# 外の街
最初にどこの国が撃ったのか、
もう誰にも分からなかった。
発射の警報が世界中で同時に鳴り響いたとき、
それが報復なのか先制なのか、
誤報から始まった連鎖なのかを検証できる者は、
すでに指揮系統のどこにも残っていなかった。
空が白く光り、その光が消えたあとに残ったのは、
焼けた大地と、黒い雨と、
数字の上でしか実感できない死者の群れだった。
地球は滅亡した。
そう記録する者さえ、
あの日を境にほとんどいなくなった。
だが、人類のすべてが滅んだわけではなかった。
山を穿った地下シェルターの奥で、
あるいは海の底に沈めた都市の殻の中で、
運良く、あるいは運悪く生き残った人々がいた。
彼らは暗い天井の下で、種を蒔く方法を探した。
水を循環させる方法を探した。
腐った空気を濾す方法を、凍える夜を越す方法を、
死んだ者を悼みながら生きていく方法を、
ひとつひとつ手探りで見つけていった。
地表は、表も裏も放射能に汚染されていた。
防護服なしで外に出れば、
数時間で体の内側から崩れていく。
除染の研究は各地のシェルターで続けられていたが、
何十年が過ぎても、確かな成果は一度も届かなかった。
それでも人は、生き延びた。
配給の列は秩序を取り戻し、
子どもたちは地下の学校に通い、
人工の灯りの下で誰かが誰かに恋をした。
海底都市の窓の外には、濁った闇しかなかったが、
人々はそれを「夜」と呼んで眠りについた。
普通の暮らしは、確かに戻ってきたのだ。
ただし、閉ざされた空間は、
少しずつ人の心を削っていった。
壁の位置は変わらない。
天井の高さも変わらない。
どれほど広く造られた居住区でも、
歩き続ければいつか必ず、同じ壁に突き当たる。
空を見上げたことのない子どもが増え、
空を見上げたいと願いながら死んでいく老人が増えた。
鬱屈は目に見えない澱となって各地に溜まり、
小さな諍いが、静かな絶望が、ときには自ら命を絶つ者が、
シェルターの片隅に積もっていった。
そんな時代に、ひとつの企業が、
一台のロボットを発表した。
リモートロボット。
地表に立つ機械の目と耳が捉えた映像と音を、
地下にいる人間のVRゴーグルへ、遅延なく送り届ける。
使用者は、ゴーグルを装着した瞬間に、
まるで自分自身が「外」に立っているような
感覚に包まれる。
頬に風は感じない。
けれど視界は確かに広がり、足音は確かに響き、
遠くには本物の空が見える。
かつて、遠い昔の世界に、
ストリートビューと呼ばれるものがあった。
画面の中で道をなぞり、行ったことのない街を眺める、
あの仕組みの
――果てしなく進化した姿だと言えば、近いだろうか。
人々は、こぞって「外」へ出た。
肉体は地下に置いたまま、
意識だけが、崩れかけたビルの谷間を歩いた。
錆びた観覧車の下で立ち尽くした。
空を仰いで、泣いた。長い間ため込んできた鬱憤は、
ロボットの足跡とともに地表へ吐き出され、
人々の顔には、久しく失われていた血色が戻った。
やがて「外」にロボットが溢れるようになると、
それを迎える場所が必要になった。
最初のうちは、残された廃墟がそのまま使われた。
崩れた商店街。
ひび割れた遊園地。
割れた硝子の水族館。
だが、人間の飽きは早い。
同じ廃墟を何度も歩けば、
いつか瓦礫は風景ではなく、ただの瓦礫になる。
そこへ企業が目をつけた。
彼らは「外」に施設を建てた。
新しい通り、新しい建物、新しい娯楽。
入場にも滞在にも料金がかかる。
地下から送られてくる金は、
地表に降り積もる灰よりも速く、
企業の懐に積み上がっていった。
批判する声は、確かにあった。
人類が滅びかけた土地を、金儲けの舞台にするのか。
死者の眠る大地を、遊び場にするのか。
だがその声は、長い閉塞に喘いでいた人々の渇きの前で、
あまりにも脆かった。
娯楽に飢えた欲望は、倫理という堤防を軽々と押し流し、
批判は、いつの間にか誰の耳にも届かなくなっていた。
施設は増え、通りは繋がり、
やがて「外」には、
誰ひとり生身の人間がいない街が出来上がった。
数年が過ぎ、それが日常になったころ、
街はかつての世界と同じ顔を見せ始めた。
昼には、色鮮やかな看板が並び、
ロボットたちがショーウィンドウの前で足を止め、
カフェのテラスでは、誰も飲めない珈琲が並んだ。
夜には、ネオンが濡れた路面に滲み、
音楽が裏路地まで漏れ出した。
表の華やかさがあれば、裏には必ず影が生まれる。
ロボットだから、壊れても死なないから、
現実の体は安全な場所にあるのだから
――そんな理屈が、人の中の暗い部分を静かに解き放った。
理由もなく殴る。
囲んで壊す。
誰かが壊される様を、見世物にする。
やがてそれに金が賭けられるようになり、
地下の闇の奥では、血の通わない暴力が、
血の通った金へと換算されるようになった。
むろん、警察組織も存在した。
巡回するロボットが通りを見張り、
監視網が街の隅々まで張り巡らされていた。
それでも、地下に潜った違法行為のすべてを
暴き出すことは、できなかった。
光の下で整えられた街の、
その足元には、いつも見えない吹き溜まりがあった。
◇
羽賀瑞希の名前は、女の子のようだと言われた。
たったそれだけの理由で、彼のリモートロボットは、
「外」に出るたびに誰かの標的になった。
路地の入口で行く手を塞がれる。
すれ違いざまに肩をぶつけられる。
笑い声が背後から追いかけてくる。
ロボットの頭部に取り付けたカメラ越しに、
瑞希はそのたびに、胸の奥が冷たくなるのを感じた。
幸い、彼の家は裕福だった。
瑞希のロボットは、最新鋭の高性能機だった。
脚部の駆動系は他の機体より一回り速く、
関節は滑らかに動き、バランス制御も群を抜いていた。
だから、囲まれても、追われても、
ほとんどの場合、
彼は殴られる前に逃げ切ることができた。
暴力を受けることは、少なかった。
けれど、それは「何もされていない」
ということとは違った。
「外」に出るたび、瑞希は何かから逃げていた。
誰かの視線から、誰かの嘲笑から、誰かの伸ばす手から。
街を楽しむ余裕などなく、行き先を決めるのはいつも、
「どこが安全か」だけだった。
だから、普段は地下の自室にこもった。
リモートでの学校の授業が終われば、
映画を観た。
アニメを観た。
画面の向こうには、
誰も瑞希の名前を笑わない世界があった。
何度も観た作品を、また最初から再生し、
好きな台詞を口の中でなぞった。
けれど、それだけでは、気が滅入った。
天井の低い部屋で、同じ壁を見つめ続けていると、
息が詰まってくる。
身体は動かさなくても、心のほうが先に、重くなっていく。
そんな夜には、瑞希はごくたまに、ゴーグルを手に取った。
逃げ回るだけだと分かっていても、
それでも「外」の空が見たかったから。
◇
「今度、『外』で会わないか?」
その一文が、アニメのコミュニティサイトの
メッセージ欄に浮かんだとき、
瑞希は、画面を見つめたまま、指を止めた。
送り主は、このサイトで知り合った友人だった。
好きな作品が同じで、好きな場面が同じで、
語り出せば止まらないところまで同じで
――気がつけば、何年も、
毎晩のように言葉を交わしてきた相手だった。
顔も、声も、本当の名前の響きさえ知らない。
けれど瑞希にとっては、間違いなく、
親友と呼べる唯一の存在だった。
最初に浮かんだのは、断る言葉だった。
外は怖い。
会えば、自分のロボットが、
また誰かに笑われるかもしれない。
名前を知られたら、友人までが、
あの連中と同じ顔をするかもしれない。
失う可能性のあるものなら、
最初から手を伸ばさなければいい。
そう考える癖が、
いつの間にか、骨の髄まで染み込んでいた。
けれど。
画面の中の言葉を、瑞希は何度も、読み返した。
この人と、何年も話してきた。
つまらない冗談も、くだらない論争も、
誰にも言えなかった弱音も、この人にだけは話せた。
その相手が、会いたいと言っている。
――自分も、会いたい。
断り辛かった。
それ以上に、会いたいという気持ちが、
胸の底から静かに、
けれど確かに、せり上がってきていた。
瑞希は、キーボードに指を置いた。
『いいよ』
たった三文字を送信するまでに、
何分かかっただろう。
日時と場所が決まった。
返信のたびに、約束は少しずつ形を持っていった。
その夜、瑞希はなかなか眠れなかった。
そして、当日。
瑞希は、ゴーグルを装着した。
視界が暗転し、わずかなノイズのあとで、
地表の光が、網膜いっぱいに広がった。
ロボットの指先が動く。
関節が静かに軋む。「外」の空気を
知らないはずの身体が、確かに一歩、前へ出る。
期待と、不安が、同時にあった。
どちらかを選べないまま、どちらも抱えたまま、
瑞希の胸の奥は、ざわざわと波立っていた。
約束の場所へと、彼のロボットは、歩き出した。
――この一歩が、
何を連れてくるのかも知らないままに。