北の京芦別モノレール 裏話3(廃線跡の記録4イベントより)
こちらは、オープン当時の新品の北の京芦別モノレールの写真。画像から大観音発着所で撮影されたものだ。何もかもが新しい。これは『廃線跡の記録4』が出版されたのちに、北の京芦別親善大使を勤めていた山下智博さんから提供していただいたものだ。山下さんには本当に感謝してもし足りない。この写真は当時北の京芦別が発行する納品書などにプレゼントとしてついていたものらしい。廃線イベントに出演していた友人のクロスケさんに言わせると、「この車両は千葉の谷津遊園で使われていたモノレールが、転属したものかも。谷津遊園のモノレールは、千葉の山万ユーカリが丘線のモノレールの試作車両だったという話もあって、構造が完全に一緒」。ということを話されていましたが、後日、北の京芦別の元経営者の方とお話しをすることができて、新しい事実が判明した。・製造は遊園地などの設備製造・企画などを行っている大阪の泉陽興業株式会社。・上記の写真は運航記念に撮影を行った写真で、納品書などに記念で入れていたもの。・モノレールは1988年7月31日から運航開始。北の京芦別と北海道大観音の2つの駅を結ぶ3両編成の跨座式モノレールであり、距離は550m、定員は3両をすべて合わせて80名。最高時速は11km。鉄道事業法に基づくものではなく、遊具としての運行。・1999年5月か6月に、老朽化と運行についての「深刻なトラブル」(詳細不明)が起き、休止せざるをえなかったこと。・モノレール施設は2008年ごろに解体を行った。クロスケさんの説とあわせると、千葉県の谷津遊園で使われていたとされるモノレールも、同じ「泉陽興業株式会社」が製造したものではないかと推測される。また千葉の山万ユーカリが丘線のモノレールは、開業当初から1000形車両によって運行されているが、こちらは日本車輌製造株式会社による製造であり、谷津遊園のものだった説はちょっと無いかな、と個人的には思う。一方、現在のモノレール大観音発着所。ホームには畳がうずたかく積まれていて、車両も存在しない。こちらも新築当時の大観音発着所。こんなにきれいだったとは。かわって現在の姿。ベンチは畳のせいで確認できないが、柵は同じように残っている。線路の出口は四角いガラス窓で封鎖されている。レトロなコンピューター。プリンターが内臓されていることから、レジの会計入力用だろうか?こちらは開いてしまった券売機だろうか?大観音発着所へは階段はなく、廊下を歩いて駅につながっていた。おまけ、「スクープ!!あの反町隆史が北海道大観音に奉納を自らが申込体内に奉納帳を掲示しており本人直筆の申込み用紙を写真にて展示しております」とのこと。こんなことやって、いいのかよw。というわけで、写真です。あとはリアル裏話をちらほらと。執筆上最大の問題点として、とにかく資料がない。具体的なモノレールの歴史や過去が分からない。書籍などで取り上げられたこともほぼない。唯一ネコパブリッシングの「トワイライトゾーン」のバックナンバーで、取り上げられているという未確認情報があったけど、手持ちのバックナンバーでは確認することができませんでした。ネットもろくに情報がない。芦別市の図書館で調べても出てこない。ではどうやって調べたか。芦別市の星振る里の百年記念館の長谷山さんと、北の京芦別元総支配人の石垣さん。この二人のおかげで全貌がわかりました。星振る里の百年記念館に「北の京芦別 20周年記念誌」という内部資料があり、これをFAXしていただいたことが初期の歴史を紐解くのに非常に役立ちました。この書籍は、財政にまだ余裕があった時代に製作されたものです。末期に関しては記念館もわからず「わかったら教えてください」という状態。そこで元支配人の石垣さんを紹介していただき、歴史が明らかになりました。正直この記事は、どこか自分の実力とは別の力が働いたようにしか思います。分からないことだらけだったのが、不思議と次から次へと大事な人に出会ったりして、次々と解決していきました。あまりこういうことは言いたくないけど、この記事は誰かに書かされている、記録を残すという運命じみたものを感じながら執筆をしていました。この本では今回もいい仕事ができたんじゃないかと、個人的には思っています。ちなみに書籍『廃線跡の記録4』では、ブログで使っていない写真が多数掲載されていますので、まだ未購入や興味のある方は、ぜひそちらも購入かご覧いただければと思います。廃線跡の記録4 (三才ムック vol.609)/三才ブックス¥1,600Amazon.co.jp