
令和5年(2023年)7月28日㈮
今夏2回目の青春18きっぷ使用、JR難波〜奈良〜京都〜彦根と乗り継ぎ彦根に来ました。

彦根を訪れるのは今年3月以来、駅近くに宿泊するも彦根城は訪れず

4ヶ月ぶりに再訪した彦根、今回は彦根城を訪れます。
彦根城から彦根駅から1km、駅前からは天守が見えます。

その途上、彦根市役所の前を通り過ぎます。
彦根城は1992年(平成4年)に日本の世界遺産暫定リストに掲載されたものの、近年の世界遺産登録の厳格化の下、20年以上推薦は見送られている。

彦根城の濠が見えてきました。
彦根城を訪れるのは12年ぶり
*2011年10月に訪れた彦根城

彦根駅から1km、彦根城の入口に来ました。
道路を挟んで左は重要文化財の二の丸佐和口多聞櫓、右は二の丸佐和口多聞櫓を再現した開国記念館
彦根城周辺で撮影した画像はコチラ

入館無料の開国記念館には

日本100名城スタンプが設置、入場記念符(御城印)が販売

日本100名城スタンプを押しました。彦根城を再訪したのはこのスタンプを押すためです。

購入した入場記念符(御城印)
100名城スタンプを押して御城印を購入、このまま駅に引き返してもいいのですが

12年ぶりに彦根城有料区域へ、表門券売所にて、

城内を観覧し

黒門券売所から城外へ

黒門券売所の近く、楽々園
入場無料、入口には「井伊直弼生誕地」の碑
*楽々園(らくらくえん)
滋賀県彦根市にある歴史的建造物と庭園および遺構。 かつては、江戸時代初期 (1677年) に彦根藩4代藩主井伊直興によって造営が開始された井伊家の下屋敷であった。
「御書院」、「地震の間」、「楽々の間」、「雷の間」、「新東西の間」や「鳰の間」など江戸時代後期の数奇屋建築が現存する。 江戸時代は「槻御殿」あるいは「黒門外御屋敷」と呼ばれており、明治時代以降に「樂々の間」から「楽々園」と呼ばれるようになったとされる。 御書院から望む庭園は玄宮園の池泉を借景とする枯山水である。 戦前までは庭園と御書院の間に池が広がっていた。 敷地は国の特別史跡「彦根城跡」の区域に含まれる。また、隣接する大名庭園の玄宮園とともに「玄宮楽々園」として国の名勝に指定されている。
wikipediaより引用
建造物詳細 編集 地震の間 - 旧名「茶座敷」、数寄屋建築、耐震構造建築 楽々の間 - 数寄屋建築、12代藩主井伊直亮による築造
