ることができ、何処へ乗り捨てても自転車に搭載されているGPSを頼りに回収車で回収します。
 日本では漸く「マイナンバーカード」が普及し始めました。中国ではICチップ内蔵の次世代型身份证を全国民が保有しており、各種手続きでなくてはならないものになっています。2013年の着任時には、すでに銀行で預金通帳が無くネットバンクへ変わっていました。
このように中国ではICT(情報通信技術)が急速に進歩し、ライフスタイルが変わっています。この分野において、中国は日本より遥かに進歩しています。しかしながら、ICTが急激に進歩し、活用できる人は益々便利になりますが、高齢者など活用できない人にとっては益々不便になる「デジタル格差」と呼ばれる社会問題が発生しています。
 手軽な乗り物では电动自行车(電動自転車)が便利です。日本のアシスト機能付自転車でなくて、原付オートバイと同じ乗り物です。免許が不要で法律上は歩行者と同じ扱いです。1回の充電で40km程度走れ、かなりスピードも出るので広い中国大陸では重宝な乗り物、爆発的に普及しました。かつては自転車の洪水、今や電動自転車の洪水です。しかしバッテリーが突然発火する現象が発生しその対応に追われています。道路には立派な自行车专用(自転車専用道)が設置され安全に走行ができます。道路には自転車専用道が設置され、車一台が悠々に走行できるほどの幅があります。国土が広いので羨ましいです。
 日用品では雨具の「ポンチョ」が便利です。雨が降れば上から簡単に着ることができ、下が開いていますので蒸れることもありません。日本でも最近チラホラ見掛けるようになりました。
冬の季節は足首までスッポリ包み込む「防寒スリッパ」が重宝します。足首まですっぽり覆うのでとても暖かいです。公園に行けば「健康道具」が設置されており、手軽にストレッチ体操ができます。健康道具だけでなく、卓球台・将棋盤まであります。そして「広場舞い」ができる広いスペースがあり、皆で音楽に合わせて踊っています。
 前段で述べましたが、諸外国に比べて日本のICTの普及は遅れていると言われています。ようやく政府はデジタル庁を創設し普及に本腰を入れ始めたようです。
(写真左:電動自転車、写真中:ポンチョ、写真右:防寒スリッパ)

 日本でレストランに入って料理を注文したい時、「すみませ~ん」と言ってウエイトレスに注文します。中国では料理を注文したい時、日本語の「すみませ~ん」に相当する言い方として、服务员[fu2wu4yuan2]と言います。中国のレストランは大抵賑やかですから、普通に「フーウ・ユェン」と言っても気付いて貰えないでしょう。少し間延びさせて「フーウ・ユェ~~ン」と言うと日本語の「すみませ~~ん」のように声が良く通り、気付いてくれる筈です。食事が終わると日本のレストランでは勘定書きをテーブルの上に置いてくれます。中国の場合は会計カウンターまで歩いて行って支払いする所が多いです。会計カウンターでテーブル毎の料金を把握しています。「お勘定お願いします」は、中国では买单[mai3dan1]と言います。なお中国では割り勘と言う習慣がありませんから、目上、年長者、上司、またはその日誘った人が支払います。仲間同士の食事なら、いつも面子を意識し、払いたい男気のある者同士が会計カウンター前で揉めています。この時、私が払うからと言っても、先方がいやいやこちらで払うからと言われれば、日本人の場合は大抵そこで引き下がります。中国では簡単には引き下がってはいけません。3度も4度も強引に押し戻さなければなりません。時には気付かれないように隠れて先に支払いを済ませる人もいます。割り勘と言う習慣がないから、こうなってしまうのです。
 中国で初めて会社を訪問した時、大抵は一緒に食事でも如何ですかと誘われます。日本のように遠慮して辞退すると私と親しくなりたくないのかと勘繰られますので、遠慮の必要はありません。中国の人間関係において会食は重要な儀式、その為に街はレストランで溢れかえっています。
 中国では知り合いにご馳走になった時に、お呼ばれした側から「幾らでしたか?」と聞いても特に問題ありません。「安かったですね」は褒める言葉になりますが、「高かったですね」は値段の割に不味かったと言うことになりますので注意しましょう。また食事の後、お礼を言いますが翌朝や次に会った時に「この前はご馳走さまでした」と普通は言いません。言えばまたご馳走して下さいの意味になります。お礼は1回言えばそれで良いのです。別れの挨拶も同じです。一回別れの挨拶を言えば、日本人のように何度も振り返って「さよなら」と手を振りません。また、一度 家へ遊びに来て下さいと誘われれば、訪問しても問題ありません。本当に大喜びされます。
 日本語の「すみません」は便利な言葉で、謝罪や感謝そして依頼など色んな場面で用います。中国人は日本人が簡単に「すみません」と言うような用い方はしっくりしません。筆者の滞在中、对不起不好意思を聞くことが滅多にありませんでした。特に对不起は比較的重い言葉、自分の不手際や過ちを認めたことになり、謝罪を言葉だけでない形あるものを求められる時もあって、使い難いのです。レストランで料理を頼む時、「すみませ~ん」となぜ客が謝らないといけないのかすっきりしないのです。文化大革命で古き良き習慣を破壊していく中で、とうとう儒教の教えも否定した時期がありました。この謝りづらい感覚はその後遺症として残っており、今の中国っ子の悩みの一つだと思います。
 日中国交再開の交渉時、ある元総理が「多大のご迷惑を掛けました」と述べた挨拶を通訳者が很大的麻烦と通訳し、言葉が軽すぎると大揉めになったことがありました。中国語の麻烦は「面倒を掛けた」程度の軽い意味になりますので、国家間で共同声明を出すような重要な局面では、謝辞の言葉は国際的に通用する明確な表現が求められます。(写真:「サービスに満足できなければ無料」の案内を掲げた保定市内ファミリーレストラン)


 

 今年の清明节[qing1ming2jie2]は4月5日でした。この日は祭日で企業や官公庁はお休みとなります。清明节とは墓参りの日、故人やご先祖を敬う気持ちは中国も日本も変わりません。
  中国語で墓参りは扫墓[sao3mu4]と言い、漢字では墓を掃き清めると表しています。都市部では、郊外に公墓と呼ばれる共同墓地が整備されていますが、まだ公墓が整備されていない農村部では、まだまだ畑の一角に葬られるところが多く、高速道路を走ると畑に丸い盛り土が目に付きます。4月5日の夕暮れ時、河北省保定市の交差点では、いくつものお焚き上げの炎が目に付きます。亡くなった家族や祖先があの世でお金に困らないように、お金に似せて作った「紙銭」を燃やします。近年、大気汚染防止のため花火やバーベキューなどは禁止されましたが、この「紙銭」のお焚き上げは規制されていません。交差点のような十字路でお焚き上げを行う理由は、十字路は東西南北に通じ、どの方向からでも来ることができ、この世とあの世が交わる場所とされています。
 またこの日は多くの人が墓参りに訪れます。墓掃除をして花やお菓子、故人が好きだったお酒などを供えます。お参りする時、日本では墓前で手を合わせますが、中国では手は合わせず深々とおじぎを3回します。ひざまずいて額を地に付け3回拝礼するのも一般的なお参りのやり方です。
 実は清明节が制定されたのはまだ最近のことです。以前の当レポートで中国では1966~1976年の10年間に亘る「文化大革命」で伝統文化や文化財が破壊され、更には社会規範と行動様式、人々の道徳・倫理観も変えてしまったと述べました。この時期に清明节も祭日でなくなってしまいました。2007年に再び国定祭日に制定され、今では大切な節句として扱われています。

(写真左:十字路で紙銭を燃やす、写真右:屋台で売られている紙銭)