【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
原発事故10キロ圏内は車で遠くへ 屋内退避は汚染の恐れ
市民団体が防衛策


東海村臨界事故をきっかけに、環境NGO「日本子孫基金」(東京)は、独自に「原発事故防災マニュアル」を作成。会員向け冊子「食品と暮らしの安全」11月号に9ページにわたり掲載した。住民参加の防災訓練の実施などを盛り込んだ原子力防災新法の骨子を国がまとめたばかりだが、同基金では「市民は独自に防衛策をとる必要がある」としている。

原発問題に詳しい槌田敦名城大教授(熱物理学)が監修。今回の事故で現場から10キロ圏内の住人が屋内待機させられたことを受け「待機となると逃げられず、現場近くで放射能を浴び続ける。事故が起きたら、汚染源から遠く離れることが大切」と強調している。

逃げ方は、現場から10キロ圏内なら、屋内退避と指示される前に自動車で逃げる。渋滞したら、原則乗り捨てて歩いて逃げる。雨が降った場合、特に降り始めは危険なので、車内で待機する。
10-30キロ圏では風下から離れる。30キロ以上の場合は情報収集し、必要なら逃げる、としている。

被ばく対策として、皮膚や髪の外部被ばくは洗い流せるとしたうえで、(1)呼吸にはぬれタオルで口を覆い、何度も取り換える(2)飲食に気をつけ、ヨウ素131を吸収しないよう、ヨウ素を多く含むとろろ昆布などを早めに食べる(3)傷のある部分が外部に触れないようにする──などのポイントを挙げた。

科学技術庁の防災環境対策室では「避難により起きうる混乱や経済的な損失とのバランスもあり、予測被ばく線量が50ミリシーベルト以内なら屋内待避、という国の指針に立っているが、個人の考えに対し強制することはない」としている。

同基金の小若順一事務局長は「東海村では周辺住民にあらかじめヨウ素も配られていないし、情報の遅れが目立った。個々に関心を高め、対策をとる参考にしてほしい」と話している。

マニュアルは会員向け以外に4000部あり、送料込みで1000円。問い合わせは日本子孫基金=電03(5276)0256=へ。ファクス=03(5276)0259=でも受け付ける。

(中日新聞 1999/10/23)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
白血病を労災認定 原発労働で被ばく


原子力発電所での作業従事期間中に放射線被ばくで白血病になったとして労災申請していた茨城県日立市の電機メーカー下請け会社の男性作業員について、茨城労働基準局と日立労働基準監督署は14日までに、被ばくと白血病の因果関係認めて労災認定した。

同労基局によると、男性は1984年12月から97年1月まで約12年間、同県東海村の日本原子力発電東海発電所や中国電力島根原発、東京電力福島第1原発などで、原発施設内の機器や装置の点検作業に従事。98年9月に人間ドックで異常が見つかり、リンパ性白血病の診断を受け、同年末、日立労働基準監督署に労災申請していた。

労働省は被ばくによる白血病の認定基準について「放射線被ばく総量が、5ミリシーベルトに作業従事年数を掛けた数値を上回り、作業に従事し始めてから1年以降の発病が要件」としている。男性の12年間の被ばく総量は60ミリシーベルトを超え、作業に携わるようになって10年以上たってから発病していることから労災認定された。
労働省によると、原子力関連施設の労働者で放射線被ばくにより白血病皮膚障害、悪性リンパ腫(しゅ)にかかったとする労災申請はこれまで9件出されているが、認定されたのは今回を含め4件目。いずれも白血病という。

(共同通信 1999/10/14)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
さらに高い中性子線量判明 1時間10ミリシーベルト


東海村臨界事故で、臨界が続いていた10月1日午前零時から1時にかけ、ジェー・シー・オー(JCO)の敷地内で、最高で1時間に10ミリシーベルト以上の中性子線量が記録されていたことが15日、原子力安全委員会の事故調査委員会に報告された。
日本原子力研究所が車で移動しながら測定した。事故のあった転換試験棟から30-40メートル離れた地点で中性子線量が1時間あたり10ミリシーベルト、数メートルの地点では、さらに高く測定不能だった。ガンマ線も20ミリシーベルトと測定された。
これまで測定されたのは、敷地外で1時間あたり4.5ミリシーベルトの中性子線量が最高とされていた。(共同通信 1999/10/15)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
始まりは「即発臨界」制御不能な急激反応 一歩違えば汚染拡大


核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)東海事業所の臨界事故は、核分裂反応が極めて急激に進む「即発臨界」と呼ばれる現象から始まっていた可能性が高いことが13日、専門家のデータ分析で明らかになった。

即発臨界は、原子炉内で通常起きている臨界状態と違い、核分裂エネルギーが1000分の1秒単位という極めて短時間に放出され、人間による制御は不可能とされる。

ある専門家は「より危険な即発臨界まで起きてしまったのがショックだ。今回は幸い沈殿槽や配管に破損はなかったが、場合によっては壊れていた可能性もあり、試験棟や環境への汚染がさらに拡大した恐れもあった」と指摘している。

事故原因の究明や実態把握を目指している原子力安全委員会の事故調査委員会(委員長、吉川弘之・日本学術会議会長)もこうした事実に注目、さらに詳しく調べて事故の実像を明らかにしたい考えだ。

核分裂が連鎖的に起きる臨界には、連鎖反応が一気に進む即発臨界と、通常の原子炉内での反応のように放出エネルギーの増減が緩やかな「遅発臨界」の2種類がある。

原爆の核爆発は即発臨界で起きるが、今回の事故では、放出されたエネルギーの量も反応の速度も原爆とは比べものにならないほど小さかった。
専門家によると、即発臨界が起きていたことを示す大きな根拠は、現場から約1.7キロ離れた日本原子力研究所那珂研究所のモニターがとらえた、環境中の中性子量のデータ。

臨界発生直後とみられる9月30日午前10時35分すぎ、中性子の値が突然、通常の数十倍にまで跳ね上がった。1分単位でまとめているデータを秒単位で詳しく分析した結果でも中性子量の伸びは急激で、即発臨界である可能性が極めて高いとされた。

今回、臨界を起こしたウランは溶液だったため、核分裂が一定程度進んだところで溶液が膨張するなどして即発臨界はストップしたとみられる。その後は、JCO社員による懸命の冷却水抜き作業が行われるまでの約17時間、遅発臨界が続いていたとみられている。

(共同通信 1999/10/14)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
科学技術庁、JCO施設を7年間調査せず 問われる安全行政


茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所の臨界事故で、科学技術庁が施設への調査を7年前からまったくしていなかったことが8日、わかった。今回は、ウラン溶液をつくる際に許可を受けていないステンレス製のバケツを使うなど、違法な作業手順を記した「裏マニュアル」の存在が明らかになったうえ、それをも逸脱した作業がなされていた現実が浮かび上がった。ウラン加工施設への調査は、法的な義務づけのない「任意調査」だが、違法行為を見抜けなかった背景には、こうした監督体制の甘さがあったとみられ、安全行政のあり方が改めて問われそうだ。


施設調査の実態は、原子力安全委員会の事故調査委員会(委員長=吉川弘之・日本学術会議会長)がこの日開いた初会合で、明らかになった。
科技庁によると、JCOのようなウラン加工施設への調査は「保安規定順守状況調査」と呼ばれ、作業上の安全対策などを定めた保安規定が確実に守られているかどうかを確認するねらいがある。保安規定は、原子炉等規制法で科技庁長官への提出が義務づけられている。

調査では、科技庁の調査官が現地に出向いて、保安の実態が、提出された書類と違っていないかを確かめる。実際に工場内に立ち入り、作業の様子を見たり、安全教育や訓練がどのように実施されているかを点検したりする。


科技庁が事故調査委員会に提出した資料によると、この調査は、事故があった転換試験棟が操業を始めた1985年から92年までは、ほぼ年に1回のペースで実施されていた。ところが、92年11月の7回目の調査以降は、1度も行われていなかった。

科技庁は、東海村の核燃料サイクル開発機構(核燃機構)東海再処理施設の火災・爆発事故を受け、昨年4月から、核燃料施設が安全に運転されているかどうかを確かめる「運転管理専門官」を、核燃機構内に常駐させている。


これ以来、運転管理専門官はJCOの転換試験棟を2度、巡視したが、いずれも運転休止中で作業ぶりを見る機会はなかったという。


「保安規定順守状況調査」は法で義務づけられていないとはいえ、ウラン加工施設には原発のような定期点検の義務づけもない。このため、国にとって、施設完成後は、この調査が安全を確認するための事実上、唯一の手段だ。

7年間も調査しなかった理由について、科技庁は「地元の東海村には核燃機構という巨大な事業所があり、ほかの施設の点検まで手が回らなかったのではないか。これから実態を調査する」と説明している。

(共同通信 1999/10/09)


【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
中性子線、17時間も放射 原子力安全委に報告


東海村臨界事故で、事故が発生した先月30日午前から翌10月1日未明まで、約17時間にわたって臨界状態がほぼ継続、強い中性子線の放射が続き、その間、核分裂でできる放射性ガスが放出されていたことを示す現場近くの測定データを日本原子力研究所那珂研究所(茨城県那珂町)が7日、原子力安全委員会に報告した。

事故発生から終息までの中性子線などの連続的な推移が示されたのは初めて。
また科学技術庁は、事故があった転換試験棟以外の場所で被ばくした46人分の線量のデータを安全委員会に報告
した。一般人の被ばく許容限度の20倍を超える可能性があるケースも判明、次第に日本の原子力史上最悪の臨界事故の深刻な事態が浮き彫りになった

中性子線の測定データは現場からそれぞれ1.7キロ、2キロ離れた同研究所敷地内の2カ所の中性子線、ガンマ線モニターで得た。

中性子線は、発生直後の30日午前10時36分に、モニターの1つが1時間当たり0.26マイクロシーベルトと、直前に比べ数十倍強い中性子線を検出した。
通常考えられない高レベルのため原研は当初、ノイズと判断。同日午後になって科技庁に報告した。

2つのモニターは、その後も通常を上回る強さの中性子線を検出し続けたが、沈殿槽の冷却水を抜き取り始めた1日午前3時半ごろ、約17時間ぶりに低下し、平常値に戻った。

これは、冷却水が抜け始めるまで臨界状態が衰えずに中性子が周辺に出続けていたことを示している。

ガンマ線は、事故発生直後と午後4時すぎ、午後8時すぎ、午後11時すぎの計4回、高い数値で検出され、その間も平常時に比べ高めの状態が続いた。ガンマ線検出は、事故現場から放出された放射性ガスが変化した放射性物質が届いたためとみられる。

周辺の土壌などから見つかった放射性物質は、ウランの核分裂で直接できるヨウ素133のほか、放射性ガスのキセノンとクリプトンが変化してできるセシウム138、ストロンチウム91などだった。
科技庁は、見つかった放射性物質はいずれも極めて微量で、健康への心配はないとしている。

(共同通信 1999/10/07)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
現場近辺で放射性ヨウ素 茨城県が検出、と発表


茨城県の東海村臨界事故で、県生活環境部は7日、事故を起こした核燃料加工会社ジェー・シー・オー(JCO)敷地境界付近で放射性ヨウ素を検出したと発表した。放射性ヨウ素は自然界になく、事故によって外部に放出されたとみられる。

発表によると、JCOの敷地境界付近で5日に採取した雑草を調べ、1キロ当たり1.4-37ベクレルの放射能を持つヨウ素131を検出した。半減期が20時間と短いヨウ素133も1キロ中11-38ベクレル検出した。

事故現場から200-300メートル離れた場所でとったサツマイモからはヨウ素131は検出されなかったため、放射性ヨウ素は現場にごく近い場所にしか飛散しなかったと県はみている。
県は「検出された最大値でも野菜類の摂取制限値の50分の1で、食べたとしても健康への影響はない」と説明している。

(共同通信 1999/10/07)

昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
中性子線2キロ先まで 臨界事故の瞬間に観測


茨城県東海村の民間ウラン加工施設「ジェー・シー・オー(JCO)」東海事業所で起きた臨界事故の瞬間の9月30日午前10時36分、現場から約2キロ離れた日本原子力研究所(原研)那珂研究所=茨城県那珂町=で、通常はほとんど検出されない中性子線を一瞬、通常の数倍の強さで観測していたことが5日、わかった。1時間当たり0.数マイクロシーベルトで、この距離では健康に心配はない。事故発生時の中性子発生量はこれまで不明だった。このデータによって、事故の規模や周囲の住民の被ばく線量の推定が可能になる。

原研によると、中性子線はその後、通常の数割増し程度に減り、臨界状態が終息したとみられる10月1日に通常に下がった。

中性子の強さは発生源からの距離が半分になると4倍になるため、ピーク時に例えば10分の1の距離の200メートルでは100倍強い1時間当たり数十マイクロシーベルトになるが、中性子線量が通常の数倍だった時間は短時間だったため、この距離でも一般の人の年間線量限度1ミリシーベルトに比べると少ない。
原研、科学技術庁はデータを詳細に解析し、実際の中性子線の強さを推定したいとしている。

那珂研では、事故時にウランが核分裂して発生した放射性物質から放出されたとみられるガンマ線で、警報が鳴った。担当者が点検しに行った際には、既に通常値に戻っていた。このため、中性子線量の上昇にはしばらく気が付かなかったという。

(朝日新聞 1999/10/06)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
プルトニウムから撤退を 米で日本の原子力に不信感


【ワシントン5日共同】東海村臨界事故で安全を無視したずさんな作業が明らかになったことで、米民間シンクタンク、エネルギー環境研究所は5日、「日本は危険なプルトニウム利用から撤退すべきだ」との声明を発表、日本の原子力に対する不信感が米国内で高まってきた。

日本は、使用済み核燃料から取り出したプルトニウムを原発の燃料にするプルサーマルを推進。欧州から燃料を海上輸送したばかりだが、事故をきっかけに輸送経路沿岸国からも安全面で批判が高まりそうだ。

臨界事故について、同研究所は「日本の安全規制の緩みを示す」と指摘。

今回は約16キロのウランによる事故だったが、トン単位のウランやプルトニウムが使われる原発で事故があれば「汚染は朝鮮半島や中国にも広がる恐れがある」と分析、適切な安全監視ができないのにプルトニウム利用を進めるのは無責任と断じた。

別のシンクタンク、核管理研究所も、高速増殖炉原型炉用の燃料をつくる途中で事故が起きたことを重視。増殖炉開発を断念し、既存の原発の安全運転に専念すべきだと訴えた。

(共同通信 1999/10/06)

【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
JCO周辺土壌から、放射性ヨウ素検出


臨界事故を起こしたJCOの周辺から、自然界に存在しない放射性ヨウ素が検出された。京都大原子炉実験所の小出裕章助手(原子力工学)らが4日、土壌や植物から検出した。放射能濃度は、チェルノブイリ原発事故の際、厚生省が輸入食品の基準とした濃度の約10分の1。専門家は「体に重大な影響をもたらす値ではない」としているが、放射線でなく放射性物質そのものが地上に降り注いだことの証拠で、「科学技術庁などは、一刻も早く詳細な調査結果を公表するべきだ」と指摘している。

サンプルは同大学工学部の荻野晃也助手が事故2日後の今月2日、転換試験棟近くの敷地境界から道路を挟んだ地点のヨモギの葉と土壌から採取。小出助手が、放射能検出器で分析したところ、放射性物質のヨウ素131が1キログラム当たり23~55ベクレル検出された。放射性同位元素のヨウ素133も検出されている。

ヨウ素131は、ウランの核分裂反応に伴って生成する放射性物質で、半減期は約8日。チェルノブイリ原発事故の際は国際的にこの汚染が広がり、はるかに高濃度のものを体内に取り込んだ小児らが甲状腺(せん)がんになった。

同臨界事故では、これまで放射線量のレベルなどは公表されてきたが、事故によって生成された放射性物質の種類などは公表されていない。科学技術庁防災環境対策室は「放射性物質のデータはとりまとめ中で、いつ公表するかは分からない」としている。

検出されたヨウ素131の濃度は、自然界の土壌などにあるカリウム40の放射能濃度の約10分の1だが、性質から年間に摂取しても体に影響がないとされる限度は約10分の1と厳しく、小出助手は「カリウム40とほぼ同じ危険性と考えるべき」としている。


◇安斎育郎・立命館大国際関係学部教授(放射線防護学)

食品への影響がただちに大きな問題になるレベルではない。しかし、放射性物質そのものが拡散した証拠として、極めて重要だ。事故時に爆発のような状況になって飛び散ったことを示すのかもしれない。汚染の実態を国民に知らせるために、国のデータの公表が重要だ。

(毎日新聞 1999/10/05)