【昔から事故だらけの原発 1976年~の事故】
中性子線、17時間も放射 原子力安全委に報告


東海村臨界事故で、事故が発生した先月30日午前から翌10月1日未明まで、約17時間にわたって臨界状態がほぼ継続、強い中性子線の放射が続き、その間、核分裂でできる放射性ガスが放出されていたことを示す現場近くの測定データを日本原子力研究所那珂研究所(茨城県那珂町)が7日、原子力安全委員会に報告した。

事故発生から終息までの中性子線などの連続的な推移が示されたのは初めて。
また科学技術庁は、事故があった転換試験棟以外の場所で被ばくした46人分の線量のデータを安全委員会に報告
した。一般人の被ばく許容限度の20倍を超える可能性があるケースも判明、次第に日本の原子力史上最悪の臨界事故の深刻な事態が浮き彫りになった

中性子線の測定データは現場からそれぞれ1.7キロ、2キロ離れた同研究所敷地内の2カ所の中性子線、ガンマ線モニターで得た。

中性子線は、発生直後の30日午前10時36分に、モニターの1つが1時間当たり0.26マイクロシーベルトと、直前に比べ数十倍強い中性子線を検出した。
通常考えられない高レベルのため原研は当初、ノイズと判断。同日午後になって科技庁に報告した。

2つのモニターは、その後も通常を上回る強さの中性子線を検出し続けたが、沈殿槽の冷却水を抜き取り始めた1日午前3時半ごろ、約17時間ぶりに低下し、平常値に戻った。

これは、冷却水が抜け始めるまで臨界状態が衰えずに中性子が周辺に出続けていたことを示している。

ガンマ線は、事故発生直後と午後4時すぎ、午後8時すぎ、午後11時すぎの計4回、高い数値で検出され、その間も平常時に比べ高めの状態が続いた。ガンマ線検出は、事故現場から放出された放射性ガスが変化した放射性物質が届いたためとみられる。

周辺の土壌などから見つかった放射性物質は、ウランの核分裂で直接できるヨウ素133のほか、放射性ガスのキセノンとクリプトンが変化してできるセシウム138、ストロンチウム91などだった。
科技庁は、見つかった放射性物質はいずれも極めて微量で、健康への心配はないとしている。

(共同通信 1999/10/07)