スライムを従える少年の冒険を作ってみました
# スライム使いの少年
## 第一章 森の家
村はずれの森の奥に、一軒の家があった。
村人たちはその家を「よそ者の家」と呼んだ。
家の主であるガレットは、遠い東の地から流れ着いた
冒険者で、この村に根を張ろうとしたとき、
村の長老たちに「余所者を歓迎する習わしはない」
とはっきり告げられた。
それでもガレットは村を離れなかった。
村の近くの森に土地を見つけ、自分の手で丸太を切り、
石を積み、小さいながらも温かな家を建てた。
彼の傍らには常に妻のマドレーヌがいた。
マドレーヌは薬草の扱いに長けた女だった。
森の恵みを熟知していて、薬草の場所を知り、
季節ごとに何を摘めばいいかを心得ていた。
ガレットが魔物の討伐で稼いだ金と、
マドレーヌが薬草を売って得た金で、
二人は慎ましく、
しかし十分に幸せな暮らしを営んでいた。
そして六年前、その家に新しい命が生まれた。
少年の名はフラン。
フランが初めて歩いた日のことを、
ガレットはよく話してくれた。
「お前はな、俺の方じゃなくて、
庭に向かって歩いていったんだ。
最初の一歩が庭へ向かうなんて、
変わった奴だと思ったよ」
そしてガレットはいつも笑い飛ばす。
だがその話には続きがあった。
庭に向かって歩いたフランの前に、
透明な小さな塊が現れた。
プルプルと揺れて、
フランを見上げるように動いていた。
スライムだった。
森の中に棲む最弱の魔物。
冒険者の卵が最初に相手にする、あのスライムだ。
普通なら子供が近づけば危ない。
だがそのスライムはフランの足元に寄り添い、
まるで子犬が初めて主人に出会ったときのように、
嬉しそうに揺れていた。
マドレーヌは悲鳴を上げてフランを抱き上げようとした。
ガレットは腰の剣に手をかけた。
しかし。
フランはスライムに向かって手を伸ばし、
そのぷよぷよした体に触れ、声を上げて笑った。
その日から、庭にスライムが集まるようになった。
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フランが三歳になる頃には、
庭は常時十匹以上のスライムで賑わっていた。
透明なもの、青いもの、緑のもの、泥のように茶色いもの。
森の中から次々と集まってくるスライムたちは、
フランの言葉に従い、フランの側を離れなかった。
「あの子は一体何なんだろう」
とマドレーヌはガレットに言った。
「さあな」
とガレットは答えた。
「俺には分からん。でも良いじゃないか。
スライムに好かれる子供なんて、
世界中を探してもそうはいないだろう」
スライムは魔力に反応して形を変える性質がある。
フランはいつしか、
スライムに簡単な形を取らせることを覚えた。
平らにさせる。丸くさせる。長く伸ばす。
最初は単純な形だったが、五歳になる頃には、
スライムを完全な球体に整えたり、
薄く広げて布のようにしたりと、
その変化の幅は驚くほど広がっていた。
マドレーヌはスライムが薬草採りの
手伝いをするようになったことに気づいた。
フランが「あっち」と指差すと、
スライムが先に進んで道を確かめる。
そしてフランが「採って」と言うと、
スライムは草の根元に体を滑り込ませ、
丁寧に引き抜いてフランに渡すのだった。
「この子、スライムと話してるのかしら」
「話してるというより……感じてるんじゃないか。
スライムが見てるものを、あの子も感じてる」
ガレットの言葉は正しかった。
フランはスライムと感覚を共有していた。
スライムが触れるものをフランは感じ、
スライムが感じる温度や湿度や気配を
フランは受け取っていた。
それは生まれた時から自然にそうなっていたことで、
フラン自身は特別なことだとは思っていなかった。
ただ、スライムと一緒にいると、
世界がとても広く感じた。
それだけのことだった。
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あの日が来るまで、三人の暮らしは幸せだった。
フランが六歳の春、
森の奥から異様な気配が漂い始めた。
それはオーガ・キングと呼ばれる魔物だった。
通常のオーガよりも一回り大きく、皮膚は岩のように硬く、
その咆哮だけで木の葉が散る。
そんな魔物が、なぜこんな辺境の村の近くに現れたのか、
誰にも分からなかった。
村の狩人たちは七人。
ガレットを加えて八人で討伐隊が組まれた。
フランは家の前でガレットを見送った。
父は大剣を背負い、革の鎧に身を包んでいた。
出発の前に、ガレットはフランの前に膝をついた。
「フラン、父ちゃんはちょっと行ってくる」
「魔物を倒しに?」
「ああ」
「強い魔物?」
ガレットは一瞬黙った。
それからフランの頭を大きな手でくしゃりと撫でた。
「父ちゃんは強いから大丈夫だ。マドレーヌ、頼む」
「気をつけて」
母の声は穏やかだった。
だがフランは、母の手が自分の肩を
いつもより強く握っていることに気づいていた。
討伐隊が森に入って三時間が経った頃、
村人たちの間に動揺が走った。
狩人の一人が駆け戻ってきたのだ。
続いて二人、三人と戻ってくる。
顔は青ざめ、武器を捨てた者もいた。
「逃げろ! 化け物だ、あんなの人間には無理だ!」
七人の狩人全員が逃げ帰っていた。
ガレットは一人、森に残されていた。
マドレーヌはフランの手を引いて村の外れまで走った。
森の入り口から轟音が聞こえた。
地面が揺れた。
木々が揺れた。
そして長い沈黙の後、すべての音が止まった。
ガレットは帰ってこなかった。
翌朝、
村人たちが恐る恐る森に入ると、
オーガ・キングは倒されていた。
その傍らに、ガレットが倒れていた。
フランはその光景を見ていない。
マドレーヌが見せなかった。
だが全てを理解した。
六歳でも、それくらいのことは分かった。
父は勝ったけれど、死んだ。
一人だったから。
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それから二年間、
マドレーヌはフランを育てるために働いた。
薬草を採り、煎じ、村で売る。
夏も冬も、雨の日も、森に入った。
体が小さくなっていくのをフランは感じた。
顔色が悪くなっていくのも分かった。
だが「大丈夫よ」と母は笑った。
「母ちゃんは丈夫だから」と言った。
スライムたちが薬草採りを手伝った。
フランも一緒に森に入った。
だが毎日のように続く重労働は、
マドレーヌの体をじわじわと削り取っていた。
フランが八歳になった秋、マドレーヌは床に伏した。
熱が続いた。
咳が止まらなくなった。
「フラン、ちゃんとご飯食べなさいよ」
「うん。母ちゃんもちゃんと食べて」
「そうね……食べるわね……」
マドレーヌは食べなかった。
食べられなかった。
枯れ葉が舞い散る十月の朝、
マドレーヌは静かに息を引き取った。
フランはそのとき、母の手を握っていた。
最後にマドレーヌはフランの名前を一度だけ呼んだ。
それからもう何も言わなかった。
フランは長い間、母の手を握り続けた。
スライムたちが静かにフランの周りに集まって、
プルプルと揺れていた。
まるで泣いているみたいに。
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その夜、
一匹のスライムがマドレーヌの姿に変わった。
形は完全ではなかった。
少しぼんやりとして、色も曖昧だった。
でもマドレーヌの輪郭は確かにそこにあった。
フランはそのスライムを見て、長い時間黙っていた。
それから言った。
「……ありがとう」
スライムはプルプルと揺れた。
フランは泣かなかった。
もう泣かないと決めていた。
父が死んだとき泣いた。
母が死んだとき泣いた。もう十分泣いた。
これからは、泣く代わりにやるべきことをやろうと、
八歳のフランは決めた。
その日からフランは本当に一人になった。
ただし、スライムたちがいた。
## 第二章 一人でも生きていける
八歳から十二歳の四年間で、
フランのスライム使いとしての力は
驚異的な発展を遂げた。
もともと持っていた感覚共有の能力が、
訓練によって格段に鋭くなった。
一匹のスライムと感覚をつなぐだけでなく、
複数のスライムと同時につながり、
その全ての視点を頭の中で一枚の地図のよう
に統合できるようになった。
十匹のスライムを森の各所に配置すれば、
家から半径一キロ以内の動きが全て把握できる。
魔物が近づけば気配でわかる。
人間が来れば足音でわかる。
攻撃にも変化があった。
スライムを薄く広げて刃のように鋭くする。
それを高速で打ち出せば、
スライム・ブレードとでも呼ぶべき斬撃になる。
スライムを固く圧縮して弾丸のように飛ばせば、
遠距離からでも魔物を打ち抜ける。
スライムを大量に集めて鎧のように全身に張り付ければ、
剣や爪では傷つかない防御膜が出来上がる。
スライムは本来軟体で、刃を通さない性質がある。
固めれば岩より硬く、緩めれば衝撃を吸収する。
これを自在に操れるフランの防具は、
どんな金属鎧より優秀だった。
九歳の頃、
フランはスライムを別の生き物に変えることを試みた。
最初は失敗続きだった。
鳥の形にしても、羽ばたく動きができない。
魚の形にしても、水を泳ぐための動きが再現できない。
だがフランは諦めなかった。
スライム自体に感覚共有で語りかけ、
どんな動きをすべきかを
イメージとして伝えることを繰り返した。
三ヶ月後、スライムが初めて空を飛んだ。
鷹に似た形をしたスライムが、
羽ばたいて木の上まで上昇した。
フランはその目から空の景色を見た。
森が小さく見えた。
家の赤い屋根が見えた。
遠くに村の煙が見えた。
フランは笑った。
久しぶりに、声を上げて笑った。
十歳の終わりには、
スライム鷹が一時間飛び続けられるようになった。
フランはその目を通して村を観察した。
人々が畑仕事をしている。
子供たちが走り回っている。
市場で物を売り買いしている。
フランが知らない日常がそこにあった。
羨ましいとは思わなかった。
ただ、遠いと思った。
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十一歳の夏に、フランは初めて大きな魔物と戦った。
オーク。
成人男性より大きく、粗雑だが力は強い。
一般の冒険者なら三人がかりで挑むような相手だ。
それが一匹、
感覚共有網を突き破って家の近くまで来た。
フランは落ち着いていた。
まずスライム鷹を上空に飛ばし、
オークの位置を正確に把握した。
次にスライムの鎧を全身に纏った。
それから右腕に大量のスライムを集め、
圧縮して鋭化させ、
一メートル以上の長さの剣を形成した。
スライムを使った武器は金属ではないため音がない。
オークが木々の間から姿を現した瞬間、フランは動いた。
右から回り込んで死角に入る。
オークが振り向いた瞬間にスライム剣を
首の側面に叩きつける。
スライムの刃は肉を断った。
オークは倒れた。
フランは少し息を切らしながら、
倒れた魔物を見下ろした。
「……強かった」
スライムたちがフランの足元に集まって揺れた。
「ありがとう、みんな」
フランにとって、スライムは家族だった。
兄弟のようでもあり、親友のようでもあった。
母の姿のスライムはいつもフランの隣にいて、
時々頭をなでるように体を伸ばしてきた。
その感覚は完全に母の手ではなかったけれど、
フランには十分だった。
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十二歳の春、
フランはふとした考えに取り付かれた。
*父は冒険者だった。*
父の大剣は今も家の壁に飾ってある。
父のことを直接語ってくれる人は、もう誰もいない。
だがマドレーヌが話してくれた記憶の中に、
ガレットの姿がある。
魔物を倒すことを仕事にして、
その報酬で家族を養った男。
強くて、優しくて、最後まで逃げなかった男。
*自分も冒険者になれるだろうか。*
冒険者になれば、依頼を受けて報酬が貰える。
薬草採りだけに頼らなくても生きていける。
それに、自分の力を使える場所があるということが、
なんとなくフランには大切に思えた。
スライム鷹を飛ばして村を観察していると、
冒険者らしい装備の男女が何人か
村に立ち寄っていくのが見えることがあった。
剣を持ち、鎧を着て、自信ありげに歩いている。
「俺も、あんな風になれるかな」
母の姿のスライムが揺れた。
「そうだな。行ってみるか」
## 第三章 村へ
その日の朝、フランは支度をした。
着ていくものはいつもの麻の服だ。
ただし、薄くしたスライムを全身に密着させてある。
見た目には普通の布に見えるが、
外部からの衝撃を分散し、刃をある程度受け流す。
この「スライム肌着」を纏うフランの防御力は、
生半可な鉄の鎧を超えている。
持ち物は、母が使っていた薬草の入った革袋と、
父の形見の短剣一本。
父の大剣は大きすぎてまだ扱えない。
今は壁に飾ったままにしておく。
スライムは三十二匹を連れていく。
小さなスライムは服の下に隠れ、
大きいものは周囲を散らばって感覚共有の網を張る。
鷹型が一匹上空を飛んでいる。
「母ちゃん、行ってくる」
母の姿のスライムが揺れた。
その形はいつの間にか精巧になっていて、
マドレーヌが微笑む表情に見えた。
フランは一度だけそのスライムを抱きしめ、
それから離れた。
「留守番してて」
スライムはプルプルと揺れた。
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森を抜けて村の入り口に立ったのは、昼過ぎだった。
村は小さかった。
スライム鷹の目で何度も見ていたから
知っているつもりだったが、実際に足を踏み入れると、
その小ささが肌でわかった。
通りは一本。
店が数軒。
家が三十軒あるかないか。
村の中心に小さな広場があり、
そこで老人が日向ぼっこをしていた。
フランは息を吸った。
人間の匂いがした。
炊事の煙の匂い、家畜の匂い、
人が集まっている場所独特の、
ごちゃごちゃとした匂い。
誰かがフランに気づいた。
「おい、あの子……森の方から来たな」
「ああ、そうだな。よそ者か?」
「いや待て、あの子……
もしかして、ガレットの息子じゃないか?」
囁き声が聞こえた。
感覚共有のせいで、スライムが拾う音がフランの耳に届く。
村人たちの視線が集まっていた。
好奇心と、少しの警戒心と、
後ろめたさが混ざったような目をしていた。
フランは気にしなかった。目的は一つだ。
通りを歩いて、
一番近くにいた農夫らしき男に声をかけた。
「すみません」
男は少し驚いた顔をした。
「……なんだ?」
「冒険者になるには、どうすればいいですか」
男は目を丸くした。
それからじっとフランを見た。
「冒険者? お前が?」
「はい」
「何歳だ」
「十二です」
男はしばらく黙った。
それから「ここには冒険者ギルドはない」と言った。
「ギルドに登録するには、街まで行かないとな」
「街、ですか」
「ああ。ここから東に三日ほど歩いたところに、
ランズベルという街がある。
そこにギルドがあるから、そこで登録できる」
フランは頷いた。
「ありがとうございます」
「……お前、本当にガレットの息子か?」
フランは男の目を見た。
「そうです」
男は何か言おうとして、口を閉じた。
その表情に罪悪感の色が浮かんだのを、
フランは見逃さなかった。
あのとき逃げた狩人の一人だろうか。
あるいはその身内か。
「気をつけていけよ」
と男は言った。
「街道は今、魔物が増えている」
「大丈夫です」
フランは踵を返した。
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帰り道、フランは振り返って村を見た。
小さな村だった。
父が馴染もうとして、馴染めなかった村。
マドレーヌが薬草を売りに来ていた村。
誰もフランを歓迎しなかった村。
でも誰もフランを傷つけなかった村。
不思議と憎しみはなかった。
人間は弱い、とフランは思った。
怖いものから逃げる。
知らないものを遠ざける。
それは自分だってそうかもしれない。
父はそれでも逃げなかった。
それが父の凄さだったのかもしれない。
「行こう」
スライムたちが足元でプルプルと揺れた。
フランは家に戻り、荷物をまとめた。
大きな麻袋に食料と薬草と水袋を詰めた。
父の大剣は……少し迷って、持っていくことにした。
まだ上手く使えない。
でも父の剣を持っていきたかった。
スライムを使って背負えば、重さは問題ない。
最後に母の姿のスライムの前に立った。
「ついてきてくれるか?」
スライムが揺れた。
「そうか。じゃあ一緒に行こう」
スライムが形を変えた。
マドレーヌの姿ではなく、小さな球体になって、
フランの胸ポケットに収まった。
そこから見える景色をスライムは感じ取り、
フランはそのスライムが感じる安心感を受け取った。
翌朝、フランは旅立った。
三十二匹のスライムを連れて。
父の大剣を背負って。
空にはスライム鷹が飛んでいた。
東への街道は、朝の光の中に伸びていた。
フランは一度も振り返らなかった。
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森の家は静かになった。
でも庭のあちこちにスライムの跡が残っていた。
プルプルと揺れた痕跡が草の上にあった。
そしてフランが旅立った方向に、
小さな足跡が続いていた。
それはやがて街道に合流して、
東へ、東へと延びていた。
最弱の魔物と呼ばれる存在を友として、
両親から受け継いだものを胸に抱いて、
十二歳の少年は世界へ踏み出した。
その旅の先に何があるかは、
まだ誰にも分からない。
ただ一つ確かなことは、
どんな強敵が現れても、
フランは逃げないということだった。
父がそうだったように。
*――第一章 完――*